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This document is a dairy-like essay written in Japanese.  

 このドキュメントは日記のようなもので、憂さ晴らしで書いているようなもの(或いは、夜中に井戸に叫んでいる声をテープから起こしたようなもの)も含まれています。仕事関係については、図書館員として一般的な作業については何ら差し支えないことと考えられるので書きますが、それ以上のレベルではあまり書かないようにしています。これは業務内容に関する守秘のためですので、ご了承下さい。通常のブラウジングで読める範囲は、日記の中でも特に差し支えない部分だけであり、私の本音のうち公表するのには問題がある部分はすべて埋めてあります。

Old Diaries
年 / Year四半期 / Quarter主な出来事 / Mainly Occuances
1996-1997 [ 1 - 4 ] 橙路(道)的学部時代
1998 [ 1 - 4 ] 修士一年の苦行。
鴨川、そして有明への傾倒。
1999 [ 1 ] [ 2 ] [ 3 ] [ 4 ] 論文よりも、なぜそっち?
2000 [ 1 ] [ 2 ] [ 3 ] [ 4 ] 就職の前後のことども。
2001 [ 1 ] [ 2 ] [ 3 ] [ 4 ] いろいろと加速。
2002 [ 1 ] [ 2 ] [ 3 ] [ 4 ] 給料が旅費に消える年?

小熊さんの日記 「哀愁日記:底に哀はあるの」
小熊さんの当サイト向けリンク 記述の内容については一切コメントいたしません! 

Dec. 26, 2002
 昨日の朝、年末最後の出勤当番日のためにクリスマスケーキを購入。ローソンのオリジナル生クリームケーキ4号L1型(1000円、シキシマ製)を購入。前の晩に買って夕食にしたものと同じケーキだった。

 昨日の神様はいじわるでした。

 出勤して冷蔵庫に入れようとしたところ、某K田さんがバタークリームのケーキ(5号ぐらいか?)を先に冷蔵庫にいれてあったのを発見。その日の出勤人数は4人。一人平均180度である。

 結果: 生クリームケーキ100度ぐらい、バタークリームケーキ90度ぐらい、食べました。


 直後に、カラダにキました。結局、バターケーキが150度ぐらい廃棄されてしまいました。食べ物を捨てるのは感心しないのですが(だから頑張って食べたのですが)、努力の甲斐なく……


二つほど思い出した。
父方の祖父の命日もやはりぞろ目だった。
そして、母方の祖父の葬儀会場にいた職員に、某高田先生と同姓同名の女性がいた。

Dec. 25, 2002
短期的不在予告


 27日午前5時をもって、年末特別体制に移行します。これ以降、12月31日までの連絡は、携帯電話以外ではほぼ不可能になりますのでご注意ください。(28日から30日の日中は、携帯電話での連絡も難しくなります。予備の携帯番号が必要な方は、あらかじめお尋ねください。)
 27日、10時半ごろより設営に参加。夕方、秋葉。夜、都内某所で謀議。
 28日から30日、有明某所。体力・弾丸とも限界になる予定。
 30日晩、急行能登乗車。
 31日から1月5日朝まで実家。
 31日日中は実家。夕方には久安の吉野家襲撃の可能性あり。そのほかには、特に予定なし。
 1月5日午後、便宜供与のためインテックス大阪へ。


Dec. 24, 2002
自宅1階部分にあるローソンの店員にケーキを勧められて、ふと、詠んでみる。
  よかったね クリスマス・イヴ 今夜だよ どうせオレには 用はないだろ


今日は、多数の2ちゃんねらーが吉野家を襲撃したらしい。大晦日もやるようだ。

Dec. 23, 2002
天皇誕生日。1時半前ごろにJR元町駅到着。まず、「アサヒグラフ パーソン」の最新号を探して丸善に行こうとして、迷う。大丸前を西に引き返して、たどり着いたものの在庫なし。OCAT店に問い合わせ依頼したところあるというので、取り置きを頼む。それから、ルミナリエの会場を順路どおりに進んでみた。ちょうど、順路の終点・東遊園地の南側にあるステージで、DOCOMO主催のゴスペルなコンサートのリハーサルをやっていたので、20分ほど聴き入る。ただ、あからさまにアベック向けだったので、本番には行かないことにした。
 2時すぎぐらいに南京町に引き返して、昼食を摂る。四川風炒飯と四川風水餃子。辛かった。大量に汗をかく。そして、これらの食事は約8時間後に出口で暴れてくれた。(食べた食事が出る(出したくなる、というべきか?)までの時間は、自分の場合だとだいたい8時間から10時間程度である。)
 そのあと、再び引き返し、今度は3時ぐらいに神戸市役所(東遊園地の北側)にいく。1階で記念グッズの売店があったので、使用曲集(1000円)を購入。次に、24階にある展望台で景色を楽しんだ後、同じフロアにある喫茶店でカフェ ホワイト X'masというメニューを頼む。出てきたのは、甘くないミルク多目のココアに、香りつけのクリームが添えられたものだった。ところが、出てきたパフェ用スプーンでは後者をまともに掘れなかった。見た目は確かにそちらのほうが格好いいとは思うけど、ちょっといただけなかった。3時40分過ぎまで休憩する。
 再び東遊園地へいき、またもや引き返す。今度は三井住友銀行前の交差点=会場入り口の付近で待機する。4時10分過ぎに車道の交通規制がかかったので、車道に入る。5時5分過ぎに開始の音楽が流れ始め、1分ほど過ぎてから点灯。15分ほどかけて、ゲートをすべて通過。サークル状の展示の下を通り過ぎて、先ほどのステージの前まで言って様子を見てから、何もせずにJR三ノ宮駅へ。ちょうど6時ぐらいに駅到着。
 そのあと、新快速に乗車、大阪駅経由四つ橋線でOCATの丸善に立ち寄り、さらに土曜日に回転したばかりの日本橋まんだらけで琴吹かづきの同人誌で「紲(きずな)」(琴吹かづき作品集2、1997年8月発行)を購入。200円。この作品は、「ドルフィン」掲載時に最初の1話を読んで気に入った作品だったものの、連載時に(プロローグを含めて)3話だけ描かれて放置されてしまったために、同人誌として著者が発行したらしい。通算3話目から先が60ページの書き下ろしになる(するつもりだった)らしいものの、98年冬か99年夏に発行すると予告しているその本は未だ見つからず。また探してみたい。内容は、ここでは特に書きませんが、琴吹かづきのストーリーの傾向そのまんまといったとこです。 なお、プロローグの真ん中に2ページ追加されていたのだが、おそらく掲載し忘れたのか編集上の判断で2ページ飛ばされて掲載されたのかどちらかだろう。(それか、単純に同人誌発行時に追加したか…… 3年間ほどしか開いてないし、絵柄の違いが特に認められるわけでもないから詳細不明。)

 そういや、主人公の彼女の台詞に「ベル入れるよ」という表現があったけど、まだポケベルからPHSへの乗換えの時期だったんだと思い出す。(たしか、自分が最初にNTT PersonalのPHSを契約したのは94年の秋ごろだったと思う。当時は日記を書いてなかったので、詳細は不明。)
Dec. 22, 2002
昨日は散財した。はぁ。

Dec. 20, 2002
今日、期待しようがないものは諦めるしかない、ということを悟った。

Dec. 19, 2002
雑誌「コスモポリタン」のウェブサイトにいってみて、ついでに性格判定を試してみた。
「君臨型M」と判定された。
ただし、女性専用質問項目もあったため、間違いであるということにしておこう。
今日も仕事が終わったし、明日は給料日で、今年の出勤はあと3日(20日コミ)!

Dec. 17, 2002

Dec. 16, 2002
備品は元に戻せるように…… か。
明日からは心がけておこう(笑)

ニセ「こころん」め。 こころんの2倍以上の年増め。けっ!まあ、旦那の友人にパパイヤ鈴木がいるのに免じて、名前だけは赦してやろう(笑)その旦那が「まぶたの父に姿重なる山男と、大恋愛。」ということは、擬似ファザコン婚ということか。痛い設定だな。世のお父さん方@昼休み休憩中にハァハァのひとときを与えようという、哀れみのこもった公共放送連ドラ担当者の暖かなまなざしを感じます。
「雪国はつらつ条例」より面白いと思うのだが。東京書籍の担当者が、作業途中に遊んでいたとしか……
Dec. 15, 2002
 先ほど、自宅に到着。
 12日に駅到着後、7時10分のバスで市立病院前=終点で下車。タクシーで叔父宅直行。仮通夜の読経の最後のほうに間に合う。
 その直後に、叔父(母の弟)の妻(叔母)の父もまた祖父の死(12日午前2時51分とのこと。黄色ブドウ球菌に感染し、ここ2ヶ月ほどは鼻からの栄養補給だけの状態だったそうで、直接の死因は痰による窒息らしい)の27時間ほど前(10日23時)に死亡していたため、叔父家族にとっては葬儀が二重に進行している最中であることを知らされる。言い換えれば、従弟たちは約二日間のあいだに祖父二人を亡くした、ということである。
 その晩は、実家に荷物を置いて着替えてから叔父宅に戻り、一人で遺体に付き添った。途中、約2時間ほど眠ったようだ。母も叔父夫婦も、叔母の父の葬儀のために殆ど寝ていなかったらしい。

 13日、朝は焼香順リストの作成に始まったが、父と叔父がやっていたので、焼香順リストを収めてあるExcelファイルのなかに、簡単な香典記録用シートと合計額表示用シートを作成する。10時ごろから、父母と弟(前日22時ごろに広島より到着)とともに散髪と食料の調達。15時の予定から1時間遅れて、16時ごろに納棺する。国鉄に勤めていたころの制帽(昭和46年とスタンプが押してあったが、定年退職したのは更に数年後のはず)を祖父に持たせることにした。結局、僧侶は来ず。17時ごろから式場入りして、PC関係の設営(式場から借りたプリンタの接続と、電源コードの引き回し)を行う。そこまで来ると、叔父の会社から来た応援部隊が大体のことをこなしていたので、何もせず。19時より1時間半ほど、通夜。終了後、いろいろとムタムタな状態で何かをしていたが、覚えていない。弟・妹は撤収。

 14日、午前0時ぐらいから父・叔父(喪主)・Kさんと自分(キー・パンチャー役)の4人で焼香順リストの更新開始。作業の内容としては、香典帳から名前を選んで、それを「然るべき順位」に追加し、名前に正しいヨミを付ける、というものである。これについては、会社同士の関係についての知識や、親族の関係に関する家系図的な知識が必要であり、更には焼香順決定についての一般的な知識が必要であるため、親族が欠かせない。また、香典を寄せてくれた会社に勤めている親族に対しては、その会社の社長など(香典を送ってくれた際の名義)の名前のヨミを(本人が来る見込があろうとなかろうと)確認せねばならない。詳しい順位はめんどくさいので書かないが、親族・議員類・会社関係(本人関係→親族のそれ関係)・町内会関係(今回は「ご一同様」とした)で、<意図しない結果としての記載漏れ>=<「ご焼香がお済でない方」の発生>を極力減らすことが目標となっている。2時を超えたころに、その時点で作業ができる範囲の処理が終了。3時前ほどから3時間弱、遺体のある部屋で寝る。
 6時すぎ、父方の祖母の月毎命日が7時から始まるため、実家に戻る。10時ごろに式場に戻る。10時半より写真撮影。11時スタート。金沢駅東口前を通り、鳴和の斎場へ。13時ごろ、最後のお別れをする。14時20分ごろから、骨を拾う。15時ごろから中陰の食事。17時前ごろ、ほぼ完全に自然解散。撤収完了は18時を超えていた。21時ごろから12時間ほど寝る。


 祖父の経歴について修正すると、
 祖父は79歳で3月生まれなので、1923年生まれである。尋常小学校、高等小学校(2年制)を卒業後、(鉄道教習所の入学年齢の関係で)1年ほど新聞社に勤めてから、鉄道教習所(国勢調査上の分類では高校・旧制中学にあたる)に入ったらしい。それから、国鉄で蒸気機関車の機関士となり、電化のあとは車両検査を担当していた。そのあとは、ボイラー関係の資格で仕事を続けて、何度目かの定年で完全に引退。そのあとは、実家の畑作業などを手伝ってもらっていたが、5年ほど前から入院していた。

Dec. 12, 2002
実家より、午前2時に母方の祖父が死亡したとの連絡が入ったため、今日午後から日曜まで実家に帰ります。通夜が明日夕方から、葬儀が土曜からです。

つきましては、喪に入るため、新年のご挨拶はご遠慮させていただきます。


 祖父は旧国鉄で機関士(蒸気機関車に乗っていたらしいが電化後がどうなのかは知らない)としてに永く勤め、定年後もボイラー関係の資格を生かして数度の定年を経験した。その後、実家の畑作業などを手伝ってもらっていたが、入院するようになった。この秋からは、また別の病院に転院したばかりだった。
 2週間前に帰省した折に会っておかなかったことを悔やんでいる。死因はまだ聞いていないが、肺炎を繰り返していた以外には、特に思い当たるものはない。

 同じころか知らないが、昨夜の夢は金沢の人間(小中学校の同級生)が出てくる夢だった。長距離バスに乗ってテロ頻発地帯を通る夢である。交差点にはダンボールの箱に囲まれた何かがあって、それを避けながらどこかに行こうとする夢だった。
 金沢の夢を見るときに不吉なことが起こる傾向がある、という経験則がまたも当たってしまった。

Dec. 11, 2002
 紀要電子化の波がNII(国立情報学研究所)からやってくることになった。研究紀要ポータルとかいうプロジェクトである。でもって、勤め先でも紀要の電子化に何らかの形で取り組むことになった次第。
 要はPDFにすることだけなので、「PDF Writerにファイルを吐き出させてお終い」という手抜きレベルが最低限、「各論文への目次をちゃんとつけるような加工もする」が標準、といったところだろうか。
 NII側からも、詳しいことは何も指定がないので、勝手に決めてくれということなのだろう。
 並行して、消防訓練の計画作成をやっている。今年は、講義棟から離れている図書館が火元になっているためである。担当の割り当て(基本的には館員分は決まっている)とフローを組み合わせる、という作業になるのだが、大人の事情があるので少々難しい(笑) < と、笑ってられないほど時間が切迫しているのだよ、実は。
 先週土曜に、某YUKA BLUEに辞書CGIを搭載したところ、アクセス数が回復し始めた。いつまでもつかは分からないが、今度は年末年始企画の時期に入るので、その準備をしなくてはならない。

 今週の金曜は、仕事の一環として附属の寮のクリスマス会に行くことになっている。通勤の最寄駅に程近いということもあって、前回は駅前で素直に拉致られたのだが、今回もそういうことになった。
 これがもう居辛くって仕方がないのである。もちろん悪いことはしていないし、来るなという脅迫を受けているわけでもないし、担当部局から誘われている以上は押しかけているわけでもない。

 教員であれば一応は与えられる学内階層的保護膜(1ナノメートルぐらいは完全保証)すらない自身の場合、間違いなくただの薄いヲタ野郎として見られる、その場にいるのが心苦しいだけなのである。(同じことを言うにしても、職員のいう場合より、教員の言うことのほうが聞かれる可能性がある……という経験則もある。)


 そんなことを思って、暇さえあれば「キングゲイナー・オーバー」を口ずさんでいる。モンキーダンスで解脱できそうな気がして。落選した今年の冬の風は寒い。

 何のことかについて書いているかなど私の勝手だが、そんなもん表現の自由であり読者の脳内に於ける解釈のあり様の自由だが、とにかくやりきれないことがあった。テキトーな感じで憤ったなりの行動をしてみる気もしない。残念とすらも思わない。結果については諦めたが、その余の諸諸も何かの糸の細さも諦めつつある。何も書きたくはない。スッパリと「あり得ない」と諦めて、楽になることにした。

Dec. 3, 2002
 晩、犬山のぼるたんに命じられていた宿題をやっと終わらせた。
 それは、「アイシールド21」(週刊少年ジャンプ連載中)に出てくる「まもり姉ちゃん」を描くこと、だった。

 練習あるのみ、だとは知ってました。
 かれこれ26年の間、最近10年平均で1年に1枚も描いてないため、まともに描ける筈などなく、而して然るべき結果になりました。
 当然、思いっきり笑われました。


 人物画を描いてみた感想として、髪とか手とかよく描けるもんだな、と絵描きさんに改めて感心しました。

Nov. 21, 2002
 昨日のログを見た。8168回のファイルアクセスのうち他人のコンテンツ分は、犬山領域が6631回、弟に貸している領域が206回、高橋まどか様領域が79+251=330回の、合計7267回だった。自分の分は1割ちょっとしかなかった………… ちなみに、この日記は23回だった。 ただし、分割ダウンロードなどによる重複は排除していないので、見た人の数はこれより少ない。
いやなものを見つけてしまった。よりによって、近畿総合通信局、である。
短期的不在予告

 23日から25日にかけて東京に行ってきます。
 23日は表参道・GoFa経由で、KOR系デジタルアーカイブ計画の打ち合わせのため荻窪へ。Muranskyさんと碇矢さんという、国内の非同人系オレンジロードファンとしては結構な会合になる予定。できれば、まつもと先生にお越しいただきたいのだが、打診していない。オグマさん宅に泊めていただく予定。
 24日は、ビッグサイトの宝島(< 行ったことはない)のあとででも、「ほしのこえ」onlyイベントを覗く予定。ただし、二次会には行くかどうか…… 16:28の新幹線に乗ることも考えたが追加支出額を考えるに(大阪から行く場合とコストが変わらないことから)あまりメリットがないのでやめた。
 25日は予定なし。都内にいることはいるが。
Nov. 17, 2002
 昨日、team Crescentとして最初の公開オフを行ったのだが、幹事には30点を差し上げました。企画の準備はしていないは、参加者の位置を把握するのにかなり時間がかかっているは、企画自体に大穴が開いているは、要するに店を予約しただけ状態であったことが分かった。この担当には2週間以上前から企画を任せていたので、明らかに怠慢の結果だった。しかも、それでいて私になんとかしろという態度に出てきたところで、今後の人事的方針につき腹が決まった。とりあえずは苦言としておいたものの、二度目がありそうな気がしてならないのは信頼度格付けが中高生並まで落ちたからだろう。

 自分ひとりでは出来ないことをやるのだから、任せるしかない…… とは分かっちゃいるのだが。

 水曜の晩あたりから、まつもと泉公式サイトであるhttp://www.comic-on.co.jpがアクセス不可の状態になっている。原因は料金滞納らしい。通算2回目である。

 一応、知らない方のために書いておくことにしました。

 とある事情により、今年冬の設備増強計画は大半を保留することにしました。DV編集関係の増強も最低限に抑制、ということで。

Nov. 16, 2002
 昨晩、今回の大学図書館職員講習会のことで、泉さんと電話した。彼も来週、東京会場で受講するのだが、共同討議の実態についてメールで尋ねられていたので回答した。この共同討議というのは、「大学図書館における情報リテラシー教育」など計三つのテーマについて、10人程度ずつの班で討議するもので、2日目に司会者役(泉さんはこれに当たった)をおいて討議し、4日目に報告書(記録者が担当)の提出および発表(発表者が担当、自分が当たったのはこれ)が行われる。共同討議はA4(手書き用)2枚程度で、発表は質疑応答なしで8分間が割り当てられる(ただし、実際には5分程度での発表ばかりで、質疑応答はない)。つまり、2日目の晩に記録者がまとめた原稿や、3日目の日中に協議した内容に基づき、4日目に発表者が発表を行うわけである。自分の場合、A4で1枚程度の読み原稿を作った。そのなかでは、討議の流れについての説明と、各館の事例の紹介(文字面の分量は半分ぐらい)を述べたあと、班として「〜〜〜〜といった認識に至った」と締めておいた。
 そもそも、各館に設置母体や規模の違いがあるため、共通の結論が出たというのではなく、このようなまとめ方を選んだ。もちろん、実際に参加者がこういう認識に至ったわけではないにせよ、こういう話が出てきたというだけのことである。そもそも、発表時間の長さや質疑の有無について事前に通知がない以上、仮に発表を2分で終わらせたとしても文句をいわれる筋合いではないのだし。
 討議内容自体は中堅職員が集まっただけにまともなもの(講義の内容にわざと迎合している感じがあるものも多少見られた)だったが、発表内容の段階では発表者の知識不足により文意が曲がってしまっているとみられる、内容においておかしな部分がある発表も見受けられた。でも、発表の内容は記録に残らないし、また採点される性質のものでもないので、気楽にすればよいと思う。

 ついでに、テキストのなかにある名簿中、関西会場82番の九州にある某女子大学図書館の雑誌係の業務内容が「雑誌・紀要受入、もうろく、ILL受付」とあった。図書館界、世も末だ。

Nov. 15, 2002
やっと、4日間の研修が終わった。
Nov. 13, 2002
昨日は9時半始まりで、今日からの3日間は9時始まりである。
自分のほか、辻 水衣君(名簿を見て女性と間違えていた人もいたが、さに非ず)を含めて、図情大出身者が4人いた。そのなかに学部同期で豊橋技科大附属図書館のS木さん、自分が大学院を修了したときに学部を修了した西南学院大学@福岡のS田さんがいた。
MANAMIその他、冬コミ落選。書類不備での落選以降はずっと当選していたのだが、ここに来てついに落選の憂き目に遭った。
ハァ…………………

Nov. 12, 2002
一昨日の日曜は神戸のポートアイランドまで行ってきた。第7回アニメーション神戸の授賞式である。事前申し込みを忘れたので、徹夜の決戦は避けて、朝の6時半ごろに長瀬を出立して、8時ごろについたのだが、玄関前にいたのは4人。戦意喪失。結局、9時ごろになって5人増え、徐々には増えたが、11時を過ぎても50人ほどぐらいにしかならなかった。10時ぐらいに列整理をやったときに、順番待ち第1位になったのだが、最後の最後に馬鹿をやってくれた。順番待ち行列の人間が一般待機列についた後で、「整理券を持っていない人はいないか?」と列の最初から声をかけていき、20人ほど前の1人に渡したのだ。(クレーム送ってやる!) で、リハーサルが遅れたとかで、12時半の入場開始が5分ほど遅れた。でも、中央通路に面した右奥の島の最前列左端に陣取ることに成功。舞台中央がよく見える位置だった。続きは次回。

今日から4日間、京大附属図書館で行われる文科省主催の大学図書館職員対象の研修会へ。片道1時間半の通いである。京大附属図書館へ行くのは、NACSIS-CATの目録講習会(図書コース)以来である。共同討議の発表者にあたっているらしいので、他の人よりはちょっとだけ面倒な役らしい。

昨日、鳥肌実を知っているというK原さんにWinMXで落としたムービー、MP3入りCD-Rを進呈した。而して、昼食時間に視聴しているところを館長に発見された。
Nov. 6, 2002
ケムンパさんとチャットした。やはり、いつもの調子でお元気そうだった。
Nov. 5, 2002
 そろそろ2003年に向けた装備?の増強を具体的に考え始める時期に入ってきたのだが、
  1.デジタル・ハンディ・カム(130万画素相当以上)< 知世ちゃんを目指しているわけではないが、記録用に欲しいな
  2.カノープスのビデオ編集用ボード(DVStorm系) < 仕事でビデオ編集もやるので。ただ、現在のスペックでなんとか“ごまかせる”なら延期も検討。
  3.光沢紙はがき対応・4辺ふちなし印刷対応のプリンター < Deskjetシリーズは全然ダメ! はがきについては、非光沢紙じゃないとひっかかる。
の三つを考えている。あと、実家用に、Pentium3-1GHz程度のマシンを1台置いておきたいので、これに4万程度を予定。

 歯科に払う分割払いも今回の冬で最後だが、問題はまた治療が伸びないかどうかだ。本当は今月でおしまいのはずなのだが、人の体のことだけにどうなることやら。
Nov. 4, 2002
 昨日、1時半より春日大社で文化の日恒例の「舞楽演奏会」があったので、11時36分の長瀬発で12時14分に近鉄奈良駅到着。バスに乗ったものの、30分以上かかり、結果として午後1時に到着。会場は池のふちで、1時ごろであったにもかかわらず椅子席に座れた。ただ、寒寒としていたので、途中で席を立つ人が多々あった。なんでも、昨年は悪天候だったとのこと。演目は、管弦の部が「太食調音取(たいしきちょうねとり)」「合歓塩(がっかえん)」、舞楽の部が「振鉾(えんぶ)」「賀殿(かてん、左舞)」「陪臚(ばいろ、右舞)」「蘭陵王(らんりょうおう、左舞)」、そしてお決まりの「長慶子(ちょうげいし)」。司会によれば、「陪臚」はちょうど1250年前の東大寺大仏開眼法要の際の事務的な記録にタイトルが載っていたものの、舞の内容については(12世紀も前のことだけあって)同じであるかは分からない、とのこと。もとは武舞で、舞の最初に鉾を持って入場し、途中では鉾を床に置いた状態で進行するのだが、途中で鉾を逆さに持った「逆鉾手」の状態で舞う場面があり、最後は一列になって右に左に揺れながら退場していく。そこで、この舞が平和を祈願して舞われるものだといわれているらしい。
 3時半ごろに終了し、そのあと宝物殿で奉納された刀剣の展示をやっていたので観ていく。開国前夜のころに井伊直弼の奉納したものには、尊皇攘夷な祈願文も付けられていた。が、最後の最後に故・笹川氏@日本船舶振興会ほかの奉納品に大きなスペースを割いていたのには参った。
 それから本殿を参拝したのだが、七五三ということもあってか、巫女さんもそれなりに見かけた。ただし、巫女にはそもそも年齢制限はないものだ、ということも付け加えておこう。髪飾りを付けている巫女さんと、紫色の袴の巫女さんもそれぞれ一人見かけた。後者は巫女ではないのだろうか? それと、いつも思うのだが、神官の袴が水色なのはどうも落ち着かない。なお、巫女神楽は今回の題目に入っていなかったので、いつか見てみたいと思っている。(12月17日の若宮の祭りの際には上演するらしいが、忙しそうな時期だしなぁ。)
 4時15分ごろに春日大社を出て、参道を下りつつ鹿せんべい(1週間前に来たときは6セット900円ほどを浪費したのだが、今回は4セット600円だけにした)を振舞いつつ、東大寺を目指した。入稿は4時半までだったのだが、35分でもなんとか入れた。大仏殿は45分に入り口を閉めるという。久々に観た。中学校のとき以来だから10年ぶりだろうか。だが、5時ごろから雨が降り出し、奈良国立博物館前まで来たときには結構な降り具合となっていた。鹿も一日が終わってうんざりしている時分で、持っていた残りの鹿せんべい1セット弱は捨てるのも心苦しく、持ち帰ることになった。憎たらしいことに、バスでならの駅に到着したころには雨がやんでいた。スターバックスで一息ついた後で、17時46分の快速急行で鶴橋まで行き、各駅停車で長瀬まで帰った。

Oct. 30, 2002
 某AMI-MLで以下の記事が流れていたので、そのまま転載する。

-------------------------------------------------------- 松文館社長の初公判が決まりました。 日時:12月3日(火) 10:00−12:00 場所:東京地方裁判所(使用する法廷は未定) 担当部:東京地裁刑事2部 裁判長:中谷雄二郎      合議事件(3人の裁判官が審理する事件)です。 本公判では、検察側による起訴状朗読、冒頭陳述、証拠の請求が行われる 予定です。 弁護側の意見陳述、立証は、第2回公判以降に行われます。 山口 貴士@東京弁護士会 -------------------------------------------------------

 晩10時20分ごろ、639178917034という番号から携帯に着信が入った。ワン切りかとも思ったが、2度目にかかってきたときにとったら1秒ちょっとだけつながって、聞き取れないほどのボソッとした声が聞こえた。大変に不気味で、かけなおす気にもならない。
Oct. 29, 2002
 昨日からラジオドラマのビデオでの録音をスタート。

 先週土曜日、10時半すぎに東本願寺で母、母方の祖母と合流。京都タワーに上って昼食の後、東寺へ。4時ごろに近鉄奈良駅へ到着、スターバックスで休憩の後、興福寺、奈良公園、東大寺(ただし5時半を過ぎていたため閉門後)。8時ごろに河内小阪駅到着、めしや丼で夕食の後、U・コミュニティホテルへ。
 日曜日、ホテルからタクシーで二人を拾ったあと、1年半前までの職場(学園祭の最中)の前を通ってもらい、祖母の実家にあたる深江橋の家にいく。墓参ののち、母の従妹(でよかったかな?)とその旦那さんに車で大阪駅まで送ってもらう。ACTY OSAKA16階でオムライス系の店で昼食を摂ったのが1時ぐらいだったか。そこで、自分だけ分かれて、弁天町駅経由でインテックス大阪へ。COMIC CITYでの、犬山っちの撤収支援を行う。これも毎回になりつつあるが。そののち、日本橋に向かい、御堂筋線なんば駅で待ち合わせのはずのH藤が、時間まちをしていたソフマ・ザウルス1付近にいたのでほどなく合流。ブツをいろいろ渡してもらう。
Oct. 25, 2002
 1時半ごろからの1時間ほどにかけて、系列の高校2年生250人の見学が来た。それを二人で案内したのだが、割り当て時間が短いため、玄関→シアター前→AVブース→共同研究室前→集密書庫前→玄関、というコースを6分程度でこなした。つまりが、殆ど「説明を聞きながら通っただけ」である。 で、ふと「進むスピードをあげたら全体も進むかな?」という考えが頭をよぎった。もちろん、途中でだらだら歩く塊が3人もいれば後ろが滞るので、前の人に続いて立ち止まらないように注意しながら引率してみたのだが、無視率40%。なかなか巧くできなかった。
 その少し前、M上先生のご依頼により、角倉素庵関係の内容の授業用資料を中綴じ用にコピーしたのだが、何を勘違いしたか右開きなかんじで原稿を作ってしまった。こちらのほうが慣れてるからだが、正解は左開きだったので、原稿を作り直す。

Oct. 23, 2002
ラジオドラマの録音を忘れてました・・・ 恥。
Oct. 20, 2002
 12日、午後1時半ごろにジュンク堂京都店に到着。にゃもさん、TAKANI-さんと合流。斜め向かいのドトールで朝食権昼食を食べつつ会議。二人にはそのあと4時からの村山先生のサイン会取材をお願いした。そのあと、2時15分ごろに脱出、京都駅から2時47分の新幹線で東京へ。何とか定刻6時(実際に始まったのは6時15分ごろからだったが)で、森岡先生の小説家生活10周年記念パーティ(於 赤坂・ニューオークラ5階の某店)。内装が木造船っぽいつくりをしており、なかなかに感じがよかった。そこで、個人的に、森岡先生によるアーブ語を聞かせていただいたのだが、作った本人が悩みながら読む様では…… もっと書かなきゃダメです(笑) 結局、8時半からの新宿・ライオンでの2次会にも参加したのだが、そこで(いえ1次会からいらっしゃったのですが)工画堂スタジオの方に遭遇。ふと、涼くん(もともとオレンジロード系で知り合い、後に村山系でも偶然に再開したという人物で、いまは早大の院生)というバイトを知らないか尋ねたところ、これがよくご存知だった。世界は狭い。名刺を渡したついでに、このサイト=itono.comにもファンサイトが一応あることも教えておいた。(涼くんには弟の出した大量のユーザー登録はがきを発見され、一発で感づかれたことがある。1年程前だったかと思うが、どうでもよいことだ。) そのあと、オグマさん宅に転がり込む。
 13日、横浜へ。国際マンガサミットにいく。1000円の入場料の割には、300円でもいいだろう!と思った。松文館のブースのまえでAMIの署名ブースを発見。八的さん(当日は分科会のほうに参加されていた)や山口さんとお話できればと思ったものの、時間的な理由から断念。前後して、西形さんからメールをいただいた。(というか、東京に来る途中の新幹線で突然メールをもらい、それに返事をしているうちにお会いすることになった。) 横浜駅南口改札で合流し、桜木町まで京成で移動。ジョナサンでだべり始める。会話の内容は、かなりプライベートなことが多いので伏せることとする。その日、ちょうど外国の軍艦が横須賀、晴海とともに横浜にも着ていて、その夜間向け照明を楽しんでいたところ、10時を過ぎたため、急いでJRでオグマさん宅を目指す。結局11時45分を回っていた。
 14日、朝の10時から幕張メッセの電撃10年祭を目指したところ、11時すぎについたのに入場行列がまだ残っていて、結局8号館にたどり着く前に7号館のなかに待機列を作っていた。結局1時間以上かかって入場したものの、めぼしいものは殆どなく、買い物についてはすぐに諦めた。第一、混んでいた。そもそもスタンプラリーなんかやっているから混む上に走る奴らがいるのだが、とにかくそのせいで入場規制をかける事態になったことだけは間違い無さそうだ。思うに、足止め用の計画を混雑が予想されるイベントに持ち込むこと事態が大幅に間違っているのだが、それをやってしまった角川は痛い。おそらく、リアルこみパの7割程度には痛いイベントになったと思う。ハートフルコミュニケーションというイベントが近々予定されているものの、そちらがどういう結果になるか次第で今年1番の痛いイベントが決まると思う。まあ、少なからぬ人間にとって比較の対象は、規模的な面からして、リアルこみパ@2000年になるだろう。午後4時半からの某オス声優・松野太○らによる司会での閉幕イベント(本当に寒かった。最悪に寒かった。あそこまで寒い司会は見たことが無い、というほどに寒かった。せめて女の子にすれば、同じ程度下手でもまだマシだったのだが、よりによって松野である。南無三、電撃。)5時退場。その足で、そのまま秋葉原へ。少々回ったあとで、とらのあななどで因果な買い物をし、高架下にあるインターネットカフェ・NEPPALAでメールチェックなどを行う。そのあと、9時40分のドリーム大阪で帰還。
 19日、職場の学園祭初日。5時49分に脱出後、ソフマップ・ザウルス1の1階でH藤を拾い、6階で南里みやび師匠を拾う。そしてそのまま、心斎橋のRyugu亭へ。これは、翌日がコミックコミュニケーション4で、H藤に身代わりのサークル参加を頼むためだった。で、全員分奢る。ついでに、某みずいろの某ポンコツ日和先生にはまりつつあることを白状する。いいじゃねえか。そのあと、近鉄なんば駅上のあたりで食事のできるベーカリー(今回はHOKUOではない、念のため)があったので、そこでダベった。(本当はスターバックスにしたかったのだが、立ち席しか空いてなかった。)H藤は、一般参加経験も僅かで、サークル参加は当然経験なしだったので、いろいろと一般論の説明から行った。今回は、搬入関係はすべて南里師匠が行うため、基本的に守ってもらうことといえばサークル入場時間帯にちゃんと間に合うように入ることぐらいなのだが。(本当は、参加者と客の違いなどなども説明しておきたかったが、それは余りあるであろう今回の即売会の開催時間の中で語ってもらうことにした。)ついでに、H藤からBUFFALOのルーター・BLR-TX4を2000円で譲ってもらい、9時15分に解散した。
 20日、陶芸部の手伝いその他もろもろ。変わったこととしては、吉本の若手芸人を集めたイベントを行っていたのだが、陶芸部の窯が会場の裏側にあり、なりゆきから、警備担当のようなことをすることになった。で、目の前を吉本の若手芸人衆が右往左往するのだが、もともと吉本に全く関心が無い(吉本についての本音を書けば、どす黒すぎて読めなくなるぐらいどす黒い見解も持っていますが…… こちらはお仕事上の関係ですので、それはそれということで。)一時は、中庭から30人ぐらいが見物に押し寄せたのを一人で追い返すなどする。そもそも、立ち入り禁止標識がちゃんと無かったのが悪いのだが、私服を着ていた人間のことを簡単に信じた彼らはいったい…… 客だからこれ以上はいわないことにするが。 あと、警備担当になっていた某大学の学生諸君は本当に雨の中で頑張ってくれたのだが、彼らが反応しない代わりに何度となく(10回以上は)故意的な侵入者に対応することになった。あと、その場しのぎの口約束をしてしまったらしく、そこを口実に突かれたものの、傭兵さんはまんまとそれを受け入れてしまったらしい。「それはうちの担当者が約束したのですか? それは誰でしたか?」と尋ねたら愚痴りながら黙ったが、結局は誰がやったかは分からなかった。もしかしたら、警備上のポリシーについて打ち合わせが足りていなかったのかもしれない。この件はよい参考になった。


Oct. 11, 2002
 今日は参りました。職場で学生による威力業務妨害なケースが発生。
 ただ、こちらは館内端末のチャットとゲームのための使用を禁止しているだけなのだが、ちょっとだけ基地の外の世界に住んでいた方が暴走しちゃったようです。顔見られていて、証拠残しまくりで、それでもやったというのだから、なんと恥ずかしい人だ。

 新たな目標ができました。来週から、生活にハリがでそうです。

Oct. 10, 2002
 今週末から来週月曜までの予定が確定したので、
 「短期的不在予報」

 12日、10時ごろ出発。大阪駅で阪急線に乗り換えて、12時までに京都到着。2時半ごろに京都駅を出発し、5時すぎごろに東京到着。そのまま、ホテルニューオータニ東京へ。午後6時から祝賀会。10時半ごろに離脱。そのまま、サウナにでも転がり込む予定。
 13日は、逝くかどうかは決めていないものの、第5回アジアMANGAサミット日本大会 in YOKOHAMA(パシフィコ横浜・展示ホールBにて)に行くかも。その他の用事ができれば、そちらを優先。
 14日は、幕張メッセで電撃十年祭。その晩のドリーム大阪1号で帰還。

Oct. 7, 2002
 AMIのメーリングリストで、山口貴士弁護士がこういう記事を投稿していたので、転載しておくことにする。
 なお、山口弁護士は松文館の顧問弁護士という立場にあるそうです。
Subject: [ami-ml 1947] あらためて支援要請(転載歓迎) Date: Mon, 7 Oct 2002 10:34:40 +0900 コミック単行本が刑法175条により、出版社社長、編集者、作者の3人が逮捕さ れました。 10月3日 11:45 成人コミック出版で摘発(共同通信社)  警視庁保安課は3日までに、わいせつなコミック誌を販売したとして、わいせ つ文書販売の疑いで出版社「松文館」社長貴志元則容疑者(53)=東京都東久 留米市=と編集局長高田浩一容疑者(43)=東京都世田谷区、漫画家諏訪優 二容疑者(34)=埼玉県所沢市=の3人を逮捕、豊島区池袋の本社を家宅捜索 し、雑誌約9000冊を押収した。一般に出回っている成人コミックの摘発は全国で 初めてという。 2002 Kyodo News (c) Established 1945 All Rights Reserved [共同通信社] 逮捕された3人は全員10月12日まで勾留されることになり、さらにもう10日間 延長される可能性があります。 20日間のうちに、検察官は起訴するかしないかの決定をし、起訴されない場 合、3人は釈放されることになりますが起訴されてしまった場合、保釈が認めら れない限り、3人の身柄拘束は公判まで続くことになります。 そして、これまた異例なことに、接見禁止付きとなっています。 彼らは、弁護人以外とは親族でさえも面会できない状態です。 また、捜索押収自体が目的物を明示しない包括的な令状による違法なものである可能性 も判明しております。 戦う場合、到底、被告人や弁護人だけでは戦い抜けるものではありません。マンガ業界を含め、 より広範な運動にしていくことが必要になります。 皆さんご存じの通り、「被害者無き犯罪を裁く為に存在する」刑法175条は明治 時代から変わらず、法文の曖昧さ故に、しばしば官憲の手によって突然持ち出さ れ、多くの表現者を苦しめてきました。 裁判で争い、決着がつくまでには10年もの歳月を要することから、この法律と戦 うには人生の多くの部分を犠牲にせねばならず、表現者の多くはただ、官憲の言 うがままに、「易々と上げられる鴨」となってきました。 そして、映画や小説の分野では、多くの心ある先達がこの法と戦い、その業界の 自由を獲得してきました。 今回、マンガが槍玉に上げられたのは、マンガ業界がこの法律と、最後まで戦っ た歴史を持たない、若い、未熟なメディアであるからに他なりません。 マンガが、その歴史の未熟さ故に「ちょっと脅せば、またすぐに白旗を揚げる業 界である」という意識が、そこには確実に存在します。 しかし、ここで皆さんにお考えいただきたいのは、「それでは、マンガとは一 体、どのように猥褻であるのか」という点です。 ごく素直に考えれば、マンガとは所詮「絵に描いた餅」であり「全き絵空事」で す。 マンガとは、作者が原稿用紙に描いた線の集合体であり、それは「絵」と「文 字」の丁度中間に位置する、とても曖昧な表現物なのです。 そこには「被写体」も存在せず、多くの場合、「モデル」も存在しません。 「猥褻」の要件となるのは、多くの場合「人物の性器」です。 マンガを良く読まれる方はご存じてしょうが、マンガにおける性器の表現は、作 者の絵柄によって、非常に様々です。 マンガという表現物が、作者個人の描く曖昧な線によって構成されるものである 以上、同じ「性器」の描写であっても、その作者の個性によって、「猥褻」であ ったり、「猥褻」でなかったり…という事態が発生します。 これは、とりもなおさず、マンガを「猥褻」とする判断基準は、それを見る者の 主観による、恣意的な判断にならざるを得ない、ということなのです。 「性器描写」および「猥褻」を原理的に受け取るならば、「絵」や「マンガ」で は、「動物の性器」や「赤貝」などを描いても、それを主観的に「性器描写であ る」として、刑法175条を適用できてしまうのです。 そこで、「女性器」を考えてみましょう。 女性には、男性のように、外に向かって大きく突出した性器はなく、細かなディ ティールを割愛して描くマンガの世界では「一本の線」で表現されます。 では、「女性器があるべきところに引かれた一本の線」は、果たしてそれは「女 性器」なのか、という問題もあります。 マンガは所詮は「原稿用紙に描かれた線」でしかなく、それを「性器」などと 「認識」する作業は全て、読者の「マンガの認識力」に委ねられている以上、マ ンガという物体をしてその内容を「性器」または「猥褻」と判断することが、論 理的に正しくないのは、明白ではないでしょうか。 さらに、「江戸時代の枕絵などは猥褻ではないのか」という問題もあります。 こちらも皆さんよくご存じの通り、現在では「芸術的価値のあるもの」として、 男女の交合の場面を、性器の描写も含めて、子細に描いた枕絵が、「猥褻」とは されず、現在、極めて合法的に流通しております。 勿論、性器の部分にぼかしやモザイクなど、一切、入っておりません。 では、そのように「芸術的価値のある絵」と「マンガ」に、法的な面で、どのよ うな線引きが可能なのでしょうか。 「歴史的価値」の「歴史」とは一体、何年の「歴史」があれば、そこに「価値」 なるものが生じるのでしょうか。 勿論、ここで「全てのマンガは芸術である」と言い切れるものではないでしょう が、しかし、今回の判断は、あくまで憲法に護られた民主主義国家における「 法」の視点からの判断です。 「法」が、「芸術」と「芸術に至る可能性を秘めた創作物」の線引きを行って良 いものなのでしょうか。 それは、「真・善・美」の「善」が、一方的に「美」を規定し、それを貶める行 為なのではないでしょうか。 加えて言うならば、今回、猥褻であるとされたマンガは、性器の部分には「消 し」が入っておりました。 また、マンガ業界の自主規制によって「あからさまに性的文脈にあるマンガ作品 は、18際未満の読者が購入閲覧できないようにする」取り組みも行われておりま す。 今回取り上げられたマンガ作品は、表紙には明確に「成人向け」と記載されてお り、かつ、書店の店頭では、ビニール袋に梱包して、中身が見られないような状 態で売られていました。 現実的なゾーニングの処置は、既に成されていたのです。 一方、あくまで業界の自主規制によってマンガにおける性器描写に入れられる 「消し」については、今回上げられた本以外では、何年も前から、「まったく消 しのないもの」も市場に多く混在しており、それらが猥褻で裁かれることはあり ませんでした。 そういった現実を踏まえると、今回、「消し」があり、「成人向け」と明記さ れ、ビニール袋によるゾーニングまで為された本が「猥褻」とされることは、非 常に恣意的かつ粗雑な認識による、一方的な表現弾圧に他ならないのではないか と考えます。 ここには、純粋な意味で、表現をし、表現を受け取る「国民の権利」と、公序良 俗の維持のために、極めて主観的かつ恣意的な「国家による検閲」の対立関係が あると考えます。 マンガという「作者の内面からのみ表出された全き創作物」を、このように裁く ということは、「表現の自由」のみならず、「内心の自由」にも抵触する、極め て危険な行為であると考えます。 今回の事件は、それだけではありません。 例えば、写真雑誌などにヌードを掲載する場合を考えて下さい。 ヌードモデル、カメラマン、編集者が、それに携わります。 その雑誌が「猥褻」とされた場合は、「性器を隠蔽しなかった」という理由で、 出版社と編集者が裁かれるのが自然であり、単に被写体であったモデルと、撮影 をしたカメラマンは、それらが編集作業において責任を持つものでない限り、 175条に抵触するものではありません。 同様なことが、マンガにおいても言えます。 作者が、性器の描写も含めて描き、編集者が、自主規制により、性器の部分に 「消し」を入れた上で、マンガは市場に流通します。 マンガ家自身が、その自主規制の責を負うことはありません。 もし、マンガが「猥褻」たり得るとしても、そこで自主規制の責を負わぬ作者自 身が逮捕されるなど、極めて常識的に考えて、あってはならぬことなのは明白で す。 ですが、今回は、作者も逮捕されています。 これはつまり、「投稿写真」雑誌において、読者によって投稿された「性器の写 った写真」に編集者が「消しを入れなかった」かどで、その投稿者をも逮捕する ような行為である、ということなのです。 私は、このような暴挙は、民主主義国家において、到底容認されてはならないこ とだと考えます。 小説や映画において「表現の自由」を「勝ち取られてしまった」官憲が、今度は 未熟な文化であるマンガをターゲットにし、このような暴挙を働いている事実 は、今後、広く世に知らしめ、私たち国民の側から、国家による一方的な権利の 簒奪行為を、強く糾弾していかねばならないと考えます。 表現の自由を含む、私たち国民の権利が、このような粗暴なやり方によって不当 に侵害されることは、私たちの手で、くい止めなければなりません。過去の悲惨 な弾圧の歴史は、決して繰り返させてはなりません。 どうかこの件について、皆様のお力をお貸しいただければ幸いです。 最後に、担当の検察官は、東京都千代田区霞が関1-1-1 東京地方検察庁 和久本検事 です。抗議や要請のあて先はここになります。 :::::::::::::::::::::::::::::: 虎ノ門総合法律事務所 弁護士 山 口 貴 士 150-0001 東京都港区虎ノ門 5-8-15 相互ビル tel:03-3431-8793 fax:03-3431-3273 e-mail: yamaguchi@translan.com

 逮捕された漫画家はビューティーヘアといい、容疑事実となったのは「蜜室」という本らしい。(詳しくはhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20021003-00000171-jij-sociを参照のこと。)
 この事件の判決がどちらに転ぶにしても(検察側の気が変わって地裁どまりになろうが)、第3次闘争開催(あえて「開戦」とは言わない)の狼煙になる気がする。短期的には、影響力は期待できないものの、今週末の三連休にパシフィコ横浜でアジアMANGAサミットが予定されているので、そこでの反応が楽しみだ。



ついでながら、AMI-MLに22時前ごろに、10時間前の自分の投稿に対する反応が無いのは舐めとんのか、と言わんばかりの投稿があった。
オタク、待ったのってたった半日だろ? ……と吼えたがっている暴言袋の口を抑えつつ、援護射撃する。
そこまでネット・アディクトっぽい反応速度を求められるのは、会社のなかだけで充分だと思うのですが。


リンクを張る気すらしない・・・ > http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20021006-00000830-jij-soci
こちらは今日、自宅のすぐ近くにあるJAで起こった事件。> http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20021007-00000015-abc-l27
Oct. 5, 2002
 一昨日の夕方、アニメイト経由、小池診療所(皮膚科)経由で、歯科矯正の調整に行く。その結果、いまだに調整後の痛みが抜けないうえに、口の中にときたま血の味がする。それでも、歯列がかなり改善されているのを感じるし、両奥歯が同時に噛み合うようになってきた。その結果、実際は大して変わっていないのかもしれないが、歯の内側の空間がかなり狭まってきた感じがする。その原因の一つには内側の矯正具が付いていることもあるのだが、これともあと2ヶ月ほどでオサラバする予定だ。痛いのは我慢する(できる)が、一番厄介な<物が挟まること>は歯ブラシを使わなければどうにもならない。特に出先では、これがとてつもなく厄介なのだ。これから3ヶ月、非常に慌しくなる予感がするものの、少なくとも歯ブラシの分が差し引かれることを思うと、いくらかは気が楽になる。
 医者行脚と即売会行脚とのあいだに、その中毒性において、何らかの相似点があるような気がした。
 順調に、左足親指付け根下の魚の目は退散しつつありますが、その隣の小さい奴をいつになったら始末し始めるのか心配になってきました。まさか、まさか、育つのを待っているわけではあるまいな。

 さて、昨晩はCD-ROMドライブがWin2000から認識されなくなって慌てた。異常のあるデバイスと認識されて、「コード31」がうんたらかあたらとのたまうようになった次第。原因は、直前にCD-Rのライティングソフトをいれたことと関係しているかもしれないが、因果関係はともかく、そうなった。ドライブをWin2000から削除して、自動認識させてもまったく直らず。結局、マイクロソフトのサポートから引っ張ってきた対処法に従ってレジストリを修正したら一発で解決した。

腹は減るは、物は食べづらいはで…… 思考が停滞気味かも。

Oct 2, 2002
基本は四半期ごとなので、そろそろページ替えをしなくてはいけないが、それはまた今度。
とりあえず、先週金曜日からのことどもについて。

 木曜日、新大阪へ研修のために出張の後、なんば高速バスターミナルからドリーム難波・堺で22時20分に出発。
 金曜日、7時前到着のところを40分強ほど早着する。8時ごろ、泉さんに拾ってもらい、そのままつくば号と同じコースで一路つくばへ。千現経由で図書館情報大へ。10時より統合記念行事に出て、講演はサボって学内をうろつき、そのあと学食で昼食を摂る。アルスにあるつくば市立図書館へ行ってみるも休館日。しかたなく民家園でしばしくつろぐ。1時半より、アポイントのあった田畑先生(副学長)と磯谷教授、森事務局長ほか事務官二人と面会。例の一件について経緯の説明と、謝罪を受ける。2時より、卒業生に仕事の中身を説明させる行事に参加したが、このときの司会が山本順一先生(法学、ただし参考調査論分野での著書もあり)で、質問タイムに誰も質問しないもんだから指名されて、一つ質問出しました。2時ちょっと前に「これからどんな恥ずかしいことやるんすか?」と尋ねてしまったことへの復讐だったに違いない。
 5時からは体育館で会食。1年後輩の荒井君が大庭教授のところにいた。M4になっていて、大庭先生のところの助手だった(今はどうか知りませんが、私のときは官公庁資料論演習を担当されていた)後藤先生のもとで研究しているとのこと。研究内容についてここで書くつもりはないが、多少は私の関係先のかたがたをご紹介できそうだったので、その旨を伝えた。(ちなみに図書館情報大学の学則によると、学部は6年生、修士は4年生までしか在籍できないようです。<= 原文が手元にないので怪しいですが。) 11時ごろに泉さん宅に到着。それまでずーっと寝てましたが。そのあと、CSで「スチュワーデス物語」を見て笑う。こんなに笑える番組だったとは。どじっ娘萌えの源流がこんなところにもあったのか、と再認識した。ちょうど、最終試験の回で、英語の口頭試験で阿波踊りを踊ってしまったドジでノロマなカメが痛かった。
 土曜日、7時50分発のアクシー号で鴨川へ。9時50分ごろ鴨川駅前に到着。M氏に拾っていただき、天津小湊方面をドライブ。そののち、お宅経由で牧場へ。小雨の晴れ間に写真を撮りまくる。捨て猫されていたという4匹のメス猫を徹底的に猫じゃらしでじゃらして悦に入っていたのだが、幸せの裏には不幸せがあるもので、即効性猫アレルギー発症。寝不足が祟ったのかもしれない。その晩は、かんぽの宿で入浴ののち、レストラン「KIDS」の少し北側にある「わどう」という食堂で夕食。寂れた80年代初め風のドライブインを思い起こさせる、土産物屋併設の食堂だが、秘密がある。 その晩、先生と3人でいろいろお話したあと、お宅に泊めていただいた。
 日曜日、あさから自家産の米・野菜に、「くじらのたれ」(といっても液体ではなく、鯨肉をたれにつけたもの)や鯨のベーコンなどをいただく。鯨関係は昨日のドライブのかえりに買ったものだが、これは捕鯨船の母港が付近にあるためである。9時半に出立し、10時のバスで東京へ。1時ごろに川崎に到着。「ぶんぶん」へ。考えてみれば、蒲田から川崎へは1駅だから何の不思議もない。Million Means=オグマさんとこに行ってみると食事に出たばかりだと言われたが、直後に同じ島の点対照的反対側で駄弁っているのを発見する。その直後、本部席で、スタッフになっているきんちゃん=南里みやび師匠を発見。1週間前に徴兵が決まったらしい。(次回はComic Communication 4前夜の、19日土曜日に大阪でお会いする予定だ。日程のめぐり合わせが悪く、19日20日は学園祭で出勤になっていた。そういや、Comic Communicationの1か2のときも土曜出勤だった。)そのあと、オグマさんと付近の中華料理屋で昼食を摂り、会場に帰ってからは編集中の本の原稿を見せてもらった。希望のかけらはどこにあるの、と呟いてしまいそうな記述の山は不謹慎ながら笑うしかないような代物だった。そういう代物になったのは、すべて元ネタを作った人間どもの責任であるのだが、夢と希望の残骸を指摘する記述を中心にダイジェスト版を作ってもきっと楽しい本になることだろう……と思った。(ダイジェスト版を出すなら、ぜひ文庫本サイズで!(笑)) 毎度毎度、何を間違ってか人をオタクだと思い込んでいるMillion Meansの諸氏は4時前に撤収していった。4時からの懇親会では、南里師匠ほか1名様と本部席でだべらせていただいた。ついでに、撤収に最後まで付き合っておいた。5時45分ごろ、自分だけ撤退した。そのはずだったのに! なぜか、秋葉原に着いて、松屋の並びにあるヒロセビル1階で「東京マニアックス」をやっていたのだが、うしろから膝カックンをする奴がいて、振り向いたら南里師匠だった。これだからオタクって奴は、もう(笑) しかも、よくよく見ると、「ましゅまろCLUB」さんがオタク向け扇子を売っていたので、しばし語らう。なお、会場内に「エンジェル グラフィティ」(まつもと泉原画のゲーム)のフィギュア3体を発見。ただし、1体に3000円近くを払う気にならなかったので購入せず。そのあと、ヤマギワのソフト館前で別れて、自分はMary'sへ。勘違いしていたのだが、土日は終日コスプレの日だったようだ。これも10月からは店名が変わるらしい。お皿とかもったいないな……。そのあと、メールチェックをゲラゲラで済ませて、8時半ごろに秋葉を出発、9時10分の青春ドリーム1号で帰還した。翌朝は6時半に自宅に到着した。


 12日にこういう行事があることが判明。またもやバッティングかい!(涙) どうして同じ日に三つも三つも三つもあるんだ!!!!!!!!!!!! サイン会は諦める。それはいい。だが、だが、だが、運命のいぢわるはどうしてこうもアレなんだ。嗚呼。