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This document is a dairy-like essay written in Japanese.  

 このドキュメントは日記のようなもので、憂さ晴らしで書いているようなもの(或いは、夜中に井戸に叫んでいる声をテープから起こしたようなもの)も含まれています。仕事関係については、図書館員として一般的な作業については何ら差し支えないことと考えられるので書きますが、それ以上のレベルではあまり書かないようにしています。これは業務内容に関する守秘のためですので、ご了承下さい。通常のブラウジングで読める範囲は、日記の中でも特に差し支えない部分だけであり、私の本音のうち公表するのには問題がある部分はすべて埋めてあります。

1996年〜1997年の記憶 Memory of the year 1996 & 1997
1998年の記憶 Memory of the year 1998
1999年第一四半期の記憶 Memory of the first quarter of the year 1999
1999年第二四半期の記憶 Memory of the second quarter of the year 1999
1999年第三四半期の記憶 Memory of the third quarter of the year 1999
1999年第四四半期の記憶 Memory of the fourth quarter of the year 1999
2000年第一四半期の記憶 Memory of the first quarter of the year 2000
小熊さんの日記 「哀愁日記:底に哀はあるの」
小熊さんの当サイト向けリンク 記述の内容については一切コメントいたしません! 
職場の先輩「あやりんまにあ」Tさんのページ:けろむこっとはうす
Jun. 30, 2000
 とうとう6月の末日になりました。この日記は四半期ごとに切っているので、この次の更新があったときに、いつもどおり、4月から6月の分を別のファイルとします。

 昨日は、大阪ガーデンパレスで業界団体としての初任者研修会があった。内容については省くが、その帰り道に、某女子大学に今年新卒で採用されたというお二人と話が合って、新大阪駅への道中ずっとハイテンションだった。
 最初に、自分はヘキラー(= 椎名へきる(声優説、歌手説、その中間であるとする説など、多説ある)のファンのこと)だが、どう思うかと切り出してきた。その時点で、あとの確信に繋がっていくような、予感はあった。そこで、へきらーを外道な連中とは思わないけど自分は丹下(〜桜)のほうが好き、と答えた。萌えらー(初めて聞いた言葉だが、意味は明確に想像できた)だともいうので、自分も(木之本)さくら萌えだと答えた。(ここで「月宮あゆ萌え」と言わなかっただけ、踏みとどまったと解釈して欲しい。)たぶん同じ人種であることを確信した。だが、この会話に、もう一人はついていけなかったらしい。
 これは常につきまとう問題だが、「萌え」の意味・「萌え」の感覚を伝授することはかなり難しい。瞬間発火する感情、ろりぷに、すさまじくかわいらしい……… など、その外延を説明することは出来るとしても、それに該当すると思しきものどもを上げたところでそれは個人個人で違う。だって、カエルやネコに萌えを感じる御仁だっているのだから。御堂筋線の改札前でお二人とは別れたが、宿題として、セラムンの土萌ほたるの出場する回を「何か」を感じるまで見ること、を提案しておいた。お二人からメールが来るのを心待ちにしている。

 そうそう、忘れてた。
 そのよくわかるほうの方は、ちびうさ萌えらしい。でも、ボクにはぜんぜんわからないや(笑)

 Webサーバーのログ(0時30分ごとにログが切れるので、厳密には昨日分だけではない)を落としたら、1543KBあった。これは、犬山あきらさんとこの分室にあるチャットが大盛況だったからだが、彼女の18歳の誕生日だった28日の晩にプロバイダーが障害を起こしたために、チャットが翌日に順延されたという事情が大きく影響している。誕生日である28日をもってホームページを閉鎖して、受験勉強に打ち込むらしい。寂しくなった。

 月曜に、昨年末の交通事故につき、示談を受け入れた。3月時点での示談金の9倍程度の金額だが、それはそのときの金額が通院日数の関係で示談金としては極端に低かったので当然の結果である。少し疼くことはあるけど、仕方がない。金額なんて、上を見たらきりがないし。痛みは一応引いたので、事故から半年ということで、ここらで手を打つことにした。
 いまの心残りは、警察の事情聴取で「相手に厳罰を望む」と言わなかったことだけだ。
 先週の木曜の昼、不在者投票が出来る場所に向かおうと、職場横の駐輪場で自転車を探しているとき、よく自転車整理や北門の門番をしている警備員Mさんと話が始まった。たまにお話はしていたのだが、ふと実家の方の選挙人名簿に基づく投票をするので不在者投票に行くことになったと説明したところ、実はH藤と同じ土地の出身であることが判明した。広い意味で、同郷の人だったことにお互い驚いた。
Jun. 25, 2000
 木曜日の昼休み、不在者投票について訊くために職場近くの市民サービスセンターへ行く。不在者投票の案内が3月まで住民票のあった地元より届いていたのだが、結局水曜日に速達で投票用紙や選挙権があることを証明する書類など一式が届いた。生駒方向に5、6駅先の瓢箪山駅まで行かなければならないものの、夜の8時までだったので余裕で行けることが判明。早速、長瀬駅の駐輪場に自転車を停めて、布施経由で奈良線瓢箪山駅へ。駅の北にある商店街を抜けてしばらく歩いたところにその建物はあった。(徒歩で10分弱ほどだろうか。)階段で3階に上がり、説明を受けて、投票。なお、地元の選挙区では参議院の補欠選挙も同時に行われるため、参議院についても投票。最高裁判事については、一人を除いて全部×をつけた。
 その後、この日に発売予定だった本をとらのあなに取りに行ったのだが、店員が金曜に入荷するはずだというので、土曜日でいいですかと訊いたら土曜日でまず大丈夫だと答えた。だが、その一言が土曜日に問題となった。入荷してなかったのだ。
 24日の土曜日、11時半のはずだったが遅刻して、その4分後に京橋駅近くのミスタードーナッツでH藤と合流。頼まれていたデータが入ったCD-Rを、奴の持ってきたCD-Rと交換。さらに遅刻してきた、大東市に住んでいるという彼の友人、丸山君がさらに合流。やはり、CD-Rを交換。遅刻の罰にと、自分のまだ飲んでいないアイスコーヒーに砂糖3杯を入れ、さらにシロップを足して差し出した。だが、やはり砂糖がよく溶けなかったため、程良くなってしまった。逆に、自分が最後の方になって甘々ワールドに突入してしまった。お断りしておくが、この日は丸山くんがいたこととH藤の血糖値(ヤバイらしい)のために、恒例行事「Yes2甘々」は行われなかった。残念だ。東京土産ということで、東京ばな奈をいただく。好きなお菓子だ。彼に、4月にリアルこみパに参加したことを告げたところ、驚いてくれた。BR>  地下鉄で、長良橋経由で恵美須町(日本橋電気街、でんでんタウンの真ん中にある駅。ただし、とらのあな・大阪なんば店へは近鉄日本橋から歩いても変わらないので、いつも歩いている)へ。 捜し物は、帯に大きく『「うぐぅ」』と書かれているだけで(ということはないだろうが、とにかく)売れているらしいKanonビジュアルファンブック(奥付上は30日発売。ISBN:4-7577-0039-3、税抜 2500円)と、"Feeling Heart"(ゲームとは違うバージョン)などを収録している中司雅美のアルバム「雨」(キングレコード:KICS-5001、税込3059円)。
[お断り:6月5日のこのアルバムに関する記述で、「いても立ってもいられない♪」と書きましたが、この歌手の歌ではないものです。紛らわしいと後悔しているものの、基本的に過去の日記は書き直さないので、ここでお断りしておきます。別に勘違いしていたわけではないです。]
 前者はソフマップで、後者はゲーマーズで購入。そのあと、予約していた本を受け取りにゲーマーズの真上にあるとらのあなへ行ったのだが、無いという。
木曜日の晩に、土曜なら大丈夫ですね?と確認したから来たのに、「入ってません」だと?
往復で500円を払ってこの店まで来ているのに、無駄足を踏ませてごめんなさい、また来てください、だと。なんだそれは!
といった調子で詰問する。予約の際に自分の氏名・電話番号を記した紙を渡したにもかかわらず、納入が遅れる見込みであることが判明した時点で連絡をよこさなかった不手際があったために発生した、二度目の無駄足だったので、さすがに頭に来た。結局、注文を受け付けた人は誰かが判明した。虫の居所が悪いときは、アルバイトであろうともその人物のフルネームを訊くのだが、そこまで闘争的な態度にはなりたくなかったのでやめておいた。(アメリカでは子供をしかるときにフルネームを呼ぶらしいが、その応用だ。特に日本人相手には効く方法だろう。)とにかく、確認もしないで、あてずっぽな返事をしないように徹底するよう強く要請する。「自分としては、本さえ手に入れば何も言うことはない」と伝え、入荷したら直ちに連絡するよう頼んでおいた。なお、その後、くいだおれで晩ご飯にお好み焼きを食べてから、なんば方面に戻る最中に、店長より携帯に丁寧な謝罪の電話が入った。 実はこの方には、自分のためではないものの、あるお願いをしたことがあったので、相手が「そういうやつがいたなぁ」と思い出さないよう、ひたすら「本さえ買えればいいから、気にしないでください」を連発。 マジで忘れていてくれないかなぁ(笑) その後、ゲームのあるほうの売り場に移動。先ほどソフマップで見かけた「カノソ」という同人ゲームをまたも見かける。毎回、H藤とこの場所に来ると「カノソ」の話題になる。[注:Kanon(カノン)のブラッディかつ精神崩壊気味なパロディ。] いつ見ても、嫌すぎぃぃぃぃぃぃぃ。(でも、好き。)
 その後、南海なんば駅手前のマクドナルドで生姜だれバーガーを食べる。飲み物を、せめての甘々に、と抹茶シェークにする。丸山君のバーガーやH藤の生姜バーガーに抹茶パウダーを振りかけることを試みるも、失敗。
 その後、角を折れて、北に入ったところにあるBOOK OFFで本を読む。Jump j Booksの、鳴海 丈(なるみ たけし)「完殺者真魅」(税抜100円。ISBN:4-08-703007-5)を購入。実は、この本の本文に用はなく、欲しいのは奥付の一文だけだった・・・とだけ書いたら敵が増えるだけなので、事情を説明する。
 その一文とはp.239 l.16-17の『第一話は「ジャンプノベル」VOL.1に掲載され、まつもと泉氏にイラストを描いていただいた。』という一文だ。実は、実物を読んだことがあるのだが、それを全部スキャンする気力は私にはなかった。というのはページ数があまりにも多すぎるために、A3対応スキャナーがないととてもやっていられないことが明らかだったためだ。幸い、頼めば、もう一度貸していただけるらしいので、できれば冬のボーナス一括で大きなスキャナーを買いたいと思っている。
 その後、淳久(ジュンク)堂書店の前を過ぎて、くいだおれに入る。おこのみやきを食べに行ったのだが、抹茶シェイクが効いていた。ちょっとだけ重たい。ゲーセンの前に置かれていた「サンバでアミーゴ」に目が留まり、丸山君と二人でプレイ。(道中で、DDRですらコントローラーが売られているぐらいだから、サンバでアミーゴ のコントローラーがあってもいいんじゃないか?という話題になる。PCでやるときに、タブレットを2枚使って、両手のペンで突っついてプレイしたらどうか?と言ってみたところ、たちどころに却下された。当然だよな、不気味な光景だし(^^; ) 橋の手前で右に折れて、松屋の左隣の地下にあるお好み焼き屋でブタ玉(H藤と自分で各1)とイカ玉(丸山君)をオーダー。(なお、年齢は今の順番通りである。)
 その後、セガのゲーセンがあるビルで、Hyper JoySoundで唄いに入ったものの、運悪く、セガカラとも30分まち。あきらめて、1階降りて、3〜4階にあるセガのゲーセンに入る。リズムマニアの横でアブノーマルチェックを3人でやったのだが、リズムマニアはうるさすぎる!利用者のみならず、周囲の筐体で遊んでいる利用者の耳を破壊している点で問題がある。3階に降りると、試験機(?)らしいのだが、トラックの運ちゃん体験ができるドライブシミュレーターがあった。クラクションを連打すると前方を走る車が「人情避け」してくれるので、ひたすらクラクションを連打して、ハンドルを回すゲームである。片側2車線とか1車線でトラックが追い抜きするな、と思うのだが、ゲームの世界だから笑って済ませられることだ。ただ、実際のトラック運転手がアレで練習していたら嫌だなぁ(爆)

 いま、25日の午後10時1分。選挙特番で、田中真紀子に何の脈絡もなく「この髭はお父上を真似したんですよ」と久米宏が言っていた。そうしたら、逆にその頭を「パンチパーマ」と言われて困惑する久米。 どうでもいいのだが。[自民党の現時点での議席:128]
  テレビ東京www.so-senkyo.comを設けて、アンケートなどを受け付けているらしいが、サーバーが重すぎて繋がらない。
Jun. 19, 2000
 先週水曜日(14日)午前10時35分、父方の祖母が亡くなった。死因は、日曜日(11日)の3時から4時の間ぐらいに発症した右脳内出血のためだ。そのとき、1年半ほど入居していた養護ホーム千木園でカラオケ大会をやっていて、本職の入れたコーヒーを飲みながら「もう1曲唄う!」と張り切っていた最中、突然倒れたらしい。  たった8分遅れで、死に目にあえなかったことが、悔しい。
 発症するまでは特に関連する疾病があったわけでもなく、また頭・言動も非常にはっきりしていた。全くに突然のことだった。白内障の手術を終えて、発症の日の午後にそれまで千木園へ、母に連れられて戻ったばかりだった。そのときは何もなかったのだ。そして、その日の晩、父(祖母の次男)はCTスキャンの画像を見せられて、絶望的であることを確信した。祖母は大正5(1916)年の生まれである。84歳なので、頭蓋を切って血を出す手術のストレスには体力的にも耐えられないであろうし、仮に助かることがあったとしても半身不随は避けられないであろう、という理由から医師は手術を行わないことを勧めたそうだ。(65歳ぐらいなら手術を検討するらしい。) そして、発症の日から3日目の朝、祖母は大往生した。医師によると、死の5分ほど前から心拍が急に弱くなり、特に苦しむことなく、逝ったらしい。(遺体の鼻や枕元のタオルからすると、少量の鼻血を出したらしいことが見て取れた。)
 その前日の火曜日、サンダーバード1号で9時41分に金沢につき、10時頃に淺野川病院について、50分ほど見舞った。時折、手を握り返してくるものの、昏睡状態なので会話も何も出来たわけではない。打撲による内出血の痕はあったものの、手は非常にきれいで、爪のあたりなどはあの年齢にしては申し分がないほど美しかった。その時点では、いつ死んでもおかしくはないとはいえ、それが長ければ1〜2週間ほどのなかのことであろうと誰もが思っていた。自分も母も、その翌日に同病院の駐車場に入ったところで携帯に様態急変の報を受けるまでは、まだ大丈夫だと思っていた。だが、そのあてずっぽな推測は大はずれだった。母が裏手の立体駐車場に車を止めて、何も持たずに自分だけ632号病室へ走った。だが、そこには祖母しかいなかったので、ナースセンターで名乗ったところ、医師が来て、心停止を告げられた。そして、「亡くなったのですね?」と聞き直したところ、そうであると答えた。説明されたことは、その時刻と、苦しまなかったことだけだった。この場合、それ以外に答えるような内容はないのだから、短くて当然ではある。そして、3,4分してから、母が廊下を駆けてきたが、手を振って、遅かったことを教えた。その日の朝、10時に開店する近場の繊維ものの安売り店で、病院で使うためのタオルを買っていたのだが、そこに行かずに真っ直ぐに病院に行っていれば間に合っていたので、母はそのことを非常に悔しがっていた。その日の朝方には小雨が降っていたが、その日の昼から晴れていき、金曜は所々青空が覗いていた。ただ、土曜は雨となった。
 ほどなく父、そして伯父が到着し、ナースセンターのなかで、3人で医師より説明を受けた。そして、その日の朝にも一度見舞いに来てくださっていた、祖母の里の方が到着した。(祖母の里は春日町なので、同病院からはそこそこ近い。)
 話は葬祭業者のことに移った。病院の出入り業者は北陸葬祭らしいのだが、一族の多くが住む村(今では「町」になっているが、慣例として「村」と言っている)に近い泉ヶ丘にある泉ヶ丘紫雲閣((株)サンレー)を使いたかったので、そこに電話したところ、空きがあるとのことなのでお願いすることになった。12時半にキャスターを持って、社員が来た。そして、ごく簡単な打ち合わせの後、式場に直に行くことになった。普通は家に戻るのだが、それができなかったのだ。というのは、前日=月曜日の午後、に自分の部屋よりも凄まじい状態にあった祖母の部屋(2世帯住宅から風呂を抜いたような感じで、同居していた。つまり、実家のある場所には祖母と父の二つの世帯があった)を母と産廃業者さん、そして細川さんの4人で掃除したのだが、そのとき畳屋さんに(祖母の部屋の一つである)仏間の畳を直しに持っていってもらい、金曜に美装屋さんに入ってもらったあとに畳を入れることになっていたため、祖母の部屋は全面的に使えなかったのだ。もちろん、実家の方の区画にも座敷もあるものの、美装屋さんが来るため、祖母の荷物を移動してあったので、使えなかった。そのような事情から、式場の横にある、僧侶控室に安置することになった。祖母とそこで再び対面したのは1時か、1時半頃だった。そして、二つの分家筋の方々に来ていただき、「村」の慣習などについて伺いながら、打ち合わせを進めていった。金沢での風習に関する部分について、順不同でその一部を紹介する:
・ 喪主は伯父が勤めることになった。場所によっては、喪主以外に喪主の兄弟も白い着物を着るらしいが、喪主のみとすることとなった。ただし、伯母、母は着物を着ることとなった。(ちなみに、伯母の長女は着付けの免状を持っているらしい。)
・ 通夜振舞は、親族とその関係者用には大膳を、それ以外の、村の方には折り詰めを用意した。中陰については、福井・大阪ではにぎり寿司のような生臭系がでるらしいが、金沢は全くの精進料理である。
・ 香典返しは、金沢では金券だけでは絶対に送らないので、そのためにヘボい靴下・ハンカチなどを付けているらしい。ただ、結局、"As you like"(登録商標? カタログによる、メール・オーダー)になった。伯父が言うには、出席した結婚式の2/3ぐらいがそれらしい。(今年はじめにあった、伯父の3女の結婚式もそれだった。)確かに、あれは便利だ。
  
 その後、お坊さんが来てお経を上げ、段取りを打ち合わせた。本葬儀では、東西南北の4人でやってもらうことになった。
 木曜日は7時から通夜だった。昼の間は、何度か式場と実家を往復。4時頃に貸衣装を受け取り、着替える。1時間ほど前から、式場に詰める。従姉妹やその旦那さんたちと対面。親族は先に焼香する。通夜の式自体は8時前には終わった。通夜振舞では、従姉妹の旦那さんsや従姉妹とともにビールの配達?や、お猪口を取りに行ったり、コップを取りに行ったりと、なかなか食べる暇がなかった。最後の方になって、やっと端っこの方で食べることが出来た。(ちなみに、弟妹はずっと座って、話し相手に捕まっていた。はぁ・・・・・面目ない。)
 金曜は10時に親族の写真撮影があったので、弟妹と9時半に出発したのだが、弟が革靴を履いてこなかったり、妹が寝坊したため、実質的に9時40分の出発となった。まあ、10分ちょっとでついたので問題はなかったが。10時20分ごろに写真撮影。11時より本葬儀が始まり、45分に出棺。12時半に西泉(西金沢駅近く)にある、市営の火葬場へ。最後のお別れをする。主に、坂主さんや伯母の母にあたる方といろいろお話しする。1時20分ごろ、骨となった祖母と対面する。全く、怖いとも気味が悪いとも思わない。不思議と清潔な感じすら受けた。(いま思えば、清潔という点については、高温で焼いていたのだから確かに間違ってはいない。腐敗して白骨のみになったわけではないのだから。)喪主が喉仏を柄杓の頭だけのような入れ物に入れ、その後、骨壺に皆で骨を拾い入れる。やや不謹慎ではあるが、スーパーの詰め放題のような類のやり甲斐を感じてしまった。本当は骨の多少の問題ではないのだろうけど、でも少しでも多く入れようとするのは、祖母自体を少しでも現世に留めておいておきたいと皆が勝手に思うからなのだろうし、自分もそのように思った。でも、骨の一片だけでも、もしかしたらその役を達するに足りるのかもしれない。とにかく15分か20分ほどで、すべては終わった。2時頃から中陰が始まった。2膳ほど食べることになった。無情にも、一番上の従姉が2膳余っていたうちの1膳を運んできた。最終的に、だいぶ苦しくなった。(※ その晩、下痢になりました。) 貸衣装から着替えて、家族で5時ぐらいに帰宅。仏間にテーブルで祭壇を作り、遺骨を置く。
 土曜日は朝9時からお経が上がることになっていたため、伯父夫婦もそれまでに到着。初七日までは毎日、朝7時に来ていただくことになる。(日曜だけは午後9時か9時半。)香典の内訳はExcelファイルになっており、しかも式場全景の画像もデジカメで撮って繋げたものを戴いた。デジタルな時代だ。本当はこの日に帰るつもりだったが、翌朝帰ることにした。
 日曜日の朝、8時6分のサンダーバードで大阪に帰る。急遽、H藤に電話して、梅田で合流。カラオケで、"Last regret", "Sound of Destiny", "White Album", "Feeling Heart", "それぞれの未来へ" などを唄う。その後、T-ZoneでSCSI-2のケーブルを購入し、いつものことだが「Yes2甘々」となった。激甘に耐えて漢を示すという、恒例行事である。一口茶屋でたい焼きを買って、「うぐぅ」のかけ声とともにほおばる。(本当は買ったたい焼きを、H藤から奪い去り、喰いながら逃げるというパフォーマンスも案として出てきたのだが、さすがにそれはやめておいた。) その後、英國屋 -North-でストロベリーワッフル(430円)にシュガーシロップを二つ投入して食べて、あまりの甘さに目が辛くなった。アイス・カフェオレで鎮めようとするも足りず、ひたすら水を飲む。H藤はH藤で、ワッフルの刺さったストロベリー系パフェをプレインワッフル(350円?)にかけて、中甘ぐらいの味を楽しんでいた。 どっちにしても、二人とも気持ち悪くなったので、おでんを食べた。 が……………… 大根、こんにゃくとともに、黄金もちを頼んで、何気なしに食べたのだが、魚肉練り製品で餅を包んだものであることに食べた直後、気がついた。 こうして、もろに生臭なものを食べてしまったため、精進な食事は終わりを告げた。
Jun. 12, 2000
緊急事態のため、ここ一週間ほど連絡がとりにくい状況にあります。
予定としては、今晩から数日、実家に帰っているはずです。
お急ぎの事柄がありましたら、携帯まで連絡をお願いします。

 一昨日から昨日にかけて、名古屋に行って来ました。その目的は、一昨日の村山由佳先生講演会in名古屋大学学園祭「名大祭」とそれに合わせたオフでした。今回は幹事じゃないものの、元祖的な幹事衆の一員として『念のために見てるだけ〜〜〜』だったのですが、特に何もなく済んでよかったです。[いまだに、この「元祖的な幹事衆」の5人は、自らをどう呼ぶか決めかねている。名案が無いのだ。(そもそも、選ばれてもいない、実態としての幹事なので、主催したオフ以外の場所では幹事を名乗ることもない。でも、ただのオフの幹事経験者というのとは、いろいろな点で違うのは確かだし、その点は非常に自覚している・・・・ 特に決めないと差し支えがあるわけではないんだけどね。)]
 一昨日=5月10日6時55分に長瀬で乗車、鶴橋へ一旦向かい、そこで7時5分発のアーバンライナー(八木で一回止まるだけ)名古屋行きに乗車。9時15分に名古屋到着。あおのさんと連絡を取りながら、タワーズにあるJR高島屋に挟まれた、『広い方の』桜通口の2階(タワーズの案内窓口などがある)で落ち合った。そして、その場に東京で会ったことがあるような方々とLaputaさん(村山由佳ML管理人)が疲れた表情でやってきた。夜行で来て、5時頃から駅にいたらしい。そして、9時半から45分までの間ぐらいに、「御大」「大御所」など様々な呼び方をされているピノコさん(おそらく日本最初の村山由佳系ファンサイト開設者)が来る。10時半頃になったので、オフの集合時刻の11時半までを喫茶店で過ごすことに。高島屋2階のフランス語名の某喫茶店を見に行ったら、コーヒーのセットで1000円ぐらいかかることが判明したので、却下。結局、地下街・「ファッション1」通りにある「黐木」という喫茶店に入る。そして、オーダー(自分はカフェラテ・420円(内税))を出したすぐあとに、涼さんから到着したとの電話が入ったので、迎えに行った。だが、あることを知らなかったために、なかなか合流できなかった。それは「桜通口」は地上1階だけでも二つあるということである。片方は駅を横切るコンコースに直結している広いほうで、もう片方は桜通改札にぶつかる狭いほうのもの。電話で「桜通改札からでてください」といえば問題がなかったのだが、桜通口が狭い方の一つだけであると思いこんでいたため、「桜通口に来てください」と言ってしまったのだ。結局、合流に5分はかかった。とにかく、涼さんを誘導して、喫茶店へ移動。カフェラテの泡など消えていた。新きまオレのなかの一場面をふと回想する。11時20分頃までダベって、それから先ほどの集合場所(オフの集合場所ではないものの、それを室内から間近に見られる場所)へ戻ると、「夜明けまで1マイル」を持った怪しい……… より正確に言えば、いわゆるデンパ強度が非常に高くて、辛い感じを受ける男性がいた。  皆が「お前、先に行ってこい」と無情にも押し出すような感じだったので、確か裕樹港さんが名古屋駅集合場所の担当者のはずだという一抹の棄却できない仮説を懐に抱えつつ、向かった。すると、彼は「1マイル」を持ち上げて見せたので、こちらも答えねばならないと、荷物よりサイン本にしてこれまでの様々なオフで使用してきたソフトビニールケース入り「1マイル」を掲げて、応じた。 この「会話」は終わっている証である、とこのとき悟ればよかったのだが………
 とにかく、ファーストコンタクトがうまくいったらしいと見届けていた、というより監視していた関東組(+信州組)の方々はあとに続いてやってきた。そして、地下鉄で「大山」まで向かい、バスで名古屋大学へ。(そういえば、院の同期で院生室が隣だった、コンピューター系のSさんもこちらの博士に在籍しているはずなのだが、現在のメアドすらしらないぐらいなので、ご挨拶は出来なかった。)バスが着いたのとは反対側にある経済学部キャンパスへ行き、一旦、その入って左側にある建物の前で止まる。 そこで、ふと幹事はまだ合流しないのかねぇ? と関東+信州組に聞いたところ、口々に「あの人がそうだよ。気がつかなかったの?」と言われてしまう。超のつくことが至極適当であるほど、無念。普通に話していて、怪しみながらも、そのことに気がつかなかった自分が悔やまれた。そして、オフ主催者であることが判明したその人物--- 実は、我々に対して、トラブルを過去に起こしていた人物 ---は焼きそばとお好み焼きを持ってきたので、食べる。それから、12時50分ぐらいに会場のある、先ほど書いたところの建物に入り、入場の手続きをとる。そして、会場外をちょっとだけ散策して、戻る。講演は、予定より2,3分早い1時27分ごろに始まった。内容は、馬頭町で聞いたものと8割程度同じものだったが、新しいトピックもいろいろ含まれていた。 講演のあと、名古屋大学にこの日来ていた友人とちょっと会いたかったので、団体行動から外れることを言付けして、離脱。無事、合流することができて、2,30分ほどお話しをした。直に会うのは数カ月ぶりなので、非常に嬉しかった。そのあと、ピノコさんらとともに、名古屋大学の外にでて、坂をちょっと上ったところの交差点で、どうやってサッポロビール名古屋工場併設のビアホール=飲み会の会場に行こうかと頭を悩ませていたところ、いつのまにかオフの幹事がタクシーを捕まえに、交差点の反対側にたっていた。タクシーが1台捕まったので、あおのさん・Laputaさん・涼さん・(御大なる)ピノコさんには先に乗っていただくことにする。そして、彼と二人でタクシーに乗る。意外なことに、話は盛り上がった。そして、現地に到着したのだが、先に出たはずの本隊がまだ到着していなかったので、そのオフ幹事は迎えに行った。内心で、「ちゃんと地図描いてなかったのかい!」と怒号。20点マイナスである。テーブルの奥の上座に幹事が座ったので、反対側=通路側の準上座にピノコさんに座っていただいた。そして、ピノコさんに向かって左側からそれぞれ、あおのさん・涼さんの順に、向かって右側に私・Lapuさんの順で。そして、そこから上座方向に向かっては、対面になる形で、1maileさんとMintsさん(いづれも関東組)が次いだ。関東組+元関東組が固まる結果となった。(中略)オフ終了後、2次会のオフはボーリングだというので、結構飲んでいる女の子が行くらしかったので、安全上問題がある競技ではないかと幹事に問うたものの、見ているだけでもいいことにすると言う回答があったので、何も言わないことにする。「それぐらい、飲んでいても大丈夫」という声もあったが、それはアルコールを見くびった考えだと思うし、参加者の安全を考慮するのは当然のことだろう。15点マイナス。(その張本人たる幹事がかなり酔っぱらっていたのが、さらに心配だったのだが・・・・ 注:日記を読む限りでは、その幹事は酒が大好きな人物である。) 今回のオフ幹事を採点するならば、心遣い分を加算すれば、100点満点で75点ぐらいだろう。 < 自分がこの点数以下のオフをやったことがない、というわけではない。念のため。

 続きは、後ほど。
Jun. 5, 2000
 昨日、午前11時すぎごろにH藤くんに電話。H藤家は午前中は寝ていることが判明して、最悪に後悔。TWO TOPが会社更生法適用を申請したということで、安売りしてないか見に行くべく、日本橋の、地下鉄・恵美須駅横のマクドナルドで12時半に待ち合わせ。だが、ここで村山由佳ファン界の大御所・Pinokoさんと電話。名古屋行きに備えて、これから対面する名古屋の某氏にまつわるエトセトラをお知らせして、心づもりを持っていただく。(この分野に限ったことじゃないけど、対「かたはらいたい人」用リングがあったら、最初に登らされるのはいつもオレなんですよね・・・)
 とにかく、12時半を1,2分すぎたぐらいに到着。いづれも、マクドで月見バーガーのバリューセット。ただし、自分のだけ52円増でLLセット。腹が悪いときに、あえて食べるとは、強者だな、H藤(笑) ボーナスや焼き物の話題などを話す。隣がガキの集団で、うるさくてたまらない。子供用に防音室を作って、紙ピアノを触りながら、マクドナルドを喰ってる親子の姿を想像する・・・言われたくはないが、H藤に変な奴だと言われた。どうせ、このネタ分かってるくせに(苦笑) [正解:藤崎真緒「瞳・元気」。同じく藤崎真緒で、「お星様にお願いっ!」にでてくる、ちま萌えという点では奴と意見が同じだ。だが、この作者について、学部同期の松本さん(同人オタク女歴?年)は、顔のデッサンがいつも狂っていると批判的である。それはわかるが、わかっていても、オレたちはもうだめなんだ(謎爆)] 食べ終わってから、TWO TOPへ行って、このような事態に立ち至った原因の一つと目される自社開発の賜物にして、その結果を体現しているかのような赤いFreewayマザーボードを見たりする。そのあと、「とらのあな」へ行って、お買い物。最初に、恥ずかしいのを堪えつつ、「りん太のももいろコミック」18号を予約。お友達のいかせんべさんが表紙を描くらしいので、友情買いするのである。(ただし、載るであろうクレジットは商業名のほうですが。)ふと、4月27日発行の、天野こずえ「おひさま笑顔」(エニックス、stencil comics)が平積みされているのを目にして、即、陥落する。それを手にとって、今日のメインのターゲット、谷村まりかさんの「Sweet Milky Crown」を上に積んで、奥にある方のレジへ直行。寄せ書きを読んで初めて知ったが、かつてご近所だった蘭宮涼さんのアシさんをしていたことがあるらしい。中味は、知っている作品がほとんどだった。(詳しい批評は書かないけど、表紙を見て買ってみる気になった方には、一番最後の収録されている「初恋」を最初に読むことをお薦めします。いつも、谷村さんの作品を見て思うのは、テレビドラマにしたら1話あたり10分ぐらいが丁度いいだろう、という感じの内容であること。別にテレビドラマにぜひなって欲しい、といった意味ではない。テレビドラマというシリンダーにシナリオとして、テレビという溶媒と一緒に流し込んだら、10分ぐらいのあたりに来るかな・・・という、単にそれだけの意味である。) その後、「Last Regret」を収録しているアルバムを探しているとき、ふと10万円できまオレのOAVボックス(未開封)があるのを発見してしまう。夏のボーナスを思い浮かべる。悪魔って・・・運命って残酷だね。でも、見てしまったのだから仕方がない。ゲーマーズ(注:とらのあなの下、1階にある)へ行ってみるも、なし。代わりに、中司さんのアルバム(キングレコード)を発見。♪いてもたってもいられない〜 でも、これは給料日まで待つことにする。そのあと、ジュンク堂へ行って、新きまオレ・2巻と、「雪の降る音」(いづれもJump j Books。なお、本誌である「Jump Novel」は既に休刊している)を購入。(前者を買ったのは、フランスでこの本を翻訳しているCyberfredさんから、Episode中の最後のシーンについて意見を求められたのだが、この巻だけ見つからなかったので急遽買うことにしたのだ。結局、日本文化における月について、簡単ながら説明したのだが、疑問がいくらか解けたようだ。できれば、日本文化の中にいない人が「きまオレ」の17巻?を読む上で知っていたほうがよいと思われる古典「竹取物語」のことにまで踏み込みたかったのだが、返事を急ぐために諦めた。) そして、野郎二人は甘いものを求めて千日前からなんばにかけての地域を歩き回った。歩き疲れてもなお、毎度毎度のことだが、「死ぬほど甘いもの」を探求するべく、「Yes to 甘々」「うぐぅ」「漢(と書いて、オトコと読む)は妥協したらだめだ、極めてこそ漢!」を合い言葉に地上を地下を歩き回った。そして、本当に疲れたので、結局のところ地下にある不二家ティーサロン難波店(中央区難波5なんなん8号)で7時頃からの1時間をすごす。二人揃って、しかも(前回の梅田の地下街のときと同様に)窓際でストロベリーパフェを食べる。目的は、野郎二人で、めちゃくちゃ甘々なものを恥ずかしげもなく食べている姿をさらして、侘びしさに浸ることぐらいしかないのだが、病みつきになってしまったのかもしれない。結局、8時頃に別れて、帰宅。次回は、24日に京橋で会う予定だ。

 このまえの豊橋で遊んだ黄桜はなび こと んぱっくさんの、6月3日の日記にお返事。

Q262: 大好きでした。窓とか締め切った感じがgood。
Q263: 惚け防止のためでしょう。
Q264: その時代になって行けるものならば、月かな。
Q265: 高性能のレーザープリンターとA3が取り込める速いスキャナー。 Q266: なにそれ?
Q267: 実家にでも帰らないと、着て寝てないもん。
Q268: FC(ジャンプ)
Q269: 甘。
Q270: 入ってると信じている。

 管理しているBBS[ABCB}が壊れている。 標準入出力でデータをやりとりしているはずなのに、まるで古いファイルが消せないように、古いデータで書きこみをしようとするのだ。プロバ側には連絡が行っているはずなのだが、どうしてこんなことになるのだろう? この前はawkの動作がおかしかったしな。
Jun. 2, 2000
昨日、帰ってきてから受話器に耳を当てると、ツーという発信音にシーというノイズが若干混じったような音がした。ISDNになった音なのだな、と思う。早速、ルータに電話線をつなげ、電話機をルーターにつなぎ、PCにネットワークボードを刺して、10Base-TでルータとPCを繋げる。それから、ルーターのインストールウィザードで設定を済ませ(たつもりになっ)て、いざ繋げようとした。が、繋がらない。先日大阪に来た南里みやびさん(鉄の漢)が体験したという極性逆転を疑ったが、違う。IPCPだけが何度IDとパスワードを入れ直しても「待機しています」になるのだ。NTTのIP接続の問い合わせ窓口(合計で3人の方が電話してきてくださったのだが、実に親身に応対してくださった。大感謝!)に電話して、接続確認用のIDとパスワードを貰って試してみるとうまく繋がる。結局、認証方式をPAPにしていなかったことが原因だった。
 64kだから、56kのころと大差はないといえ、心もち早くなった気がする。少なくとも、ダウンロードについては、時間にまかせてやることが出来る。日中ですら、だ。

 常時接続に移行するという昨日の日記を読んだオグマさんのコメント(要約。無断引用はしないタチなので)
  なぜおまえの方が先なんだ。
彼の日記に書いてあるので、このコメントの背景にある彼の事情をあえておおっぴらに説明すると、ACCSでケーブルインターネットができると喜んでいたのに、業者が来るまで数ヶ月かかり、しかもアパートにケーブル用のブースターが付けられていなかったことが判明し、未だに夢が叶っていないのだ。(どうせ、常時接続になったらこちらより速いんだから・・・・がまんせい。)
 昨日もまた1層で働いていた。書架を分解して掃除し、その上に和装の貴重書を載せていくという作業をした。 先日の、マッド書誌情報(と勝手に呼ぶことにした。「表示禁止!キガクルウデ!キケン!」とフロッピーに貼りたくなるほど、スペルのミスに満ち、文字列が途中で分断されていることもままあり、しかもアスタリスク(「*」のこと)でわからない文字を置き換えてあるデータで、シリーズものに至ってはパズルゲーム以外の何物にも例えられないような、めちゃめちゃなデータ)に基づくISBNの調査よりはずっとマシだ。精神的に、あれは≪うぐぅ≫だった。それに比べれば、なんと健康的な労働なんだ! とちょっぴり喜んだりもしている。
 朝、K先輩が、一般雑誌の「学術性」みたいなものを数値化する方法を考えていた。とりあえず、Webcatで引いて出てくる所蔵館数がそれにあたるのではないだろうか、とおっしゃっていた。これはある意味で正解だと思う。というのは、もし数値化しうる学術性というものがあり得るならば、その数値化は学界との何らかの形態における関係を表すような数値だろうからだ。内容については、「被引用が多ければ学術性が高い」との前提で引用分析に基づく方法もある。だが、それが出来る分野は、引用分析が行われている分野がかなり限られていることからも汎用とすることはできない。学術性というものが仮に学界の権威に由来していると考えるならば……… 

 もっと簡単に考えてみよう。学界というものを、同人活動に置き換えて考えてみれば分かりやすいと思う。(実は、特に文科系は学術的な同人活動の世界で、大学の先生とは月給がもらえる同人作家みたいなものだと考えている。院生に至っては、金を払ってそれに多少似た活動をしているのだから、金銭の動きからすればそのまんまだろう。学会だって、会費を払って参加するものだし。)
 そこで、学術性の高低を、同人誌の上手い・下手に置き換えてみる。
 ここに絵が上手い人が集まって作った本がある、とする。その本は、オタクたち(主な読者。学界ではその主な読者である院生や先生その他の研究者)の間では価値が高いとみなされる。もちろん、そのような本の中に少し下手な作品が混じっていても、総合的な評価は高いだろう。(仮に、一人だけ非常に有名な作家の作品が混ざっていて、残りがカスみたいな作品ばかりでも、その一人のゆえにその本の価値は非常に高くなることは充分にあり得る。)だから、雑誌に「学術性」があるとすれば、人間が書いている限りは、人間に由来するはずだと考えたのだ。(あとはその分野におけるcenter of excellenceの在処を調査して、それとの関わりを数値化することも可能ではあるだろう。)  [図書館情報学の世界では、学術情報の流通の一手段である学術雑誌においては、読者と書き手の集団がいくらか一致している点が一般雑誌と異なる点である、という説明が為される。同人誌についても、実は似たような構造が存在するので、このような例え方もまったく不適当とはいえないと思う。] 以上のような理由から、K先輩がいう所蔵館数という数字は、大学図書館が利用者のニーズに基づいて運営されている限りは、少なくとも学術雑誌について言えば大正解だと思う。一般雑誌については、はっきり言って、もう少し考えてみないと分からない。考察を続けようと思う。
 しかし、いまK先輩が必要としているのは、簡単に出すことが出来る数字なのだ。
 簡単に「学術性」を判定する方法・・・・  どこかにないだろうか?

Jun. 1, 2000
 今日からIP接続なのだが、それにともないテレホを解除したことをすっかり忘れていた・・・・せいぜい200〜300円のミスなのだが、おバカなことをしてしまった。
 以前にCD-Rを送った、香港のkyochan氏からお返事のメールが[再送されて]来た。10日前に送られてきてたのをすっかり見逃してた(^^;;; 内容はエミュレータの使い方が分からない、というものだったので丁寧に説明する。(実は、送ってから気がついたのだが、あのディスクイメージのファイル、ファイル名が半角カナだったので、itono.comの某所に入れて、落としてもらうことにした。) その代わりに、彼には映画のDVDなどを送っていただくことになった。非常に楽しみだ。

 情けないことに気がついた。トップページで平然と「きまぐれ☆オレンジロード」と書いていたのだ。無論、「きまぐれオレンジ☆ロード」の間違いである。情けなくて、涙も出ない。
May 31, 2000
 May. 29, 2000で書いていた、もう一人の鉄の漢(オトコ)は、1月のSchool Festivalにスタッフとして参加していた、まことさん(萌えキャラ:内田真子)です。

 昨晩9時頃、ある方の旦那さんより電話。仕事で名古屋に行くそうなので、そのときに、お会いすることになりそうだ。いろいろ、面白い話を伺った。早く手紙を書いておきたいところだ。でも、プリンターの置き場が・・・スキャナーの置き場が・・・・(涙)

 NHKで、気象学的区分では5月で春は終わりだと言っていた。今日は雨のため、電車通勤………のつもりが、朝方だけ降っていなかったので、行きが自転車、帰りは電車。駅まで来て、回数券引替用カードを忘れてきたことに気づく。間抜けだ。
 先日のComic Communicationで、内側から見て左側、お客さんから見て右側のサークルさんが、マルチ缶とか売ってて、それを南里さん・まことさんと3人で買ってたのですが・・・ 私は、それと別に恋愛ゲーム着信メロディー集ってのを買ったんです。いま使ってるメロディーも結構たつので、この辺で変えてみたくなったというのが最大の理由。いまのメロディは 123450677656033334510101005100 で、たまに 454665860006546654555050640000 または 543202120543202120543245884000 です、と書いてもなんのこっちゃですね(笑) 0が無音、1がドの音で、8が上のドなんですが、半音が出ないのが辛いところ。さて、これだけのヒントで曲名が当てられるものなら当ててください。(3曲目はまずムリでしょうけど。)
 で、結局どうなったかというと、2番を 787655550556753278765505875600 に、3番目を 1122334433221155321003312301210 (一番最後の「33」が気に入らなかった)に一度はしようとして、あとで 635060666066876506356022121330 にしかけながらもやっぱりやめて112221111000034555444666666000 になりました。曲名は2番が「As time goes by」、3番が(候補曲も含めて)それぞれ「恋わずらい」、「さぁ」 (いきなり妄想タイム: 決して、「やぁ」ぢゃない、「やぁ」ぢゃ・・・ R田中一○が離珠といっしょに晩ご飯をご飯をおかずに食べているアットホームな様子を想像しちゃいけない。想像するのは自分ぐらいだろうけど……… ダメダメだ、自分って奴は)  そして「Last Regret」です。「Last Regret」はあえてサビを使わないことにしました。やっぱり、入力できる長さが短いのと半音が使えないのは痛い。DP-174(東芝)の限界はここにもあった。ただ、どうやら電波をよく拾うほうの携帯みたいなので、基本的な携帯としての機能を中心に考えると間違った選択ではないのだが、それ以外の機能は今となっては見劣りする点が多々あるのは否めない。 でも、当分、買い換えることはないだろう。
BGM: ドナドナ

♪ 曇ってる午前中 1層が騒がしい
♪ 紀要がごとごと おうちから連行さ
♪ かわいい紀要 除籍になるよ
♪ 来週にゃおまえはノラ紀要
♪ どさばさどったんがらら〜 1層が空く
♪ 1,2,3連、4連 さよなら紀要

 ………というわけで(?)、今日の午前中は閉架書庫である1層の整理をしてました。整理係&アルバイトさんをほぼ総動員しての大作業で、1層が3割強ほど空きました。(作業中、「あやりんまにあ」先輩や「ふんぎゃあ」大先輩がいろいろすさまじきことを仰せになり或いは笑い悶えておられたが、もはや通常の光景としか思わないので、慣れたのだろう。闇のデンパが支配する土地柄なのか?関西電力が送電線に怪しい波長を乗せているのか?実は一層の下に謎のほこらでも埋まっているのか・・・・どちらにしても問題ない。書庫は書庫であって道路ではないのだから。)
 なぜ書架を空けないといけないかは勤め先の事情になるので書きませんが、本、しかも学術雑誌として生まれたからには、彼らが一冊でも新しい主に拾われて、本としての本分を少しでも果たせることを祈りたいと思います。
 ちなみに、私もコンピュータ操作に疲れたとき、除籍印を(蔵書印の上に)ペタペタ押してるのですが、蔵書印が目次ページの近くにあって、かつ面白そうな内容(主に法律や英語に関するもの)が目についたら机の引き出しに放り込んでます。(除籍した後なので全く問題ありません。念のため。)

May. 29, 2000
 先週一週間はずぅっとNIIのNACSISサービス、Webcatを引いてました。最後の方には、キーボードをブラインドでたたこうとしても命中率が半分以下に落ちることもしばしば、眼精疲労も……… 思い出すのもしんどいので、書かないことにしておきます。
 さて、一昨日から昨日にかけて、東京より南里みやび または きんちゃん こと金子さんが関西に来ていました。初めて名古屋より西に来たそうですが、目的はComic Communication(略して、コミコミ。今回が第一回)という即売会へのサークル参加ということで、昨日は一緒にサークル参加させていただきました。(コミケにしろ、今回のコミコミにしろ、その土地ごとに初めて行く即売会でサークル入場してる自分って・・・・) 土曜日の昼頃(休憩時間)に電話したときはまだ京都の方にいて、晩飯を奢ることをお約束する。そして、仕事が終わってから急いで日本橋へ向かい、6時頃にTWO TOPで合流。そのすぐ後、小雨が降り始める。南海なんば駅付近を通過して、かの有名な怪しいオヤジの人形の前を通り過ぎ、金竜ラーメンでチャーシュー麺(900円)を3人で。その後、斜め向かいのたこ焼き屋で10個ほどオーダーして分けて食べたものの、たこがすぐに崩壊するうえに、食感が好みではなかった。有名だということと、旨いということが別の問題であることを再確認する。(ラーメンは旨かった。) 雨はとうとう本降りとなってきた。もと来た道を帰ろうとすると、途中にゲーセンがあったので、入ることに。アニソン版リズムマニアみたいなゲームに南里さん(もと吹奏楽部らしい)が挑戦するも、あっけなく敗退。その後、二人でDDR。生まれて初めてのDDRはやはりめちゃくちゃな結果。曲ごとに、150〜200の完璧な踏み逃し。冬のKOR Freaksの本で「新宿のゲーセンで青いメイド服を着て『〜ですぅ』を連発する女の子」(< 「鋼鉄天使くるみ」の、くるみのコスプレをしている少女のこと)を見たまどかさんが、自身もコスプレにはまり、もともとコスプレオタクの(というか、天賦の才能=変身能力がある)あかねちゃんに引きずられて、どんどんオタクになっていくという小説を書いたのだが・・・・ メイド服のコスプレといえばヒール。ヒールを履いてやるもんじゃ絶対ないな、と改めて思った。[それでもやるのが強者の証だろうが、それは厚底サンダルで富士登山マラソンの下りコースを全速力でダッシュするのと同様に、身の危険を顧みない行為だと思う。]PSで練習したいのはやまやまだが、その前に部屋を片づけねば。地下鉄なんば駅で乗車して、二人は天満橋の東横インに泊まるとのことだったので、日本橋駅で別れた。
 翌日は、コミコミの会場であるグランキューブ(大阪府立国際会議場)で10時頃に合流したのですが、実に混み合ってました。別に男性向け創作が主というわけでもなかったのですが、その混み方はピーク時にはこの前のリアルこみパ@ビッグサイトの8,9割程度でした。[注: リアルこみパが過剰に混み合っていたので、その8割でも普通の人には非常に混んでいるといえます。ただ、一度でもコミケ3日目の男性向け創作エリアがいかに凄まじいかを経験して、人津波に流されれば、少しは耐性がつくかと思います。<オタクなら 一度は見よう 死ぬ前に ビッグサイトの 魔の人津波>]
 今回の南里さんはLoveLess(注:大手ではない方のLoveLess、と注釈を付けさせていただくのが適当だろう。)としての参加で、D列だったのですが、一つ後ろのE列を見ると、ふと・・・ 最初見たときは眼を、そしてキャラを疑ったのですが、まどかさんの絵が!!! 寄って見てみると、なんと、「きまオレのCD-ROMをその場で売るつもりだったのに落としたから6月中旬に とら(〜のあな)で売るから待っててね」という趣旨のお知らせでした。久々の新手サークルさん(「893」という、神戸の方のサークル)を発見! とりあえず、自己紹介。話を聞いたところでは、夏コミにも(通れば)サークル参加するらしいけど、FC(ジャンプ)かどうかは不明。というのは、そこのサークルさんが当日販売していたのが、18禁CCさくら本などだったからである。 うれしさの余り、帰ってすぐにACCBの掲示板にその旨を詳細に書いてしまったが……… あることをすっかり忘れていたことに気づく。何かあっても、それはきまオレ系同人をやるうえでは避けられる宿命、ということにして忘れよう(笑)
実は先週の火曜日ぐらいに、NTTにISDN導入と同時にIP接続にしたいと申し込んだところ、なんといま使ってる局番はポートが空いているとのことで、6月1日から急遽、常時接続に移行します。 そのため、急いで金曜日にルーターを買ったり、てんやわんやでした。買ったルータは、NECのCOMSTARZ・CMZ-RT-DP。決め手はHUBが付いていることだった。この選択はやや過分な感がしたものの、夏ぐらいにハードディスクとマザボードを買って、もう一台作るつもりだったので、このような選択となった。 なお、そもそものきっかけは、大家がケーブルテレビの線を貼らせてくれないことが分かったため、ケーブルインターネットの望みを現時点では諦めざるを得なくなったことにある。しかも、夏にかけては、少なからぬ量のデータを何度も移動するような作業が見込まれている。(関東に住んでいれば問題ないことなのだが、関西から関東に媒体移動をしていてはやはり手間も時間もかかる。)
 大きな決め手は、電話料金がトータルで低下する見込みがあったことだった。テレホタイム時間帯に起きていることで生活パターンが崩れるよりかは、電話代を払うことを選ぶ奴なので、これまで電話代がばかにならなかった。そういうわけで、とうとう電話回線自体を生活パターンに適合させることになった。これで市内料金が、128Kbps通信を使ったりしなければ、8000円以内に収まるはずだ。(ちなみに、携帯電話を大学院時代ほど使わなくなった、というよりあまり使う必要が無くなったので、携帯電話の通話料金は非常に下がった。)
May. 25, 2000
 昨晩は9時ぐらいに寝たのだが、一部がもう9年ほど前の事実に基づいた、不思議な夢を見た。
 高校1年の秋、石川県で国体が開かれて、そのとき合唱部員としては珍しく、1年生として秋季国体の式典音楽隊に参加した。たぶん、もう一人(堀君といいましたが)も含めて、あの学年の世代で参加できた人は少なかったし、部活から参加できたのは男子だけだったことが部活の中で禍根として尾を引くことになったところはあった。(高校では男子の合唱部員はかなり珍しい数しかいないのが普通なので)  夢の中で、なぜか独唱者のつもりだった。(役どころがそうであったのかどうかは分からないけど、自分が向かった場所は独唱者用の場所だったので。)そして、演奏の練習がはじまろうとしていた。事情はよく分からないものの、マンションのドアを開けて、自販機を探すところから夢は始まった。ジュースを買おうとしているらしいが、結局見つからなかったらしい。(どちらにしても、夢の中では自動操縦で場面が進行してるので、買うまであきらめないと言う根性があろうとなかろうと、ここでは関係ない。)そして、一旦はそのマンションからほど近い会場(陸上競技場)で準備を始める者の、なかなか始まらず、友達と三人ほどで車に乗って、会場のあった県立陸上競技場から北へ抜けて、津幡の山道には愛って行ってしまったけど、結局会場に戻って、食べたくもない量のフライドポテト型スナックをむさぼり喰ってるところで目が覚めて、おしまい、となったわけです。
 この夢は一度目覚めた2時から5時15分の間に見たモノですが、また、誰か死んでなければいいんだけど・・・・ 
 先週末の下田行きの日記をまだ書いてませんでしたので、まとめてしたためます。
 19日の午後7時半ごろ、出立。8時15分頃に梅田の駅に到着し、30分の新快速米原行きに乗り、あいだで一本(米原発大垣行きを)乗り継いで、ムーンライトながらに乗車。本当の下車予定は熱海だったものの、寝過ごしても誤乗扱いで戻れることは知っていたので、これにしたわけだった。しかし、夕方以降の雨に対応すべく、電車内ではエアコンがかけられていて、薄着できたことを非常に後悔することになった。雨は翌日まで続いた。
 20日、寝たまま熱海を通過して、気がついたのは30分ほどが経過した3時45分頃。結局、大船で下車。1時間後ぐらいの始発の鈍行で熱海に向かい、そこからは鈍行の伊豆急下田行きに乗車。結局、8時頃に到着。とりあえず、駅前のマクドナルドで朝ご飯。ふらふらと商店街のメインストリートを歩いていると、駅でも見かけた、まつもと先生のお描きになった祭り− 第61回黒船祭(ちなみに、第1回は1934年)−のポスターを発見。お吉が傘をさして立っている、赤を基調としたものだった。あとから先生から聞いた話では、Super Jumpに昨年「ミニスカポリス」風のまどかさん&ひかるちゃんのピンナップが掲載されたとき、祭りのポスターの絵とどちらかを使うことになっていたが、結局同誌には(よく知られているほうの)まどかさん&ひかるちゃんが掲載されることになったらしい。[よく知られている、といっても、10年以上前に終わったマンガなのにね。]そして、米海軍の艦船に乗船するための列があったモノの、毎回28名で、しかも4回ほどしかやらないため、午前の分がすでに埋まっていることが判明。さっさとあきらめた。待ち合わせは午前10時だったので、それまでの間ぶらついているとき、ふと先ほどのポスターが観光案内所で配布されているのではないかと思いつき、さっそく駅前のショッピングセンターのすぐ前にある、民宿の組合が運営しているらしい観光案内所に向かった。すると、やはり山のようにあった。しかも、「ご自由にお持ち下さい」ということだった、早速、それを郵送するための筒がないか、と先ほどのショッピングセンターへ向かうも、なし。しょうがないので、45リットルのビニール袋だけを購入。(小雨が続いていた・・・というか、終日小雨が降っていたので、保護用に。)そして、観光案内所に戻り、3本ほど持っていく旨をお断りして、いざ持っていこうとしたものの、一本一本巻いてある状態のため、その場でまき直していいか尋ねたら、ご丁寧にも巻いてくださるとのお返事が。そこで、5本&通常のポスター大小各1枚をお願いする。そうこうしている間に、30分前になる。駅舎の中をぶらついていたら、どうやら黒船座(という、この祭りのためだけに結成された市民劇団)による街頭PR寸劇が始まったらしいので、ビデオカメラ(Hi-8)を取り出し、撮影する。当然といえば当然だが、あまりにも台詞だけという感じが強くて、その点だけで笑いを取っていたようなものだった。でも、熱演だったと評しておこう。(そのとき撮影した風景は、あとで玉泉寺の資料館の窓口のなかで、お茶などを戴いたときに、再生して先生にご覧戴いた。) それから、再びバス待合所のテントと、祭りのための待ち合わせ用テント(中味は茶会・花見用?の椅子)の間をいったりきたりしていたのだが、どこかで見たような……… ら○○○○○く こと ラ○○○ール氏である。(あえて、どのような人物かは伏せておくが、その様を書いたら、その文字からデンパが飛び散るような人物である。デンジャラスであるので、書かない。ただ、こみっくパーティ((C)Leaf, AQUAPLUS)のなかに登場した、ある二人組の一人に若干似ている人物でアルトだけは書いておこう。分かったかな? > オグマさん) ともかく、無効のことに気がついてから約20分、ようやく無効も私のことに気がついたようだった。(3,4回は話してるんだけどなぁ・・・ 完璧に忘れられてました。) そして、ビデオテープ(VHS)4本を手渡された。旅先なので大荷物になるため、断りたいのは山々であった。だが、無下に断ると、これからのオフに差し障るかもしれないとの配慮から、受け取っておくことにする。(特に欲しい内容ではなかったけど。)
 そして、待ち合わせの10時。やはり、先生方は到着しなかったので、15分ほど前から2度ほど電話をかけたけど出なかった藤倉さん@Studio WAVEの携帯に電話したところ、高野さんが出た。なんでも、遅刻しそうだとのこと。(ちなみに、先生方は前日から下田入りしていた。)結局、5分ほどの遅刻で現れたのだが、その集団は・・・・ 侍(町奉行書の与力風)のまつもと先生と、町娘風の高野さん、そして町人・若衆風の藤倉さんだった。(玉泉寺の資料館のなかで、まつもと先生から十手を抜いて、藤倉さんのほうにさしたので、岡っ引きと呼ばれるようになった。)なお、祭りの開催期間中は、案内係の関係者が江戸時代の格好をしているので、駅前で実際に間違えた方もいた。とにかく、メンツが揃ったので、一路、玉泉寺へ向かう。もうなじみ客ということで、参加者も無料で資料館に入れて戴けて、しかも副和尚さんの解説まで聞くことが出来、さらに入場口の事務所で蜜柑・お菓子・お茶をいただいた。(そこで聞いた話だが、現在放映されている手塚治虫原作の「陽だまりの樹」のアニメ作成にあたって、玉泉寺にはFAXが一枚送られてきただけで、取材には来ていなかったらしい。)
 これは藤倉さんのお仕事になるが、藤倉さんは1860年頃の下田の町の詳細な復元地図を作製しようとしている。そのためには、いま明治の頃の様子を知っているようなお年寄りに話を聞かないと、永遠にそのころの状況の手がかりが失われてしまうため、急いでいるらしい。このような作業をしているためか、藤倉さんが下田の町中を動いているとき、「ここは○○屋で………」とかたまにつぶやいていた。このまま進行したら、「ここは○○屋で、そこの○○という娘さんが、○○に嫁いで、そこで○○という人が旦那さんになって………」と言いそうである、と高野さんらが心配していた。あり得なくもなさそうな話しである。
 玉泉寺を出てから、下田郷土資料館?へ向かい、見学する。(見学料1000円。)その後、そこの創立者の方とお話をしたりする。その後、仮装を解いてから、先生のお友達の部屋で一息ついた後、ポルト・カートという小さなレストランで先生やら○○○○○く氏と一緒の、シーフードカレーをいただく。(ちなみに、そのレストランはスルガ銀行のすぐ前にある。)その後、だべるべく、ファミレスへ。ドリンクバーと、クレープを多層に重ねた………名前が思い出せないけど、そういうものをいただく。そして、駅前まで送っていただいて、その日は終わった。ちなみに、ホテル・マルセイユという、駅の本当にすぐ前にあるホテルに泊まった。
 翌日、8時に宿をたち、米海軍の行列に並ぶ。第2回のなかに入ることが出来たけど、それでも最後の方だった。10時25分ぐらいに陸に戻ってきて、幕末綿羊娘情史の寸劇などが10時半から予定されている開国茶屋に向かう。なんとか間に合って、ビデオ撮影に成功したものの、後から見たら画面が暗すぎた。その後、徒歩で、お吉踊りなどが行われるお座敷へ向かう。郷土史家の土橋さんが司会をしていた。お吉夫どりを撮影したつもりが、間抜けにも撮影ボタンを押してないことに15分ほど経過してから気づいたため、撮影できたのは下田節だけである。(土橋さんによると、港町の唄ではよく船乗りに金を使わせて財布の中味を空にするといったものが多いなかで、下田は軽くなるだけだからマシだろうとおっしゃっていたが……… 実際は逆だったのでは??) 踊りが終わった後、ら○○○○○く氏が高野さんに紙を見せて、またまた質問をしていると思いきや、どうやら怒られていた。話題がABCBの管理に及んだので、主Webmasterの藤倉さんとともに話しに参加する。かつて、管理が行き届いていない時期があり、記事内容の容認基準が変わった事とも関連することだったが、二人で管理するようになったので、今後は看過できない記事の取り締まりも徹底できると思われるので、基準を厳しい方に解釈するように強く要請し、帰っていただいた。その後、駅前のマクドナルドの、今度は2階でお昼ご飯を食べていたら、侍の一団が。どうやら、下田駅前で3時半から始まる、調印式再現劇の役者さん達らしい。そこで、話題は侍が携帯を持つとしたら、どこが面白いか?(ふさわしいか? ではない)という問題になり、刀やら髷やら、いろいろアイデアがでる。(でも髷は嫌。光ったら、もっと嫌。)そうこうしているうちに、途中で抜けた高野さんが、駅内で劇らしいものが始まったというレポートを携帯で連絡なさってきたので、移動。3時20分だったので、調印式の劇ではないことは明らかだったものの、ビデオテープの時間が大量に余っていたので、撮るべく、急ぐ。その後、再現劇やその予告劇を撮影して、4時半頃に普通の踊り子号と新幹線こだまとひかりを名古屋で乗り継いで帰宅。到着したのは、10時半を過ぎた頃だった。
 昨日、職場で、先輩「ふんぎゃあ」Iさんがけろむこっとはうす(by やはり先輩のTさん、ちなみにカエル好き)のBBSに書き込んだことが話題になったので、見に行った。実際に以前から使われていたニックネームと言うことで、ネットデビューがこのハンドルであったことに祝福の意を表しつつ、ハンドルの改定は(簡単に定着しそうだから)かなり難しいだろうなどと考えてしまう。 まあ、自分以外のハンドルのことだから、ああこういう筋合いではないですし、使う人が好きならいいのですから。(ちなみに、オグマさんがそのページの中に半角かなを発見して、是正指導するように連絡してきました・・・ 教祖自ら指導するようには返事したものの、とりあえず、ご本人にお知らせしたところ、ご本人気づいてませんでした。)
May. 19, 2000
 ただいま、夕方の5時半過ぎ。6時半か7時にはここを発って下田に向かいます。
しかも、まつもと先生御自ら下田に「警報」(謎)を発令した旨をご連絡くださいました。・・・ きっと来る!!(大謎) 
[避難勧告じゃなかったってことは、戦えということだろうか? 絶対、嫌です、嫌なんだぁぁぁ < 精神汚染には保険出ないし]
May. 18, 2000
 端末を一日中使う仕事が続いて、帰ったら8時に寝て、午前1〜2時頃に起きて、また 1時間ぐらい横になる、という変な生活パターンが続いている。本当にこの繰り返しだけなので、これといって日記のネタになるようなことがあるでもないが・・・

 いくつか書き忘れていたことや、書かなかったけど書きたくなったことを書いておこう。
 まずは悲しいことから。高校の頃の同級生で上田君が5月2日、死んだらしい。実は、金沢時代のことは思い出さないようにしていることや、自分がほとんど休み時間に教室にいない高校生だったため、彼のことはそんなに覚えていない。だが、一人目が死んだということには、自分の周りの人間がこの世界から欠け始めたことに他ならない。この世の常であることは分かっているが、自分と同じ歳の人間がこの世から初めて一人欠けたという事実の衝撃は大きかった。この知らせを実家からの電話で聞いたのは、豊橋駅に降り立った直後のことだったが、急いで金沢と往復するだけの持ち合わせがなく、かつ関係者やクラス幹事との連絡を取ろうにも電話番号を実家でメモしてくれなかったためにどうしようもなかった。冥福を祈りたい。
 つぎに、喜ばしいことを。某秘密結社(こと、同人サークル)MANAMIの同志にして、私も参加している(ことになっているものの、生活が落ち着かないために何も貢献できてない)某マンガ防衛同盟の代表をしている○形公一氏が結婚するらしい。なんとかお祝いしたいところなので、やはり某MANAMIの編集:南里さんとご相談の最中だが、幸せ者ほど妬まれる=>よって、そのような幸せ者は独身二人組で、夏(コミあわせ)の本のなかでいぢめられることになるのは当然のことだろう。ちなみに、南里さんの妹で、若生神月さんは氏のことを「キミキミ」と呼んでたらしい。(見た目、若いしなぁ・・・)
 最後に、先週土曜の昼から日曜の昼にかけての、一人だけの騒動のことを。 部屋の鍵が行方不明になり、オートロックだから外にでれないため、大家さんに鍵を持ってきてもらうまでの約24時間一歩も建物の外にでられなかった。それにともない、90l.のゴミ袋いっぱいのゴミが出た。

 職場の先輩:あやりんまにあTさんの日記に、15日に就職課かそのあたりから来たレファレンスのことが載っていたので、便乗して書いてしまいます。
 調査依頼の内容は、とある学園(仮に、X学園とします)の連絡先を知りたいというもので、Tさんが受けたレファレンスでした。が、大問題が一つ。 どこにあるかわからないし、どんな学園かも分からないとのこと。そこで、みんな必死に探しました、先輩のKさんはサーチエンジンを駆使して、あやりんまにあTさんやIさんは冊子体を見に右往左往・・・ そして、自分も作業を中断して端末で探してました。 まず、普通の(大学以外の)学校ではないかと考えて、JPNICのED.JPドメインの仮割り当て情報が入っているデータベース(Webにて公開)を調べれば、幼稚園から高校、高専まで探せるはずだと思って、検索したものの、8件か9件のヒットのなかにそれらしいヒットはなし。そのころKさんサイドで「社会福祉法人」とか「社団法人」の類である可能性が高いことが判明したので、新聞記事に全く載らない「学園」は珍しいだろうと考えて、Niftyで新聞記事を検索したところ、1998年にX学園が京都でコンサートを開く予告記事がでてきて、その中に連絡先の電話番号があったので、それをとりあえずTさんに報告。その後もインターネットタウンページを探していたところ、Kさんが検索したときは出なかったのに、なぜかヒット・・・ どうやら、検索結果からすると、50音順リストではあるものの、会社形態などに関する文字列に十分配慮して入力されたデータベースではないことが分かった。つまり、名称を入力しないで検索すると、厳密に、実際の名称の50音順では出てこない可能性が少なくないデータベースなのだ。この点が分かっただけでも勉強になった。
May. 6, 2000
 豊橋から帰ってきましたので、ここ数日間の日記をしたためることにしよう。

 5月3日午前5時半、気象。急いで身支度して、50分?発の鈍行で鶴橋駅に向かい、6時12分初の特急で(中川を経由して)名古屋へ。JRの8時55分発新快速豊橋行きに乗り換え、9時36分ごろに豊橋駅到着。ファミマの豊橋駅前大通店前で待ち合わせ。10時少し前にロゴさんに拾ってもらい、そのまま「のんほいパーク」(豊橋動植物園。最寄駅はJR仁川駅だろうけど、どっちかといえば豊橋駅からの急行バスに乗るのが一番かな?)へ向かう。豊橋に行ったのは、この日、Exchangerさん主催の、のんほいパークで「おジャ魔女ドレミ#(しゃーぷっ)」ショーを見るオフがあったからだったが、そのショーを一番見たがっていたのはおそらく(一緒にいた4人の子供たちではなく)主催のExchangerさんだったと思われるが、真相は私の知らない世界の中のことなので考えない、考えない・・・ まあ、とにかく10時20分ぐらいに本隊と合流できた。残念なことに、お仕事と同人誌のため、修羅場中のいかせんべさん(略して、いつもは「いかさま」と呼ばせてもらってます)が参加できなかったものの、いか旦那さん&お子さんたちは来ていた。< なお、この場合の「修羅場」の意味は、一般の用法とはちと違います。念のため。> 
 前回もそうだったが、豊橋に来るたびに、子連れで遊ぶ親の大変さを学習しているような気がする。授業名をつけるとしたら、前回が「児童養育管理法概論(食事補助技術)」の見学旅行、今回が「家族サービス概論1(子連れ外出法)実習」ぐらいになるだろうか? つまり、子連れの親がいかに大変か、豊橋に来るたび思い知らされているのだ。「いづれ、これをやるかと思うとため息が出る」と昨晩会食したときに、いかさまに話したところ、そんな心配をしなくてもよいことになりそうな連中が多いことが心配だ、という趣旨のお返事が返ってきた。(その一人にカウントされているような気がしたが、気のせいだろう(笑))
 話を午前10時台に戻す。その場で初顔合わせになった方々が多くいらっしゃった。Exchangerさん、DXさん、んぱっくさん、さるるさんである。DXさんとさるるさんについては記憶が定かではないので性格にはわからないが、その他の方々とはいかさんのBBSでお目にかかっていた方ばかりだったので、詳細な自己紹介は必要なかった。とにかく、スタスタと「ドレミ#」ショーがある、野外ホールへ向かい、芝生に席を確保したところ、Exchangerさんが取り出だしたるはSONYのデジタルビデオカメラ。今日のオフが、このためだったことを再び確認した気がした。(お断り:これを書いてる人は「ドレミ」および「ドレミ#」をぜんぜん観てないけど、名前ぐらいは知ってるかな〜という程度です。)ショーの中では「特別健康診断」と称された、子育てテストが行われていた。そして、最後のテストが、簡単に言うと[人の心を読まないと子育ての権利を剥奪するけど、読んだら法に反するためにうん百年ぐらい眠る羽目になるよ、さあどうする?]というものだった。結局、主人公らは読まなかったけど、それこそが「正解」というオチだった。でも、主人公キャラどもが悩んでいる間、実は同じく悩んでました・・・ というのは
[ 仮にその法律を「魔法国法」と呼び、かつ女王が専制を行っており、かつこの「診断」が君主たる女王の命令で行われたとの前提でいくと /
 もし、主人公の一人が魔法で試験官に、彼女(試験官)の心を読む以外の解答方法がないと宣告され、実際にそのとおりであることが公知の事実として明白であった場合で、かつ、その解答方法を採らないことにより解答できないことが被試験者に重大な損害を被らせる結果を招くことが確実な状況下において、被試験者がやむを得ず法の禁じる方法により解答したとき、/
 同「診断」の「受診」と、違法な解答方法を業務の上で強要することを命じられた試験官及びこれを命じた女王は、被受験者を罰することが許されるか? ]
 という問題を考えていたからでした。これはショーのなかの世界と比較すると、前提に対する配慮(たとえば、ここでいう損害というのは、女王に委託されて養育している幼子を養育する資格の喪失であることなど)がいろいろ欠けているうえに、その国の法律のことなどぜんぜんわからない状態で考えるのだから、当然に主人公たちの取った行動の(その国における)妥当性とはあまり関係がない話になります。(場面を明治時代の日本に置き換えたりしたら面白い問題かもしれません。)とにかく、自分なりの「判決」を考えてたわけですが、ショーが終わった後も1時間ほど悩んだのですが、結論からいえば無罪、それが無理でも(法が減刑を許すならば)かなり大幅な減刑が妥当だろう、と考えました。その理由は、[主権者にして君主たる女王Qがその支配下にある被告Dに対して下した命令Aを守るために、(1)命令Bに基づく「診断」を被告Dが「受診」するなかで行為B’を行う必要があることを、試験官にしてQの臣であるMにより教唆され、(2)その行為B’が違法でありかつその課題のためには必要であることが公知であり、さらに(3)命令Aが未だに有効であり、かつ違法行為たるB’を被告Dに強いることになることをQ、Mのいづれもが認識していたのであるから、結果として、女王Qはその支配下にある被告Dをして違法行為B’を行うことを命じたことになる。よって、女王Qは、命令AおよびBの両方を忠実に実行したことを理由として、被告を罪人として裁くことは著しく妥当性を欠くといわざるを得ない。そもそも、被告が行った行為B’について罰するとき、それを間接的に命じた女王Qも正犯に準じて罰するのが妥当と考えられるが、女王の地位に鑑みて、君主にして主権者たる女王を罰するわけには行かないし、被告のみを罰するとしても相応の恩赦があるべきと考えられる]から、というものでした・・・
 そもそも、ショーを観る上では、どうでもいいことですよね(笑)

 ショーが20分ほどで終わったころ、Exchangerさんのビデオのバッテリーが切れた。サイン会のところまで撮ろうとして、結局叶わなかったらしく、そのまま遊園地パートへ移動、のち動物園パートへと移動。ゴリラに目がくぎ付けになった。2時まえごろに、のんほいパークから(Exchangerさん宅からそんなに遠くない)かっぱ寿司へ移動。2時半ごろまでお食事。11人(子供4人含む)の大所帯のため、DXさん・Exchangerさん・いか家兄妹・いか旦那さん+自分と、それ以外とで分かれる。何でも一皿100円(正確には105円)だったが、シャリもネタも対した大きさではないのに、8皿でおなかがいっぱいになってしまう。その後、GoodWill(?)とZOAというパソコン屋へ遊びに行き、さるるさんご一行とは前者で、んぱっくさんご一行とは後者で分かれる。すると、ZOAにいかさま出現。思わず、ロゴさんと一緒に「寝ているはずの人」と言ってしまう。その後、一度いか家に向かい、大分で先日買ってきたかえるのおもちゃを差し入れる。そして、3時ごろにいか旦那さん&いか家兄妹、Exchangerさん、ロゴさんと自分で近くのスーパーへ行き、カルピスウォーターなどを購入の後、Exchangerさん宅へ。(なお、そのスーパーの1階?にはマクドナルドがあって、そこでは関西では売られていないサーモンなんとかが売られていた。関西・・・ なぜ売ってないの?? 関西ってそんなもんなのか??)
 その家にはコギャルと子供がいた・・・ 黒のシープドッグの(アイリーンこと)アイちゃんともう一匹のメスわんこ、そして白い子猫のロトくんがいた。アイちゃんは実にキュートだったし、とてもなついてくれた。Exchangerさんには数々のマッド動画(AVIファイル)を見せていただいた。その後、あまり害のなさそうなものを選んで、いか家兄妹にも見せていた。集団でオタクの英才教育を施しているという共犯な感じがたまらなくgoodだった(爆) 
 9時ぐらいになって、前回豊橋に来たときに晩御飯を食べた、愛知大学横にある悟空亭という中華料理屋で晩御飯を食べた。 前回はいか家から車で行ったが、実はExchangerさん宅からは歩いても近いところにあったのだ。再び、Exchangerさん宅に戻ってからは再び怪しいAVIなどを見せてもらっていたが、ロゴさんを送っていく段になり、一足先に横にならせてもらった。
 翌4日、Exchangerさんが昼まで寝ていたので、あわせて寝る。午後2時ごろ、旧屠殺場跡地そばにあるインド料理店で昼ご飯。(本当はパスタ専門店に行くつもりだったが、その店がパスタ専門店ではなくなり、高いイタリア料理店になっていたので、やめた。いろいろ、その付近で料理店がいろいろ変わっていたらしい。)ひき肉のカレーにライスとサラダとナンの定食。ひどく辛いわけでもないのに、体にはあきらかにキいていた。その後、いか家の玄関にドリンク剤の差し入れを置いて、写真を撮りに愛知県民の森へ向かった。その途中で、O.S.J.Phenixというパソコンショップへ立ち寄った。その店は、工業器具メーカー?のO.S.J.が併設しているものだが、あまりやる気がない印象を受けた。(値段も、雰囲気も。)なお、近くの神社で祭礼があったため、少し付近は込み合っていた。
 午後4時過ぎ、愛知県民の森へ到着。「不動滝」(という名の、小さな滝)を過ぎて、「風穴」という(縄文人あたりが住んでいたかも、と思えなくもない形の)岩の割れ目で引き返した。すでに日は落ちかけていた。5枚ほど撮影。その後、豊橋市内に戻り始めて10分ほど過ぎたとき、いかさまから文字メッセージが入電したので、音声で現在位置を報告。晩ご飯をご一緒することになり、かつその日の晩もExchangerさん宅に泊めてもらえることに決定。Exchangerさん宅経由で、いかさま宅へ行き、歩きで近くのレストランへ。パスタ中心のコースメニュー(ケーキ付き)を食べる。ちっちゃな子供が一緒の食事が非常に大変であることを、再び思い知らされた。(Exchangerさんのマナー指導が光る晩御飯だった。)その後、いかさまと分かれて、すいすいさんのお宅へいくことになったが、その前に豊橋のオタクになだたるCD・LD・DVD・ゲームショップ(であるらしい)DAIKIDOUに立ち寄る。そこに、運命の悪戯か、新きまオレの「Madoka's Piano Files」があったので、思わず購入。(レシートによると、9時少し前。)のち、ローソンでアクエリアス(2L.入り)をお土産に購入して、すいすいさん宅へ。しかし、病気のため、早々に帰らせていただいたが、ちょうどそのときNHKでスタジオジブリの特集らしい番組が放映されていた。アニメーターを中心としたものだった。
 10時45分ぐらいに、「スーパー銭湯 曙の湯」へ行き、1時間強ほどくつろぐ。ここのラジウム温泉は特に利いた気がする。そして、Exchangerさん宅に戻ってから、ふと「電車でGO! 名古屋鉄道編」を発見して、それを3時ぐらいまでやった・・・ もちろん、とうに5日になっていた。
 翌朝も昼まで寝ていた。1時まえごろ、菜めしと豆腐田楽を食べに、豊橋駅から車で3,4分ぐらいのところにある、「??宗」(記憶がかなり怪しいが、最後の「宗」だけは間違いない)へ。なかなかおいしく、お勧めできる店だと思うが、店の名をちゃんと覚えてないのはしょうがないなぁ(苦笑) そして、2時ごろに、その店の2,3本奥の通りにある、ヤマサちくわの魚町本店でだんご(型ねりみのだんご)2本と、ミニちくわを購入。2時40分ごろに豊橋駅前のチケットショップで名古屋鉄道の豊橋ー名古屋間のサンキューチケット(祝祭休日割引乗車券)を850円で購入し、3時2分発の特急で名古屋に向かったのだが・・・・ 岡崎を過ぎたあたりで寝てしまい、結局終点の新岐阜まで乗車してしまった。仕方がないので、また特急で名古屋まで戻り、5時半発の近鉄特急で帰ってきました。(近鉄の名古屋駅についたのは4時半を少し過ぎたころだったものの、5時と5時25分発の特急のチケットが取れなかったので、5時半発の特急券を買った。)
 明日はお仕事。
May. 3, 2000
 まる1週間、更新できませんでした。理由は簡単。コンピュータが壊れたから。
 先週27日にHDを交換しようとしたが、そこが破壊の始まり、修理断念への第一歩だった。28日にはフロッピードライブを配線ミスにより破壊してしまったため、そのまた翌日にFDDを買ってきたものの、失敗。弟のPCでHDをなんとかしようと試みたが、弟のPCのHDも壊れていることに気がつき、手持ちの新品と交換・・・  そこで、精も根も尽き果て、悪魔のささやきに耳を貸した。
『撤退は負けだ。同じスペックで復旧したってつまらないぞ。そうだ、某オグマ氏が大嫌いなDVDのソフト再生ができるようなスペックのマシン買(こ)うたれや、ぐふぃひひひ。』と悪魔はのたまった。
 自分、弱い人間でした。
 4月30日の2時ごろ、日本橋のDOS/Vパラダイスで、ショップブランドのPC(約11万。Pent3-500MHz, MEMORY:128, HD:13GB)をボーナス一括払いで買ってしまいました。そして翌日、移したモデムが動かないことに気づき、昨日の夕方にモデムを買ってきて、そして今日未明に取り付け、再びネット世界で復活した次第です。(なお、28日は創立記念日で休みだった。)
 ちなみに、先週から今週にかけてのお仕事は、寄贈図書の整備とカード目録(< 夏ごろにはお別れです)の差替作業でした。カード目録作業に伴う腰痛は司書の職業病といえる(ものだったの)だろうか? というささやかな疑問が頭を掠めた。 < 実はやや腰痛気味。

今日から明日まで、豊橋に行ってきます。
Apr. 27, 2000
 只今、朝の7時半過ぎ。Win98のシステムが載っている4.3GBのHDがハード的なエラーを抱えてしまい、起動のたびにscandiskがかかるようになってしまった。そこで、入れ替えるために10.2GBのHDを取り付けた直後、電源スイッチが壊れてしまい、結局今朝になって新しいケースに全部を移動したものの、どういう訳か新しいHDが認識されなかったりする(涙)
 ちなみに、職場は明日、創立記念日のためにお休みのため、明日から三連休。なんとか早々に解決したいのだが……… 

 職場の先輩にあたる某「あやりんまにあ」Tさんがこういうページを開設したらしい。あやりんというのは、さおりん((C)Leaf,AQUAPLUS)でもなく、また妖さま@エンジェルノートでもない、綾辻行○氏のことだったりする。
 
Apr. 25, 2000
 23日の日記を、誤って14日の日記が書かれていたものに上書きしてしまったので、14日の分が消えてしまいました。まあ、多少細かすぎることを書いていた気がしないでもないので、ちょうどいいのかもしれません・・・ (いっぱい書いたのになぁ)
 さて、リアルこみパ@ビッグサイト・東1ホールは地獄のようでした。例えるなら、コミケの男性向け創作=エロ系の部分だけが、ステージ&その前を除く全体に及んでいるような、おぞましい状態でした。あの混み具合、そしてあの行列(※ オグマさんによると、西館前の橋を降りたところから、更に国際展示場駅方向に長蛇の列が出来ていたらしい)は、1ホールだけのイベントとしてはビッグサイト記録になるのではないかと思えるほどでした。(なお、牧やんは名誉会長ということで人津波に流されてませんでした……… いや、少なくとも流れているところを目撃しませんでした(笑)) 
Apr. 23, 2000
 約二週間振りの更新です。また、サボってやがりました。
 このテキストは茨城県つくば市の小熊部屋で書いておりますが、なぜ今つくば市にいるか、その道筋を簡単にご説明しますと・・・
 約2ヶ月前、就職直後にこみパに行くことを思い付く => 先月末のアルバイト期間中にシフト表を見て、「よっしゃ、いける!」と思い、一端は近鉄の夜行高速バスのチケットを確保するも、心変わりして、4日ほど後にJRの夜行高速バスドリーム難波号のチケットを撮り、近鉄のチケットを払い戻す。 => 今月21日の晩、湊町のバスターミナル(難波のOCAT)を21:55にでるバスに乗り込む。(この日は、本当に既視感がひどくする日だった。気のせいだろうが、端末を叩いている時に負と顔を挙げてみた光景や、高速バスで大阪側の二つめの停留所である、なんばバスターミナルから高速に乗った直後の光景。よく似た記憶が繋ぎ合わさって、見たことがあるような気がしているだけなのだろうが・・・・) => 翌朝6時に東京駅八重洲南口について、そのまま常磐高速バスつくば号に乗り、7時40分過ぎぐらいにつくばバスターミナルに到着。母校の図情大で石間くんと少し近況について報告しあった後、新しくてできた院生室1ーZに、同期の院生で博士課程1年の竹之内くんとダベった後、予定通りにもとの住処に住む中尾くんを訪ねて、午前中を費やす。午後、秋葉原で遊ぶ。夕方4時半ご櫓のつくば号に乗って戻ってきたのが5時45分ごろ。再び、朝に訊ねた院生室1ーZに行ってみると今度は来れまた同期で、やはり博士課程1年の伊東さんがいたので、UNIXの話などをする。その後、再び中尾部屋に戻り、午後7時15分ごろに小熊さんと合流。RANRANで晩飯の後、ブックランド霞近くのたこ焼き屋でたこ焼き(8個、315円)を購入の後、小熊部屋に到着。午前中に到着したというPS2で、「王立宇宙軍」を見る。そして、PS2の、mpeg2の処理がああこう、という話を聞く。(比較用に、パトレバ2で、後藤がつりをしているシーンで釣り竿の後ろを人が横切るを見た。処理の苦しい部分がよくわかった。)

 これが一昨日から昨日にかけての経緯ですが、今日の朝には(※ ただいま午前0時を越したぐらいなので、朝になった等の話ですが)東京ビッグサイトに向かいまして、夜10時ごろの高速バスで翌朝6時半前に出発地の湊町バスターミナルに戻る予定ですが、それはさておき、この二週間に何があったのかを簡単にまとめてみます。帰宅後すぐに熟睡する日々が続いていたので、職場で大まかに何をやっていたのかを説明しますと、
 7日ごろまでは引き続き、重複した書誌レコードに対するリンクの統一化にかかる、実物の点検作業をし、その後、18日までの作業は(係は整理係なので)図書館あるいは各学科図書室の資料として受け入れられ、あるいは図書館へ寄贈されてきたてきた和書(一部は洋書)の装備などを行っていました。そして、手が空いたら後述するNALISや、NACSIS-CATのマニュアルを読んで勉強するのみ。まるでテスト勉強をしているような気分だった。なお、14日の金曜日にNTTデータの図書館業務システムで、新しく図書館に導入される予定のNALISというシステムに関する操作説明が行われた。
 18日の午後3時ごろから21日は国立情報学研究所(NII。改組前は学術情報センター(NACSIS))のデータベース、NACSIS-CATから流用しながらの、文部省提出用の目録作成作業をやっていました。一日の処理件数が約200〜300件ぐらいで、渡されたデータの総件数が約1200件。そして残りは約四分の一だから、だいたいあと1日で“自分に割り当てられていた分は”終わりそうかな、といったところです。20日の終業後、湊町のバスターミナルの位置確認などを兼ねて、りゅうき夕海さんのサインを先月末に日本橋にできた、とらのあな・なんば店に探しに行ったものの、見つからなかった。なんでも、まだ店内がばたばたしていて、掲示する場所すら決まっていないとのことだった。そもそも、この話はご本人がご本人のサイトのBBSで書いていた話で、どのように掲示されているのかが気になるとお書きになっていたので、観に行ったのだ。とりあえず、状況説明とともに、同BBSに報告の書き込みをする。
 そして、以上のような仕事(&その他)と平行して、Comic Onのなかの英語版ページの他、それを基にして翻訳された中国語、台湾語、そして韓国語のページを、海外の方々の助けを借りながら、整備していました。読めない言語だらけで、本当に妥当な翻訳になっているのか確認できないのは心許ないことながらも、布教?の足しになるのではないかと淡い期待を抱いてしまう。しかし、毎度のことだが、あのサイトのみならず、あの方の作品の中ではたまにあることだが、英語のスペルミスだけは何とかして欲しい。しかも、URLのなかに出てくるファイル名のスペルミスは特に心苦しいものがある。お断りしておくが、私は間違ってもtourをtoarとは間違えない。(そもそも、日本語版を書いているのは私じゃないですから、お間違えなく。)  厳しい見方だが、今年を逃せば二度と連載が再開できないような気がしてならない。下田祭での寸劇も実に結構なことだとは思うのだが、それは下田という一地域に限定された効果しか持たないであろうイベントにすぎない。第一、漫画を出さないことには漫画家とは言われないだろうから、漫画家としての活動もそろそろ何とか頑張って頂きたいところだ。
 他方、村山由佳界でも若干、動きがあった。6月10日(土曜日、ちなみに非番)に名古屋大学での講演会があると言うことで、あおの氏をはじめとする同志の方々ととともに集結する(= オフをする)ことになる可能性が高まってきたのだ。よい機会なので、ここでもぜひオフを主催したいと考えている。

Apr. 6, 2000
 またまたサボってしまいました・・・ 社会人の時間配分をお勉強中ですので、 しばらく大目に見てやって下さいな。

 さて、昨日、森内閣が発足しましたけど、実は森首相ってのは高校(金沢二水高校)の先輩だったりします。でもでも、あの顔の人に首相になって欲しくなかった(笑)
 では、激動の2週間をひたすら思い出しながら日記に書きます。多少間違えてるかもしれませんが、その部分については将来に渡って忘れましょう。

[3月22〜23日] つくばでお掃除と残っている荷物の発送。段ボール箱を2〜3個まとめたものを13個口ほど大阪に発送。(本を入れた1個口だけ実家に発送。) 終わらない。
[3月24日] 朝、院生室付近は撮影会のごとき状況だった。長沢さんがすごい格好をしてくるわ、オグマさんはオグマさんでやはりTRON印(PMCの社章も兼ねてるのかも?)を付けてくるわ、院生室1-Xには星野さんのかっこええ自転車があるわ、etc, etc。11時ごろより修了式。学部を卒業する、高田君と峯野くんの写真を撮ってあげた。式後、1時ぐらいまで酒付き立食会。その後、2時半ごろから4時台にかけて?(< 飲んでいたため、記憶があやしい)、院生だけで集まって近くのデニーズでだべる。チェキとかいう、ポラロイドのカメラで撮ったものに星野さんがいろいろ書いていたり、女性軍がなぜかワタシに卒業生のコスプレの元キャラについて尋ねてきたり………(< コスプレの件については、オグマさんに質問を丸投げした。ワタシに分かるはずなどないぢゃないか(笑))。その後、晩はオグマさんのところにお世話になり、お風呂を頂戴した。(部屋に入って早々、宿代?の足しにと?製本作業を10冊ほどやらせていただいた。)
[3月25日] 慌ただしい一日となった。朝、オグマさんのところを出たのが9時過ぎで、そのあと、掃除をしたり、タクシーで荷物をコンビニに持ち込んだり(< タクシー代自体は、アパートの一つ破産で隣がタクシー会社だったので、呼びに言ったから660円)、大家に鍵を返したりして、かれこれ11時半ぐらい。その後、院生室のゴミをゴミ袋に突っ込んで、院生室を完全に引き払うのに2時ぐらいまでかかる。その後、3時半ぐらいに東京に着いて、品川駅の高輪口にある京浜旅行?で翌日に乗ることになっていた、横浜発名古屋行きの夜行高速バスのチケット(前日に電話予約)を入手。そして、思い出したかのように、東京タワーに行くことにする。(<= 前日までは行きたいと思っていたのだが、高速バスに乗ったのが2時半ぐらいだったので、一度は諦めていたがあきらめが悪いのがよく分かる例だと思う。) 浜松町駅で降りて、タクシーで東京タワーに行く。(800円ぐらいだっただろうか?) だが、東京タワーにカートを引いていったのは大失敗だった……… この点だけは悔やまれる。丁度、夕日が20度ぐらいで照っているころで、大展望台から筑波山をみて感慨に耽る。ここまで来たからには、と特別展望台に行く。やっぱり筑波山の方角を(懐かしく思いながら)見てしまう。そんなに遠くないように見えたのは、筑波山が大きいからか、タワーが高いからかは分からなかったけど、お別れを言えたと思う。ただ、最後に一度筑波山に行けなかったのが非常に残念だった。6時半になり、7時に有楽町の駅で村山由佳MLの送別会(こと、関西支部設立壮行会の)待ち合わせがあったので、またもやタクシーに乗る。今度は1200円弱ほどかかる。あおのさんとLaputaさん、そしてジャンプノベルスの1号と5号を回収しにいらっしゃったRLHさんがいたが、幹事の(一部では「涼少佐」こと)涼さんは15分遅れとなった。RLHさんはバイクでいらっしゃっていたのだが、お酒が全くダメとのことで、店の前でお帰りになられた。(つくづくご迷惑をかけた、と反省。 < A3の撮れるスキャナー買ったら、またお借りする予定。) その店とは ロイヤル 銀座店。バニーさんのいるところである。7時半すぎから9時をすぎた頃までくつろがせていただく。なお、涼さんはここの会員で、いまは二十歳なのだが……… 頭痛が酷いので、忘れてしまったよ、うんうん(〜▽〜) 店を出てから、あおのさんは利根川沿いの千葉県のために有楽町の駅でお別れとなり、その余は横浜方面にビリヤードに向かうも、横浜駅に着いた時点(10時半前ごろ)でLaputaさんは終電の都合で離脱し、諦めることになり、突如閑散と相成る。自分は自分で、しかたなく横浜駅西口を少し北に行って、端を渡ってすぐぐらいのとこにあるカラオケ屋さんが深夜定額料金(午前0〜5時、1900円)をやっているのを見つけたので、そこで寝ることにしたのだが、結局は2時間睡眠となった。この時点でもまだ背広だったのだが、結局は27日の夕方まで背広(+コート)のままだった。
[3月26日] エンジェルノートのオフの日。朝、カートと手荷物の一つを宅急便で大阪に発送。松屋で朝ご飯。YCATでぶらぶらした後、その側の階段を上がって、横浜そごうの2階の屋外に出ようと階段を上っていたら、朝陽が目に入ってきた。そしてベイブリッジが見えた。その後、すこしYCATでくつろいでいたのだが、午前6時45分、突如思いつき、ベイブリッジに向けて歩いていくことにした。というのは、新きまオレ映画の最初のほうにベイブリッジのシーンがあり、それと同じような景色の場所から撮りたいと思ったのだが・・・ 橋というものが少なくとも二つ以上の陸に接しているはずのモノであることを完全に忘れていたのだ。そして、土地勘などあろうはずもなく、地図も持っていなかったために、ひたすら歩くことになった。山下公園などを経て、約1時間後にベイブリッジの真西に到着。更に、約40分あと、公設の魚釣り場に到着するも、今度はベイブリッジが物陰でよく見えないことに気が付く。まさに無駄足だった。それゆえに結論づけるのだが、あの映画に出てきた場所が本州側ならば、関係者以外立入禁止になっていた埠頭・桟橋区域のなかではないだろうか。(このあたり、地元民の情報をお願いしたい。) なにはともあれ、魚釣り場に見学者として100円ちょっとを払い入場した後、9時25分ごろに横浜駅行きのバスに乗り、45分ぐらいに到着。10時に「京浜急行の改札口前にある、上りしかないエレベータ」で待ち合わせだったのだが、地階との間にある2本ずつの上り下りのエレベータと、2階との間の1本ずつのエレベータがあったのだが、なんとなく10時5分ぐらいには合流することが出来た。ちなみに、ノートはノートでも(当然にNautではなく)Noteを待ち合わせの目印にしていた。なお、ジロクロさんと自分がいたのは地階から上ってきたエレベータの口で、しげるさんがいたのはその数メートル西口側の、2階に上るエレベーターの登り口だった。とりあえず、喫茶店でケーキなどをつつきながら、自己紹介やマンガ談義、こやま基夫ネタ、ラッズさんとジロクロさんの関係についてお聞きする。その後は、主にガレキ・鉄道模型巡りとなった。お二人とも横浜の方らしいが、ジロクロさんの知らない店も色々あったらしい。昼食は、駅西口ちかくのタワーレコードなどの入っているビルの1階(地下1階?)にある桂花というラーメン屋さんで食べた。900円ぐらいの、よく似た肉の塊が浮かんでいる・・・名前が思い出せないけど、そんな新製品を食べる。若干好き嫌いがあるであろう味だが、おいしかった。横浜のアニメイトほか2店ほどの本屋に立ち寄り、コミックを2冊ほど買った。(タイトルはあえて伏せることにしよう。)晩は、
「へ
 魚一丁」
(魚やいっちょう)という飲み屋さんでいただいた。2000円台後半で食べることが出来たので、お薦めである。
 その後、ジロクロさんと別れた後、駅東口、横浜中央郵便局の前あたりの地階にあるコインロッカーで荷物を回収して、しげるさんともお別れ。23時半発の高速バスに発車10分前ぐらいに乗り込む。運転席のすぐ後ろで、しかも隣に人がいなかったので、非常にゆったりと寝ることが出来た。
[3月27日] 朝、青春18きっぷで米原まで行き、そこから京都まで新幹線に乗ったのだが、車内で(弟の引っ越しのために、実家から大阪に向かっていると思っていた)母親の携帯に電話したところ、すでに昨日大阪入りしていて、しかもほとんどの荷物を昨日中に搬入したとのこと。そこで、手伝うべく、急遽目的地を豊中市に変更、11時ぐらいに両親と合流。掃除やモノ運びなどをする。2時半ごろにお昼ご飯を王将で食べるのだが、自分の分だけなかなか来なかった。どうやら忘れていたらしかった。その後、3時ぐらいに阪急に乗り、結局4時半頃に部屋に到着した。
[3月28日] ビジネスソックスなどを買いそろえたり、免許証の住所地を変更したり、いろいろ・・・ 夕方には、布施駅前のアニメイト(※ 単にアニメイトと書くときは、まず間違いなくこの店のことです)でCCさくら映画第二弾の前売り券第一弾(第三弾まである、のかな?)=ポスター付き前売り券を購入し、第二弾=テレカ付き前売り券を予約する。更に、こみっくパーティのカタログと、4月23日?発売のラブひなイメージアルバムを予約した。  [3月29日〜30日] 職場に入る。学部図書室からの移管図書について、ロケーションにかかるデータの変更とカードの差し替えをする。
[3月31日] 書誌データの重複排除のため、実物の調査に基づく、書誌レコード−個々の図書のレコード間のリンク修正作業を行う。(< というより、まだ続いていて、今月下旬にまで及ぶような気がする。)主任司書の熊谷さんより名刺を頂く。そこには、司書、と入っていた。 6時半ぐらいから、退職するナカガワさんの送別会(兼 歓迎会、兼 来年度は大変だから頑張ろう会)が小坂駅前の某飲み屋で開かれたのだが、その道中、魔が差して(笑)ここのURLを教えてしまった。(カミングアウト・・・になるのかな??)その帰り道、よせばいいのに知らない道を勘だけでふらふらと走ってて、而して迷って、八戸ノ里の駅からまっすぐ南に延びている(近大の西側を通ってる)道路に出るまでひたすら迷った・・・・ 夜に迷ったら非常に辛いことは前より身を以て知ってるところだが、ついついやってしまうんだねぇ(笑)
[4月1日] 9時50分集合で、10時より辞令交付式。その後、30〜40分ほど校舎の案内を受ける。おそらく隣接の中学・高校に入ることはないだろう、と若干(校舎を!)念入りに見る。専任事務職員となる。なお、後から聞いた話だが、以前は(司書資格制度とは関係なく)司書と司書補という職名があったらしい。11時半ごろから1時すぎにかけて、関屋校地を見学に連れて行っていただく。
 業後、八戸ノ里の駅で、往路21日発、復路23日発の高速バスのチケットを入手する。もちろん、こみっくパーティのためである。
(Apr. 25, 2000 追加 : このとき購入したのは近鉄バスのもので、その後、一時帰省するに、JR鶴橋駅でJRドリーム難波号のチケットを購入した後、前者のチケットは払い戻した。)
[4月2日] 初めての日曜日。ここ数年では珍しいぐらいに、完全にだれる。だれても可愛くないのは分かり切っているが、デジカメがあったらきっと自分で録っていた(< 撮っていた、が正しいのだろうか?)に違いないほどだれる。
[4月3〜4日] 引き続き、3月31日の項で書いた作業をする。
[4月5日] やはり引き続き、3月31日の項で書いた作業をする。終業後、布施のアニメイトで、こみっくパーティのカタログを入手し、ついでにクロウカード(3500円)を買う。夜9時頃から30分ほど、とある先生の旦那さんにお電話する。昨年末に直にお会いしたのだが、近況などをお伝えした。その後、管理を頼まれているあるページに台湾語と中国語版をアップロードした。これは、とあるMLで英語からの翻訳者を募集したところ、お二方から応募があり、かつファイルが送られてきたので、それを掲載したモノである。


© or (C) Taisuke ITONO, 2000 _