2000年第一四半期の記憶 Memory of the first quarter of the year 2000

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 このドキュメントは日記のようなもので、憂さ晴らしで書いているようなもの(或いは、夜中に井戸に叫んでいる声をテープから起こしたようなもの)も含まれています。通常のブラウジングで読める範囲は、日記の中でも特に差し支えない部分だけであり、私の本音のうち公表するのには問題がある部分はすべて埋めてあります。

1996年〜1997年の記憶 Memory of the year 1996 & 1997
1998年の記憶 Memory of the year 1998
1999年第一四半期の記憶 Memory of the first quarter of the year 1999
1999年第二四半期の記憶 Memory of the second quarter of the year 1999
1999年第三四半期の記憶 Memory of the third quarter of the year 1999
1999年第四四半期の記憶 Memory of the fourth quarter of the year 1999


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小熊さんの日記 「哀愁日記:底に哀はあるの」
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Mar. 18, 2000
 またまた、ご無沙汰してしまいました・・・ ちょっとだけ言い訳をすると、引っ越しがあったから、不可抗力です、たぶん。

 とにかく9日に業者に頼んでいたので、7〜8日に箱詰めをやってました。が、とても終わらなかったので、8日の晩から搬出を行った9日にかけては徹夜しました。そして、9日の晩に(冷蔵庫がまだ動いていたにもかかわらず、ブレーカーを落として、「これで安全だ!」と自信満々になりながら(苦笑))つくばを出て、ムーンライトながらで大阪に向かいました。[これを書いている今頃、フリーザーから水が滴っているに違いない。処理するのは誰でもない自分だからいいけど。] 翌10日は、大垣で乗り換えて、米原に鈍行で向かったのですが、前方(正確には、一つ前の列車の前方)の踏切故障のために、高速道路の関ヶ原トンネル(下り線)出口の横あたりで小一時間ほど止まる羽目になり、結局、大阪に着いたのは11時半ぐらいでした。その後、ウエンズという、近畿大近くの不動産屋でアパートの契約書類や鍵などを受け取って、部屋に入り、米原で買った生八つ橋(あんこなし)をおみやげに大家さんを訪ねたのが12時ごろ。その後、3時頃までカーテンなどを買ってきたりしてるだけで時間がつぶれてしまい、3時半前ぐらいに斜め向かいの銭湯へ行き、30分ぐらいで一風呂浴びました。(実は4日ぶりぐらいだった。)それから、4時半ぐらいに近鉄で難波駅まで(めんどくさくも、上本町で乗り換えて)行って、そこから四??線&ニュートラムで大阪南港フェリーターミナルへ行き、18:50発の関西汽船・別府直行便に乗りました。なんでも、3月1日からのダイヤで、別府−松山−大阪便が(阪神大震災以前のように)神戸に再び寄港するようになったらしい。そのため、船内でパネル展示があったり、レストランに再寄港記念セット(1050円)があったりして、つい食べてしまう。 (この辺りが、自分の血が汚れきったことを感じる瞬間だったりする(笑))

 さて、ここからは犬山あきら様@大分市・高2のリクエストで書くレポートになってますので、若干の誇張・脚色が混じってる[かも]しれませんが、ご了承下さい。

 6時20分、別府観光港に到着した後、かぐつちさんと合流するはずだったものの、どうやら関西汽船の埠頭ではなく宇和島汽船の埠頭に行っていたらしく、結局は15分ほどかかって、やっと捕まえることに成功した。その後、デニー○の看板によく似た看板の、地元系?ファミレスで朝食を食べて、飲み物用割引券(一人あたり3枚貰えるために、かぐつちさん曰く、最高で50枚ほど持っていたことがあるらしい)を貰う。その後、(犬山さんこと)ジョテーさんを拾うべく大分市に向かい、8時50分すぎぐらいから、ジョテーさん宅から近いらしいモスバーガー(開店前)の駐車場で登場を待つ。すると、待ち合わせの9時ちょっとぐらいに、車で送られてきたジョテーさんを発見して、捕獲。
 (ここでお断りしておかねばならないのだが、(1)これは、こやま基夫の作品「エンジェルノート」(以下、エンノー)ファンのオフ会であって、(2)ジョテーさんとかぐつちさんは同じ大分市内ということで、以前に一度、エンノーのオフとして会ったことがあるため、ジョテーさんはかぐつちさんの車を知っていた。よって、すんなりジョテーさんは見つけてくれたわけである。)
 その後、打ち合わせ通り、高崎山へサルを見に行った。入園ゲートに杖があったので、借りることにした。(右足がまだ治ってないので。)A群の時間帯で、麦?を捲いているのを見ることができた。以前に来たときに見た、リヤカーでの餌捲きシーンほどの壮絶さはなかった。小雨が降っていたこともあり、傘をさしながらカメラでサルを撮りまくることに。ジョテーさんは、小猿がもぐもぐ喰ってるのが好きだから、自分は「喰いフェチ」だと言う。だが、ジョテーさんのいう「フェチ」は、かなり広範な意味でのフェチであり、たとえば帰りに(行きのときに上った階段ではなく、緩やかなほうの)坂の途中で木に登ってるサルを2枚ほど撮っただけで、「登りフェチ」にされてしまった。 まあいいけど。 その後、11時すぎぐらいに山を下りて、今度は国道を挟んで向かい側にある水族館に行くことになったが、その前にそこの駐車場にあるレストハウスみたいなとこの2階で昼御飯。自分は大分名物の団子汁?をいただき、二人はジュース類だけ。ここは奢ることにした。ここで、先日のKOR Freaksの徹夜オフで話題になったカルピスソーダフロートの別名について解説したところ、ちょっとだけ受けたような気がする・・・ こういうときはだいたい外してるものだが、終わったことは仕方がない(^^;  30分ぐらいくつろいだ後、1階にある土産物屋さんでかぐつちさんお薦めの「ゆふいんの森」というお酒を買ってから、水族館に入る。この水族館にいる鮹やウニ、アザラシ?はかぐつちさんのお気に入りだそうで、一日でも眺めていられるということで、ついつい3人ではまってしまう。11時20分ぐらいに回遊水槽の餌やりショーがあったものの、マリンガールと呼ばれてた方はgirlじゃなさそうだったのは気のせいだろうか。まあ、いい。その後、11時半からのアザラシ?のショーを観る。自称・お兄さん(いや、元・おにいさん、か)がいろいろ芸をやらせるのだが、白いゴム長を履いた右足で、後ろからまとわりつくアザラシさんを、プールに抜ける穴に(ちょっと邪魔だって!という感じで)蹴り入れるシーンを目撃し、ここの真実− 飼育係と彼らとの本当の関係 −を見た3人は苦笑した。その後、軟体系諸生物(含む、鮹)を見た後、出口にあるショップでお買い物。4月2日にお会いするであろう、いかせんべさん(通称、いかさま)のためのおみやげに、カエルのおもちゃを買う。(でも、ちょっとありふれたやつだし、同じようなのが既にいか家にありそうな気がする。)かぐつちさんは、アザラシのぬいぐるみを買っていた。 このかぐつちさん、実は前回のオフで、ジョテーさんに強制的に、こやま基夫先生のサイン本を貢がされ、「貢ぎかぐつち」と呼ばれたことがあった。がむばって貢いでくれ、儂の分まで(笑) そして、建物の出口寸前にあったフライドポテトや飲み物のあるコーナーでくつろごうとしたとき、窓の外に鳥寄せの場所があったので、カメラをかぐつちさん?に託し、かっぱえびせんを持って挑んだところ、よく集まったので、今度はジョテーさんと、その次はかぐつちさんと共にかっぱえびせんをばらまいた。ジョテーさんにはしなかったが、かぐつちさんの周りに鳥が集まるようにと、かぐつちさんの周囲めがけてかっぱえびせんを投入したところ、そこそこの成果が見られた。特に、かぐちちさんの真横から斜め前方にかけてで、距離1.5メートル付近に投げると、ちょうど良いコースで鳥が飛んでくることが判明した。もちろん、鳥もバカではないらしく、ぶつかるようなコースでは飛んでこなかった。小雨の日だったのが残念だ。次回は、もっと修行を積むことを心に決めた。(いつの日のことになるやら。)その後、カラオケ屋を探しに大分市内に戻る。だが、やはり土曜は混んでいたため、探すだけで小一時間ほどかかった。カラオケ屋では、かぐつちさんは懐メロ系を主に、自分は懐メロ系とアニソンを唄った。ジョテーさんはアニソンに○校生とは思えぬほど[非常に]精通しており、自分が歌えないような80年代ものの曲とか、川本真琴?(真琴だけは合ってるはずだが・・・ ええと、るろ剣のOPを唄ってた人!)の早口な歌などを唄ってらっしゃった。そして、ジョテーさんの敬愛する坂本真綾の「奇跡の海」を唄おうと、番号を入力したとき、真綾を唄っちゃいかんとジョテーさんが書いていたことを思い出したが、とっさに忘れることにして番号を入力。次の曲表示で曲名が出たとき、本人もそのことを忘れていたようだったので、わざわざ予告したところ、「この下僕、死刑ぢゃ」と宣った。今日まで執行されてないけど、まあがんばって大阪まで殺しに来てくださいね(笑) そうこうしているうちに3時間はあっという間に過ぎ、大分駅近くのモール横にある飲み屋さんに5時半?ごろに入る。海の幸を楽しみつつ、かぼすサワーを飲んでみたりする。この大分市民らは、どうもかぼすがあまり好きではないらしかった。その後、大分駅近くのビジネスホテルに予約なしで押し掛けた。そのあたりは300円ぐらいが相場らしく、そこも3200円で泊まれた。
 [3月12日] この日は一人で行動することになった。翌朝は9時にチェックアウト、大分駅で荷物を預けてから、大分城まで歩いた。大分市役所の側から入って、高台に上ってみたものの、はっきりいって見るべきものは何もなかった。時間の無駄だった。その後、再び歩きで、大分駅のほうに歩いていった。ザビエルの銅像を見て、大分県庁前を通って、大分市立図書館(整理期間のため入れなかった)の入ってるビルの前をすぎて、駅前のパルコの地下にある書店で2冊ほど暇つぶしの本を購入。大分駅のペリカン便窓口からで、大分駅で買ったかぼす入りのおみやげ物と共に、帰りには要らないもの(着替えなど)を大阪に発送。少し身軽になったものの、カメラが重いことを再確認した。もうちょっと軽いカメラもほしいけど、なかなか買う気にはなれないのだ。その後、JRで別府駅まで行って、関鯖を使った寿司を食べようと大和鮨という店に行ったものの、12時の開店まで待ったにも関わらず、店主は今日は関鯖が無いことを告げた。仕方がないので、駅前の道を海の方に行く途中にあったショッピングセンターの5階でお昼ご飯として、湯布院の地鶏の定食を食べる。そこを出たのが1時ぐらいだっただろうか。その後、別府市民には悪いが、正直いってかなり貧相な別府タワーへ行き、10分ぐらいしてから、海岸にまで出てみた。遠くに、別府の港が見えた。それから歩いて大分駅前に戻り、吉四六という店で関鯵と大分名物のやせうまを食べた。(定食で食べたわけではないので、本当に刺身とお菓子だけという組み合わせになった。それ以上は腹に入らなかったので、仕方がない。) 今回の別府行きで、父親に、だし用の椎茸の茎を大量に調達するようにと頼まれていたのだが、駅前の乾物屋はおろか、別府観光港にある大分県の物産館や、その近くのドライブインでも発見できなかった。(その旨は、帰りの船に乗ってから、電話で報告した。) その後、血の池地獄だけ見に行った。バスで30分ほどだが、血の池地獄とその横にある竜巻地獄は鉄輪行きのバスのなかでも便数が少ない路線になるので注意が必要なところだろう。 書き忘れていたが、先ほど書いた高崎耶麻もその前の水族館も、別府の地獄巡りも、湯布院も、全部家族で一度来たことがあるのだ。 それなのに、なぜ血の池地獄だけもう一度来たかというと、ただ単に、ある方のホームページがそのようなタイトルだったので、つい行ってみたくなっただけだったのだ。そこでは、血の池地獄の湯ノ花?を使った軟膏と、700円の「毎日が地獄です」タオル、そして「カリカリきのこ」という椎茸をそのまま使ったお菓子を購入。今日の時点では、いずれも行き先は未定。その後、四時頃に別府観光港に戻り、吉野屋の牛丼(並盛り)を食べ、みやげ物を漁ったものの結局買わずに、竹の博物館?に行こうと踏切を越えたとき、時すでに4時55分=閉館5分前であることに気がついたので、引き返した。そして、6時ぐらいからフェリーの待合室で時間をつぶした。1階の土産物屋に小渕首相のキーホルダーがあったが、あれはいわゆる「いやげもの」(嫌なみやげ物)の類であろうし、そもそも日本土産(日本いやげ、というべきか?)以外にはなり得ないだろう。私は要らない。フェリーに乗ってからは、定食を食べて、すぐに寝た。行きの船では隅っこで、しかも隣はいなかったので非常に楽だったが、今回は両隣がいたので、ちょっとだけ狭かった。
 [3月13日] 翌朝、到着してから、まっすぐアパートに向かい、荷物をおいた。そして、まず自転車を買ってから、地獄の日本橋巡礼・第一段(到着時刻正午頃から)は始まった。第一段では、中川デンキの○号店で、BS/CS(Sky PerfecTV)兼用アンテナを(展示品を出して貰ったため、3割引価格として)11000円ほどで購入し、冷蔵庫などの配達を依頼した。そのとき、カート(1500円ぐらい)も購入した。その後、近畿大近くのリサイクル屋で洗濯機の配送を依頼したものの、テレビをそこで8000円ぐらいで買う気になれず、新品を買うことにした。第2段(到着時刻午後6時頃)では、テレビと照明器具一つとBSアンテナの取り付け金具(マンションのベランダ用、挟み込み型)を購入した。これはさすがに重かった。ここで堺筋線で近鉄との乗換駅である日本橋まで行けば良かったのに、あるいて近鉄日本橋駅まで行った。つくづく馬鹿なことをしたものだと悔いている。その日は暖房を強くして、段ボールにくるまって寝た。
 [3月14日] 搬入の日だった。10時ぐらいに業者が来て、搬入を開始。松山からは中尾くん(Mar. 5, 2000を参照のこと)が来てくれたのだが、なんと中尾くんのお父さんまでも来て下さった。中尾くんだけしか来ないと思っていたので、すこし驚いた。洗濯機は11時頃に着いた。お昼ぐらいに来るはずのガス業者がなかなか来ないので電話で確認したところ、3時から5時ぐらいとのことだったので、1時頃に3人で食べに行く。こともあろうに、定食屋兼飲み屋みたいな店(晩もそこでごちそうになってしまった)でごちそうになってしまう。その後、近鉄・八戸ノ里駅のすこし北側にホームセンターがあるとそこの主人に聞き、一人で行ったもののあいにく定休日だったので、八戸ノ里駅前のSEIYUでカラーボックス2個を買って、ひたすら自転車で運んだ・・・・ だが、これも馬鹿な行動だった。カラーボックスぐらい近くで売っているから、遠々と運ぶ苦労をする必要はなかったのだ。午後からの小雨に降られた。その後、ガス業者が開栓作業をしている最中はそれにつきあって、中尾くん父子には荷ほどきをお願いした。その後、カラーボックスの組立を二手に分かれてやって、そこに本を入れたのだが、それだけでもかなり段ボールは減った。そうこうしているうちに6時ぐらいになったので、昼間の店に食べに行った。いろいろ、中尾くんのお父さんのやってきた仕事について聞くことができた。その後、7時半が近くなったとき、ふと帰りの船(注:来るときも関西汽船だった)の時間まで1時間半しかないことに気づいて、タクシーで小坂の駅まで行くことを提案した。なぜ長瀬でも八戸ノ里でもなく小坂かというと、小坂は準急も止まるし、乗り換えのなんば駅まで1本で済むからである。あとから聞いたところでは、発船10分ほど前に到着したらしい。あぶなかった。 その後、飲んでいたため、すぐに寝た。
 [3月15日] 起きたのは9時過ぎぐらいだった。昼過ぎに近くの森下外科医院に行ったら、どうも近くの学校で校医さんをしているらしく、午後は5時から8時までやってるらしい。その後、自転車でちょっと遠出。八戸ノ里駅の向こう(北側)にある、前日が定休日だったホームセンターで机と椅子の発送を依頼し、一度戻ってから、今度は職場のある小坂駅付近に向かった。職場までは自転車で10分ほどで行けることが分かったので、そのあしで中古のバイクを探しにいったものの、その店は定休日だった。次に、俊徳道の駅に近い、NTT西日本の東大阪支店まで行って、テレホーダイの申し込みをした。実は、引っ越してすぐにタイムプラスに入れると聞いていたのに、つくばのNTTがろくに調べもしなかったために、入れない可能性が高くなってしまったのだ。この件で、結局3時間ほどが消えた。夕方、写真を現像に出してから、カッターシャツとネクタイとビジネス用靴下を買って、森下外科に行った。その後、写真を引き取りに行ったら、フィルム3本で5000円ほどになってしまった。PCの調子が悪かったので、触っているうちに、とうとうビデオボードが動かなくなったため、その日のうちにWebに出ることをあきらめる。
 [3月16日] 朝から雨。朝10時に職場に顔を出すことになっていた。だが、鍵が見つからず、9時15分ごろに徒歩で職場に向かったのだが、郵便局によった時間こみで30分ほどで着いた。事務長からいろいろ説明を受けて、職場の中でその資料を一人黙々と読むことにする。正午を少しすぎた頃、大学院の1年先輩であり、職場の先輩となる河手さんと食べに行く。定食を奢ってもらった。その後、再び午前中同様、資料を読む。午後2時頃に、館長の石川先生が同僚となる方々に紹介して下さったので、短めの自己紹介と共にご挨拶した。2時15分ごろに退出して、前日は定休日だった中古バイクの専門店に入ってみた。だが、どうも10万ぐらいからのものしかないので、しばらくは自転車の生活をすることにした。そして、布施と小坂の間にある?駅から近鉄で日本橋まで行った。目的は、PCIのビデオボードと、長めの電話線を買うこと。結局、PCIで4Mのビデオボードを3400円ぐらいで、電話線(4芯、?メートル)を700円ぐらいで購入して、堺筋線経由でさっさと帰った。なぜAGPにしなかったかというと、マザーのAGPバスのほうがいかれている可能性があるかもしれないと思ったからであり、それ以上の理由はない。(おそらくはAGPのボードの方がいかれたのだろうが、その日はどうしても動かしたかったのだ。)PCIで8Mのものが7000円ぐらいであったものの、基本的には文字の仕事しかしないので、買わなかった。帰ってから早速取り付けたところ、一発でまともに動いてくれたので、メールを1週間分、90通強ほど受け取った。前日に気がついたのだが、小熊さんから貰って修理したBSチューナーつきビデオ(SONY SLV-BS511)に、リモコンのどのボタンを押したところで、BSの予約をかけることができないことに気がついたので、その旨の質問を送った。その晩に送られた回答では、BSは使ってなかったから分からないとのことだった。 これは翌日、SONYのサービスセンターに電話して初めて判明したことだが、そのリモコンはそのビデオのモノではなかったのだ。しかも、そのミスは小熊さんがそのビデオを中古で買ったときにその店がそのリモコンをつけたところから始まっていることが、さらに18日に届いたメールで判明した。 その日の午後6時頃、冷蔵庫が到着。
 [3月17日] 朝風呂をする。洗濯と部屋の片づけなどで午前の時間は消えた。午後1時半の予定の所、1時20分ごろからから事故の件で、安田火災の大阪の担当者が来訪。地理的なことなどで和気藹々と30分ほどダベった。その後、4時ぐらいにつくばで録ったバッグいっぱいのビデオをカートに乗せて、長瀬駅から鶴橋駅まで乗ったのだが、鶴橋駅でふと乗り換え口で学割が使えないことに気がつき、しかたなく1階まで降りて改札から出て、みどりの窓口で金沢までの往復乗車券(学割)と片道の自由席特急券(2630円)を購入。約1万円。その後、JRで大阪駅へ行き、4時45分大阪発・7時11分金沢着のサンダーバード31号で帰省。(エヴァシリーズはせいぜい10号台どまりだが、それはどうでもいいことだろう(笑))
 [3月18日] 朝、てるてるとお墓参りを兼ねたお散歩。10時ぐらいに、母方の叔父が母を訪ねてきたものの、急に仕事の日になったため不在だった。これから祖父母を見舞いに行くと言うことなので、従弟たちと行った。母方の叔父のとこには3人の従弟がおり、一緒に行ったのはそこの2番目と3番目だったが、実に騒がしい盛りだった。帰ってからは熟睡して、6時頃に起きてから熟睡し、買い物に行って、晩御飯を食べて、いまのいままで2時間ほど日記を書いている次第だが。いつの間にか19日の午前0時41分になってしまったので、今日はここまで。
Mar. 5, 2000
 3月1日、昼過ぎに中尾くん@松山市・無職がやってきた。彼は学部の同期で、150単位ほど取って卒業したにもかかわらず、司書資格の単位を落としてしまったため、欠けた単位を取るべく、科目等履修生になることにしたらしい。性格からして、夏期講習では彼にはハードであるがゆえに、半年(前期)だけこちらに住むことにするとのことで、自分の退去したあとに入ってもらうことにした。これで置いていくモノが増えて助かることになった。同じ院生室の呉さんが同じ大家の別のアパートに入居したいとのことなので、紹介料のこともあり、中尾君と3人で4時半頃に大家さんの所に行った。だが、呉さんのほうは話がまとまらなかったので、中尾君と二人で残って仮契約をし、家賃相当額の1ヶ月分を手付けとして支払った。その後、紹介料の1万円を持って、近くのデニーズで夕食。その後、院生室に戻って、ダベったり遊んだりしていたのだが、とりあえずCD-Rを焼き終わったので、アパートの方に戻って部屋の整理を始めたものの、結局午前4時頃に力つきて寝てしまう。
 3月2日、中尾君は朝から学務の方で願書の提出をしていたのだが、その頃はまだ寝ていた。10時頃になって、彼がアパートまで来たとき、部屋の中は荒れ放題だったが、一応引き継ぐものの確認だけ済ませた。その後、デニーズで遅い朝食を食べて、またまた院生室で3時頃まで遊び、見送った。そのあと、諸岡さん(院生室で同室)に頼まれて、諸岡さんの職場である国際稲研究所(International Rice Research Institute)の日本支部でハードディスクの増設その他の作業をする。これは2月29日に引き続いての作業だが、メルコのハードディスク(Ultra-SCSI、30GB)に初期不良があることを発見した。エラーの自動修正をしないモードで完全チェックを施したところ、クラスタ10で正常に読み書きできないことが判明したのである。そこで購入したC-YOUに連絡したところ、交換または返金で対応するとのことだったので、諸岡さんが一人でC-YOUに行くことになった。やはりメルコはメルコだったか。
 3月3日、桃の節句。今年は朋ちゃんの日ではなかった(笑) そして、私の寿命も確実に1ヶ月以上縮まった日だった、というのは、同期のNさん(@教習所に通い中)が同じく同期のHさんより、車検直前の車を5万で買い取ったのだ。そして、それを使って学生用駐車場で練習をするのにつきあうことになったのだが・・・・・・・・・・・・・ 1時間の長さがこれほど長く感じられたのはかなり久しぶりのことだった。その途中、これまた同期の高瀬くんが自転車で走っていくのが見えたので「助けてくれ」といいそうになったが、堪えた。終わったすぐあとの2時すぎ、Nさんより内線電話で呼ばれていってみたら、高瀬さんが桜餅をたくさん持ってきていたので、お茶の時間になった。 1週間分ぐらいは寿命が元通りになった心地がした。 みんな、いのちはたいせつにね(爆)
Mar. 4, 2000
 メール不読期間の予告

 3月8日午後11時以降に到達したメールは、3月15日午前10時頃まで読むことができません。
 その間に連絡を取る必要がある方は、3月7日までにご連絡を下さい。必要であると認めた方に限り、携帯の番号をお教えします。
 今日は日野市まで行って来た。別に、伝説の日野市立図書館を見に行ったわけではなく、同期の泉さんのとこにビデオを預けるためである。
 関東圏の番組の入手は、極端に聞こえるだろうが、死活問題である。もちろん、アニメのほとんどはパッケージになって遠からぬ将来販売されるモノが殆どである。しかし、それでは遅いのだ・・・・・・ 私は待てない。だから、ビデオを贈呈して、そのビデオで録ってもらうことにしたのである。
 朝8時のつくば号で上野に出て、山手線経由の東京駅で中央特快に乗り換えて、10時28分に八王子に着いた。だが、降りるべき駅を間違っていた。本当は京王の聖蹟桜ヶ丘駅で下車しなければならなかったので、JR八王子駅から京王八王子駅まで歩いて、特急で聖蹟桜ヶ丘駅に着いた。11時4分、待ち合わせから30分以上遅れてしまった。泉さんの車(昭和63年式)で電器屋巡りが始まったが、とりあえず吉野屋で定食を奢る。1軒目はコジマ電機だったが、そこにVictorの、CS入力対応(・・・という名称だが、実のところは、映像入力に信号が来たら録画してくれるモードのことである。だから、CATVでも何でもいいのだ。)ビデオHR-G9が19800円(税抜き)であったので、購入。しかし、そこには安い180分テープは無かった。そこで、ヤマダ電器に行ったものの、やはり3本で1180円のものしかない。なぜだ、とひたすら残念がるしかなかったが、そうしててもしかたがないので9本買う。ダイクマ(ディスカウントストア)に寄ったあと、泉さんの部屋にお邪魔してビデオを設置した。金曜日の番組を中心に録画予約をかけたのだが、それは志村けんのバカ殿様シリーズを1時間半ほど楽しんだあとのことになった。その後、すかいらーくで遅い昼ご飯を食べ、再び5時40分ごろに聖蹟桜ヶ丘駅に戻った。少し疲れていたのか、逆の方向のホームに行ってしまい、反対側のホームから新宿行きの特急を見送ってしまうこととなった。仕方がないので、51分の急行で新宿に向かい、中央線快速に乗り換え、なんとか7時ジャストのつくば号に乗ることが出来た。
 これで一応、懸案が一つ片づいたことになるが、この体制が来年以降も続くかは未定である。というのは、(1)12月に始まるBSデジタル放送で何が放送されるかまだ判らないうえに、(2)Sky PerfecTVがDirecTVを吸収することにより、アニメシアターX(AT-X)がPerfecTVで見られるようになるかどうかもはっきりしないからである。更に言えば、(3)東大阪ケーブルテレビで何が放送されているのかもまた、よく判らない。
 我が大阪の住処、そして全国の同類たちに幸多き電波の雨の降らんことを。

Mar. 3, 2000
[3月の予定]

 9日 引っ越し(搬出)、ムーンライトながらで大阪へ向かう。
 10日 大阪到着。大分行きの準備と、日本橋で家電製品の購入・運送依頼
晩には関西汽船のフェリーで別府へ向かう。
 11日〜12日 大分にて、エンジェルノート系(?)のオフ & 湯布院。
 13日 朝(遅くとも昼頃)に大阪入り。衛星のアンテナ取り付けその他。
 14日 引っ越し(搬入)
 17日 朝、金沢へ。住民登録その他の事務をやる。数日、てるるとあそぶ。
 24日 修了式(卒業式の大学院版のこと)
 25日 村山由佳親衛隊関西支部設立壮行会こと、YMML系の送別会・・・・たぶん(爆)
 26日 横浜にて、エンジェルノート系オフ。

 日記を1ヶ月近くサボってしまったので、まとめて書きます。ただ、2月4日の、中期的不在予報と実際とは大差ないので、だいたい日程はあの通りになりました。
 2月12日はダラダラ会で池袋で遊びました。参加者は、主賓?のりゅうき夕海さん、(FXさんに以前“いくらちゃん”と間違えて呼ばれてちょっぴりご機嫌斜めだった)いるかちゃん、FXさん、北海道からその日の昼頃に直輸入されてきた "いちごー" さん、NATさん、神楽さん、古守さんの計8名。午後3時に池袋駅東口の、男が二人ブリッジして組み合わさってる、鳩用の足場の如きモニュメントの前で待ち合わせ。2時半少し前に現地に到着していて、そのあとにFXさんといちごーさんが現地に来たものの、FXさんが「あるもの」・・・ねこみみを忘れてきたことが判明。(FXさんと申し合わせてあったのだ。)走って、東急ハンズにGO! だが、うさみみ(簡易バニーさんセット)しかなかったので、あきらめてそれを購入。3時すこし前に戻ったとき、横断歩道の上で袋からちょこっとだけ引っ張り出して見せたら、諦めたような嘆きの表情になった。とりあえず、西口に抜ける地下連絡通路の手前にあるゲーセンで4時半ぐらいまで過ごす。その後、ファミレスでダベりタイムが約2時間。和民の池袋メトロポリタン通店で7時からの予約だったので、先ほどの連絡通路を抜け、西池袋方面に出て、店に入り・・・ とうとうFXさんの運命の刻が来た。みみ刑の執行である。飲み会が始まって30分ぐらいしたとき、酔いに任せてとりだしたる“うさみみ”をFXさんのほうに転送してもらうも、往生際が悪いことになかなか付けない。そこで、いちごーさんが最初の生け贄となってしまった。その後、FXさんや自分などを経て、うさみみは部屋の中に寸酷な汚染を残した後、格納された(笑) そして、お開きのあとも軽食タイムが待っていたのだが、おねむの時間が来た。眠い・・・ その間に、こともあろうにホットケーキセットのバターをバニラアイスと間違えて「犬の気持ちが分かるようだ」とほざいた奴がいた・・・ それは、自分だったのだが、受けすぎた。はぁ。結局、前日も徹夜していたといういちごーさんとともに、荻窪のFXさん宅に泊めてもらった。翌朝はまず東京流通センター(TRC。なお、図書館業界の用語としてのTRCは、図書館流通センターという日本図書館協会の出資している会社を指す)のコミティア(?)に参加したのち、東京駅へ向かい、八重洲でのみず谷なおき(故人)の作品展(最終日)を見に行った。竹居さんを会場内で発見したので声をかける。なぜ、こう脈絡もなく竹居さんに遭遇することが多いのだろうか?と本気で悩んでしまった。 デンパのせいか(笑)
 2月17日に予定されていた診察は1週間順延して24日にした。この日が筑波大では最後の診察になったので、慰謝料の見積もりと書類を送付してもらったところ、月曜に見た数字は「こんだけの金額でこの痛みをひきづってくのには納得行かぬ」と思った。やはり、完治するまで通院することにしようと決意する。
 2月26日の午後9時、新宿駅東口(MY CITY)で待ち合わせして、KOR Freaksの送別会。いきなり10時から、いつも通り、カラオケ屋ZENITHでダベる。最も遠い人は、杉作さんの岡山(出張先)になるはずだったものの、名古屋のYasさんとなった。杉酢酸は欠席したわけではなく、出張先から「要らなくなった」の一言で帰されたらしいのだ。無情だ。その後、予約を入れていた、午前0時から5時までの格安タイムに突入。歌いまくる。そして、最後の30分は、きまオレ系らしく、きまオレの歌のオンパレード。オレンジミステリーに鏡の中のアクトレス。大阪に行ったらこうも一緒に歌えるメンツはいない(涙) その後、池袋サンシャインのコミック〜〜(忘れた)FINALに並ぶ。あきさん・めがねさん・まっちぇさんとともに、10時半に列に並んだものの、2回目にして最後のこの即売会には長蛇の列が並んだ。しかし、行き先は最初から3箇所ぐらいしかなかったので、すぐに暇になってしまった。仕方がないので、1階のマクドナルドで食べていると、めがねさんから電話が・・・ 集合したとのことだが、未だに迷子になるサンシャインのなかで見つけてもらうのは至難と覚悟して、離脱を宣言。その後、一行はYasさんを池袋で拾って、秋葉原に行ったのだが、自分も秋葉に行って最後の買い物を楽しんでいた。だが、その後に3回もYasさんと遭遇したのである: そのとき、あきさんの車は縦列駐車の感覚の狭さが故に、秋葉を去れずにいた。結局、パチンコに行って出まくったらしいが、Yasさんは(あきさんの住む)船橋に車を置きっぱなしだったので、(電車で行こうと思えば行けるものの)ずっと車が動けるようになるのを待っていた。しかし、とうとう7時頃に諦めたので、一緒に秋葉を去った。これが26日から27日の出来事。

Feb. 29, 2000
 今日はうるう日。早速、1974年の稼働以来一度も止められたことのないアメダスが止められたそうで、エラい日だなぁと思ってます。あと、c:\con\con\con へアクセスしたらブルースクリーンが観られる、とMy Yahoo!で読んだので、学内向けhttpサーバーを動かしてる関係論講座のkankeidecに試してみたところ、見事に落ちました・・・ これがIRCで流されたら(汗)
Feb. 8, 2000
 昨日の引っ越しは誰の引っ越しか書き忘れてましたけど、Jan. 31, 2000に書いてあるので省略。

 午後8時半頃、院生室の窓の外で音がしたので、気になってブラインドを持ち上げると、今シーズン初めての雪が降っていた。
 実は、2月末の冷たくて、締まるような空気が一年のうちで最も好きです。人になぜかを説明しようとすると「透明に澄んだ水のようで気持ちがいいから」といった言い方になるけど、これって、生まれたのがその頃だからかもしれない。はたまた、学部1年の頃にある飲み会で「珍しく、犬属性だね」と言われたことがあったので・・・・ (院生のくせに、こんなくだらない仮説を否定できないなんて、ホントに通るような論文を書いたのかな、自分?(笑))
 まあ、犬属性ってのは冗談としても、雪国育ちのくせに少し寒がりなのにも関わらず「よく言うもんだ」と自分でも思うのに、やはり好きだと思う。 理由のない「好きなもの」の一つとして。

 アメリカの"Corporate Headquarters"(と母親は読み上げたけど、変な社名だな(笑))というところから、履歴書のフォームが送られてきたらしい。そもそも、なぜ実家の住所が漏れているのかは見当が付かないが、おそらく旧InterNICにごく一時期登録していた住所を参照したのだろう。古いデータをつかまされたとしか思えない。送料が無駄になったとしか言いようがないけど、せいぜい(日本円で)50円か80円ちょっとのはずなので、大した無駄じゃないのは間違いない。  
Feb. 7, 2000
 放送大学がCyberclickという会社にバナー広告をやらせているのを発見する。費用はこちらのような感じだったが、これは国立大学の広告費としては安いのだろうか? そして、このバナー広告は、受験シーズンだけなのだろうか?

 さて、一昨日から昨日にかけての行程について、日記も兼ねて書いておこう。
 5日の15時半ごろに上野着。秋葉原でCD-R(計20枚)とBluebloodさんのコミックを購入。その後、銀座線を茅場町で東西線に乗り換えて、めがねさん宅に到着したのが20時15分ぐらい。その後、マンガを読み、Queen of Heart'99(実は持ってるけど、今日の今日までうちのPCではプレーしなかった。後で書くけど、ゲーム用コントローラーが無かったので)を裏来栖川先輩でやる。やっぱ、鎌はいい・・・ りすき〜〜〜〜〜!!!!! [嘘です。リスキー萌えではありません。]
 さて、その後、ひたすらだれていると、あきさんが到着。その後、杉作さんも到着。日が変わり、めがねさんが寝た後の3時半頃、松屋(和食系)で夜食+ファミマでお買い物の後、寝る。7時半頃気性の予定が30分ほどずれる。結局、8時半頃に出発して、小田急・読売ランド前駅前のマクドナルドに着いたのがだいたい9時45分。そこで、小田急で現地入りしていた眞さんを発見。そのちょっと後に淡海(たんかい)さんも到着。ホットケーキのセットを朝食に食べる。Studio Waveの方を待つこと30分ほど、高野さん(?)がまず到着したものの、仕事がないので待機して欲しいとのことで、11時頃まで待つことに。そして、次は藤倉せいいちさんが到着。ジャンケンで、旧オフィス行き2名と新オフィス行き4名をジャンケンで決めることに。勝負は、眞さんと自分がチョキで勝ったため、一発で決まったような物であった。が! 実は、負けた4人は夜までの間仕事があまりなく、こちらの方がシビアだった。(その後、淡海さんが旧オフィス側に合流することに。)
 ちなみに、旧オフィスは4LDK、新オフィスは3LDK、でもって、差分の荷物が押し入れ一個分ほど。さあ、大変だ、ということになっていた訳であり・・・・
 昼ご飯のとき(14時頃)に新オフィスへ行ったものの、ちょうど照明の作業中で、結局のところ2階のコンピュータ部屋(予定)でお食事(弁当)と相成ることに。立食に皆慣れていたため、あきさんの、みんなそういう育ちなんだなぁ、という感想に皆納得する(笑)。その後、再び旧オフィスに戻って、お掃除。
 午後8時半頃、再び新オフィスサイドから招集が掛かり、主にコンピュータ部屋での作業をお手伝いする。オニのような量の段ボールがあった、とだけしか書きたくない、というか思い出すのもしんどいです。その後、一応のメドが付いたので、バーミヤンすかいらーく系列の中華系)へお食事に行って、おみやげの数々を頂戴する。溜め息がでるどころか、レアものテレカが20枚近くも並んでるのを見て、本当に頭がクラクラした・・・・ 一生見ることがないような光景だった。そして、あみだくじで秘宝の数々を6人で奪い合った結果、「エンジェルグラフィティ」設定資料集の校正刷りなどが入った、ソニーの封筒を戴くことになる。そして、ここに埋めることも出来ないような、ある密約を交わすことに。(ふふふ) だが、まだ先があった。
 帰ってから、書庫兼仕事場?の部屋はサイン会の場と化した。 あみだくじの封筒に入っていた無地の色紙(キャラはなんでもOK)にあきさんがひかるちゃんとまどかさんの絵を描いて貰った後、その下に敷かれていて、かつ下書きをした新聞紙をめがねさんがゲットした。それを見ていた自分、つい、自分のシャツにサインをお願いしてしまう。[ああ、オタクだ。]そして、畏れ多くも、まどかさんの絵まで入れていただけることに。私服この上なくて何も言えない状況!!!(木亥火暴)
 その晩は、帰りの車で上野に降ろしてもらい、上野駅側のサウナ+カプセルホテルで、サウナのほうの休眠室にて就寝。これが午前1時少し前ぐらい。
 そして、これが今日(< 書いている今は、8日の午前0時15分ぐらいですが(^^;;;)は朝9時半まで寝ていました。世間の皆様ごめんなさいという時間帯ですね(笑) 10時10分頃に秋葉原に到着して、ゲーム用コントローラー(Justy:JPD-108)を1000円で調達して、その足ですぐに、つくば号で帰還。その後、16時頃から20時までにまた寝てしまい、RanRanで肉野菜丼(680円)を食べてから登校。今に至る・・・
Feb. 4, 2000
 中期的不在予報

 2月6日 引っ越しの手伝いに神奈川まで。(前日の晩は東京)
 2月12日 オフ(「だらだら会」)のため、不在(新宿?で飲み会)
 2月17日 午前中は筑波大学附属病院へ通院につき、不在。
 2月19-21日 大阪で住処探し (M島某所に宿泊)
 2月22日  日本文芸家協会のシンポジウムに出席
 2月26日か27日 KOR Freaksからの送別会??)で合流、その足で地下1階にあるマクドナルドへ。1時間ほどダベる。
 閉会後、西池袋某所で新年会・・・ 9時50分頃に罷り出て、10時半のつくば号に乗って11時30分少し前に到着。その足で大学に帰り、またまたFXさんとチャット。
 オタクな日であった。

 午前中には、まつもと泉先生がBBS(ABCB)で書いていた近況報告の概要を英訳して、KOR-ML(きまオレML)に流す作業がありました。(つい先ほど、台湾大学のtelnet BBSで、日本語を巧く読めないが為に正反対のことを書いているらしい人がいたので、英文にてそれを再掲しておきました。 < たまにこういうこともやっています。)
   来週日曜は、引っ越しのお手伝いをしに行く予定だったりする。本人からメールを戴いたことはあるモノの、実際にあったことがないので、楽しみです。
Jan. 28, 2000
 ただいま午前2時をすぎたぐらい。またも数日間サボったので、まとめて書くことにする。

 25日、論文の最終発表会。午前9時55分から、5分遅れで開始と相成る。ゆっくりと読んだものの、20分の発表時間が終わる2分ほど前に終わった。読み原稿への書き換えが6割程度完了していたものでだいたい3800字ぐらいだったから、分速200〜250字程度で読んだことになる。最後に来て、「以上で発表を終わります」と言おうとして、果たして終わるのは「発表」だろうか?__と考えてしまい、どうでもいいやと言い直してしまう。まあ、致命的な失態と言うほどの問題ではない。山本(元副学長)先生より質問を二つほど受けて、4分ほどを費やす。正直なところ、「助かりました。ありがとうございます!!」と言いたくなりました、ホントに! 次に、寺田先生(薬袋先生とともに副査)から質問を受ける。これはちょっと議論してしまったものの、少し長引いたので、司会が切って下さった。内容上の問題で質疑の5分をオーバーしたならば筆者の問題だが、それ以外の場合の質疑時間オーバーは質問者との合作?である。だが、質疑についてもさほどオーバーしなかった。その後、指導教官に部屋に呼ばれたので、喧嘩になりそうなら受けて立つつもりで研究室に出向いた。(喧嘩しても論文提出上困らないし、勝てる自信があったので行っただけである。私は勝てない勝負をするのは非常に苦手なほうだ。)一応、謝ったので、赦すことにする。弟子の立場で言うのも何だが、当たり前である。でも、これで論文が薬袋先生に落とされたら、大学の不法行為責任(論文指導に関する債務不履行、および指導教官に対する学長の監督責任)について争ってやるつもりである・・・けど、まあ、大丈夫だと思う。[< 本当か?! ]
 25日はまだ続く。午後4時頃、院生室で同室の呉 超勤さんが院生室に駆け込んできて、いまからレジュメの製本をするとのことなので、コピーが行われているその横で、出来てきたレジュメをホッチキス止めして手伝う。約30分を費やす。それが終わった約20分後、今度は同室の諸岡さんが駆け込んできた。コピー機の調子が2階も3階も悪かったので結局4階でコピーする。なんか不安だったので会場(207教室)に行こうとしたら、不安的中、ご存じなかった。(これまでは100番教室だったのだが、実は朝9時に長沢さんに尋ねるまでは自分も忘れていた。)そこで、そこまでお連れして、一度院生室に帰る。呉さんと諸岡さんがそれぞれ最後から2番目と最後だったので、この二人の発表を聞くことにする。終わった後で、諸岡さんに近くのCOCO'Sで「伊達鶏の〜定食」(忘れた)を奢っていただく。食べながら、約2時間ほどダベる。
 26日、思いっきりだれてしまう。
 27日、朝に実家に電話する。昨晩の電話で、集英社から届いたというポスターが、集英社のいったいどこから来たものなのかを確認するよう母に頼んでいたのだ。すると、「SJ」なんとかこうとかだという。これで完全に分かった、それが「幕末綿羊娘情史」のものであることを。次に院生室に行って、通帳を探し出し、銀行で付け上げして、ある方のための計算書などを作る。(この日までに振り込まれるはずの、先月末の事故に関係する物損(9:1で決着)の36,000円が振り込まれるはずだったのだが、この時点ではまだだった。)昼に戻ってきたら、「筑大図書延滞」と裏に書かれた本学図書館からの通知状が院生用掲示板に張られているのを発見する。だが、とりあえず就職関係の書類(誓約書など)を東大阪に書留速達で送付し、つくばバスターミナルのびゅープラザで来月19-21日の大阪との往復のために、ムーンライトながらの座席指定券を2枚購入。14:15に大学に戻る。一応、指導教官の授業に出るハメになったためだが、この日は25分の遅刻だった。授業が終わった後も1時間ほど拘束される。その直後、筑波大学中央図書館まで図書を返却しに行って、その帰りの足で石丸電気@東新井へ。「LEAF VOCAL COLLECTION VOL.1」の予約のためだが、既に入荷していたので、即ちに買う。ついでに、村山由佳原作「きみのためにできること」(通称「きみため」)のビデオの予約をかけるべく質問したところ、28日に発売のものはレンタル用(16000円強)であることが判明。セル(13000円強)についても発売未定であるらしい。そこで、こちらの予約はしないことにする。そのあとジャスコでおかずを買って、アパートで晩ご飯を食べて、ちょっとのつもりで床に入ったのが大間違いだった。・・・・こんな生活が後2ヶ月も続かないのだと思うと、すこし寂しい。
 28日、午前0時40分ごろに投稿。影の、そして真正なる「ゆうりすオタク一番」オグマさんが私の院生室の前に「デンパあります」という張り紙をしていったことに気がつく。それでもすぐに外さない私(笑) そして、和田加奈子の「流れるように」を聴いていたところ、左の方に気配を感じて振り向けば、いつの間にかオグマさんがいた。(よくあることである。)オタク話を約20分。帰るところだったらしい。その後、昨晩買った「LEAF〜」を聴く。感想としては、(1)「恋わずらい」の声は変えない方がよかった、(2)「Brand-New Heart」の2題目は初めて聴いたけど、very good。 実は「As time goes by」と「恋わずらい」を除けば、歌詞を読んだことがなかったので、半分ほどは歌詞を手に入れるために買ったようなものでした。ですが、アレンジや声がいろいろ変わってるので、ゲームを持ってる人も買うべし、です。(以上でお終い。3時15分)

Jan. 24, 2000
 大阪での新居探しの件で、H藤@M島に電話したところ、2月19日から21日に大阪へ行くこととなった。おそらく、その足で一度実家に戻って27日頃まで滞在するか、あるいは筑波に戻って引っ越しの準備をすることになるだろう。(どちらかといえば後者になるような気がする。)
 3月中旬には大分市と松山市に行く予定もある。名付けて「野郎一人センチメンタルジャーニー作戦」。しかも、場所がぜんぜんジャーニーではない、ときている。この計画をH藤に話したところ、馬鹿であると言われた。やはりそう思うか、うんうん(笑)
(実は韓国からお声がかかっていたのだが、金銭的な事情もあって蹴らせていただくことにした。)

 昨日、指導教官に三行半を叩きつけた。もう電話で何を言われようと、どこで逢おうとも、今後は会釈以上のことをするつもりはない。この件では誰一人として騙さなかったし、そうするために私はそうするしかなかった。
Jan. 23, 2000
 先週は激動の一週間だった。
 15日から17日は修羅場だった。そうとしか言うことがない。
 18日の11時30分頃に修士論文を学務課に提出した。これに関してはいろいろと書きたいことがあるものの、すべては最終発表会の後に書くことにする。ただ、事態が悪化した場合は、後輩のために喧嘩をするのも悪くないとは思っている。
 19日、小雨の中を、青春18きっぷの最後の一度数を使い切るつもりで秋葉に向かう。ただ、幸い、秋葉についてからしばらくして、小雨は止んだ。そして、"Queen of Heart'99"と"Bleem!"(PSのエミュレーター)、そして松下のCW-7503(8倍速CD-Rドライブ)を買う。この日の主な目的は、弟のためのPCを組むのに必要なパーツを買うことだったものの、結局、半分ほどは自分のものになってしまった。
 20日、模擬裁判の日だが、出ないことにする。午後1時半(< 医者が厚生省に呼ばれたため、前日の11時に予定されていたのが延期された)に筑波大学病院に出向き、診断書を書いて貰う。授業に一度も出ていないうえに、準備もせずに何ができようか? そもそも、著作権事件判例百選第2版に掲載されている事件と言うことは少なくとも3年以上前の著作権法を使う必要がある事件だろうに、それを平成10年版とか11年版しか持っていない学生の前でどのようにやろうというのか、私には分からない。(ただ、こんな苦労も、坂村師=上様の理想の前に、今後何年も何年も産みの苦しみを味わっていくであろうオグマさんのその苦しみの前では屁のようなものであろうが。)とりあえず13.6GBのハードディスクを2GBと11GBでパーテーションを切り、FAT32でフォーマットして、Win98のシステムを入れた。だが、キー配列がおかしいのはなぜだろう?? 午後6時15分頃、筑波中央警察署交通課のK係長に電話して、アポを取り、調書を取られに行く。1時間強を費やした。そこで、先述の診断書が右足を左足と記していることと、読めない字があったので、書き直して貰うことにする。
 21日、朝9時半前に筑波大学病院に出向き、診断書の書き直しをお願いする。30分ほどでできあがったので、天久保の井上モータースに向かい、後輪のブレーキを交換して貰う。その作業中、近くの食堂で開花丼を食べ、筑波大の大学会館に入っている書籍部で本を物色する。そして、作業をお願いしてから1時間ほどが経った11時半頃、古本屋「よみがえる」に向かって歩いていく途中に、その作業風景をのぞき込んでいたら、私を見つけてOKのサインを出していた。税込みで3885円ほどかかった。あとは、チェーンがチェーンケースにあたっているのをどうにかして欲しいと頼んだものの、寒いから厭だと宣うので、春が来るまで待つことにする。これで午前はおしまい。秋葉で買ってきた怪しいマザボーとPentium2-400のセットを動かそうと苦戦する。が、肝心のことが分からないため、とうとう諦める。その肝心のこととは、電源ボタンとリセットボタンのコネクタをどこに刺せばいいか、という簡単なことである。しかし、マニュアルがない以上は、非常に難しいことである。そのマザボーがゲートウェイのG6-333というマシンのものであるということまでは分かっているのだが、そのケースのフロントから伸びているコネクタのどこが電源スイッチの線なのか、どこかリセットスイッチの線なのかが、とうとう分からなかったのだ。将来の牛ユーザーとの出会いに期することにしよう、と諦めた私は、C-YOUでABITのマザボー(8800円)を買った。すんなりと動いてくれた。その後は書くのも思い出すのもめんどくさいので、省略する。結局の所、Pentium2-400のマシンが完成して、Cyrix M2-333のマシンの改造が完了した。が、弟用のマシンについて追加予算が付いたとのことで、メモリを追加することにする。
 22日、新品のRドライブで焼き初めをする。2倍速に慣れていた私には非常に速かった。ついつい2枚ほど焼いてしまう。溜め息が出た。新しいケースは電源的には250Wなので前と変わらないものの、CD-ROMドライブを一つ削減したので、少し余裕ができた。
 「ウォー・ゲーム」("War Games" 1983年、アメリカ。ジョン・バダム監督)という映画がある。少年がアメリカ国防総省のシステムに進入して”ジョシュア”と対話をしているうちに、騒動へと発展する………という映画である。最後は、戦争を起こしかけたジョシュアに3ならべをやらせて、戦争の無益さを教えることに成功する、という結末だったと記憶している。この映画をビデオに録って、何度も見た。
 今日、この映画に元ネタがあったことを知った。その張本人(映画では主人公にあたる)が刑務所を出所したのだ。この男性は、19歳頃に北米防空総司令部(NORAD:North American Aerospace Defense Command)の警戒警報コンピューターへと侵入したらしい。(ついでながら、毎年恒例となった、NORADのサンタ監視?は昨年末も行われたらしい。ご苦労である。)
 話を映画に戻すと、この映画のなかにも図書館は登場する。主人公が、図書館の目録カードを漁って、システムの設計者に子供がいて、その子がジョシュア(Joshua?)という名前であることを突き止める………という筋だったと思う。これが日本映画だったら、探偵でも使うことになるのだろう(笑)

"War Games"について
 http://www.currents.net/magazine/texas/510/atmv510.html
 http://www.kamome.or.jp/y-k/w-a.html#w-a1
 http://www.asahi-net.or.jp/~DP3H-KBYS/1983.HTM
 http://www2.ohba.co.jp/novel/original/data_04/04-146/page_002.htm
 内容的な関係は薄いが、コンピュータ・セキュリティとの関連で http://search.zdnet.co.jp/news/9803/02/poulsen.html
 http://cinema.pov.co.jp/feature066/066b.html
 この映画と「スニーカーズ」("SNEAKERS"。1992年、アメリカ)との関係など、この作品にまつわる一連の流れについて
 http://www.ntv.co.jp/kinro/h100522.html
Jan. 14, 2000
 昨日までの日記を見て愕然とする。日付が1年送れていたのだ。直ちに修正した。
 昨晩、結婚式場の控え室まで来た夢を見たが、それはすこし奇妙な夢だった。
 なぜか母親が観客として座っている前で丹下桜の「Wonder Network」をステージで歌っている最中に舞台監督か主催者が間奏の間じゅう黙って立っていると、止めに来たので、素直にやめる。
 そのあと、結婚式場の控え室の前まで黒のスーツで来た自分がいて、そこには両親がいた。そこまでは普通だ。しかし、なぜそこで母親に結婚式の直前に英語の授業をされなくちゃいけないのか、そしてなぜ母親のほうが英語が巧いことになっているのか、そしてなぜ自分の結婚式なのに黒のスーツを着ているのか? ………そう考えると、その日の自分の役目が実は司会者だったような気がしてならない(笑)

 実は、この夢の元ネタになるような事実がある。
(1)一昨日、某チャットルームにフランスからの英文での書き込みがあり、常連さんの一人が英語で返事を書いていたのだが、we usually appears...などと書いていたので、三人称単数現在形の-sがつかないことを説明した。
(2)高校の頃、合唱部でコンクールなどに参加していたほか、入っていた民間の合唱団の定期公演でも唄っていた。そこに、たまにだが、両親も来ていた。(両親も昔、合唱をしていたので、民間の合唱団にもいくらか知り合いがいた。)

 とにかく、せめてあと5年は カネの面でも 現役のオタクでありたい、と思う。
 一つ、笑い話をしよう。笑い話だけど、実際に起こったことを。


 ある院生に、その指導教官が12日投函の年賀状で「○大を受けないと面倒をみない チャレンジ精神を失ってはいけない」(○の中は、あえて伏せる)と書いた年賀状を送ってきた。(※ ちなみに、その院生は昨年中に年賀状を投函したので、指導教官が送れただけのことである。)

 チャレンジ精神とは何であろうか?それよりなにより、彼に行くつもりのない大学の受験料3万円を支払わ使むることが教官の利益になるわけではないのに、なぜこれほどに進学をお薦めになるのだろう。彼には、ただ単に、○大院生を指導した恩師になりたいゆえの行動としか思えなかった。
 だが、彼はこう考えた。「指導をしない、ということは指導をされに行かなくても良い、という意味で解釈しても差し支えあるまい。『○大を受けるつもりは全くない』と何度もお伝えしているので、その前提の下に『指導をしない』と明言した教官のもとに通う義理はあるはずがない。親族ならともかく、大学の指導教官に進学を強要されるなど、聞いたことがない。ならば、書類上の指導教官ではない以上、修論提出の上では問題がないはずである」と。
 そして、その院生は指導教官の研究室を訪れないことにした。その日も明くる日も、そのまた次の日も。

 この笑い話の続きの部分は、今に続いている。
Jan. 12, 2000
 午後2時頃までが約4日溜め込んだ家事に消えた。全自動洗濯機や乾燥機のあった宿舎に棲んでいた頃が懐かしい・・・ そのあとは論文執筆である。いろいろ気づいてしまったので、章立てを急遽組み直すことにしたものの、切り方が難しいため、書き溜めるだけ書き溜めることにする。
 午後7時半を回ったころ、図書館のカード式コピー機を使ってる最中に、ふと右の視界に綿抜先生の四角いお顔が入ってくる。びっくりしたわけではない。12月に面接に行った某大学より私が内定が戴ける旨を、その某大学の方より昨晩の電話で告げられたとのこと。とりあえず、その某大学出身のN沢さんにご報告。ついで、オグマさんに報告したところ、春日4丁目のRANRANで奢ってくださることになった。そこで、いざ行こうと正面玄関ロビーに向かったところ、同じ院生室の諸岡さんと久々にお会いする。(諸岡さんは院生室の机はあるものの、某農水省の施設の図書館員をなさってるため、実際にはお使いになってない。そのため、二つ右横の机を使ってる私がそこまで実質的に占領してしまっている状態である。)オグマさんと3人で、就職状況や修論のことで盛り上がる。その横を通り過ぎる「すぎもと」先生と、実際の指導教官である原先生・・・・ [注:講師は院生の正式な指導教官になれない。そのため、院生の指導を教授・助教授以外が行う場合、その指導については無給である。]先生とは、新年の初顔合わせである。 とにかく、明日はこのかなり改造したバージョンの修論を持っていくつもりだが、これ以上は論旨の変更はできない。我が指導教官のモットーは、<論文は小説であり、おもしろくなくてはならない>だ。よって、指導教官にとっておもしろい論旨でなければ許されない、ということになる。が、しかしだ。私の論文を指導教官に読んでいただく上で、実はいろいろな困難な点がある。一つ確かなものを上げるとすれば、私と指導教官では戦前日本の公共図書館の発展過程の見方が真っ向から反対であることが上げられよう。指導教官は、技術的な発展は度外視しても、自主的に発展する方がいいという考えで、文部省からの技術指導はこれ即ち統制、というほうである。統制には違いないのだが、そもそも当時の公共図書館は内務省地方局の下部機関なんだから国家統制云々以前のことだと思う、と申し上げたのだが・・・ どうしてもアメリカの、地方自治の世界のなかで発展した公共図書館のようにならないと、すべて糾弾すべきとお考えは変わらないようだ。
 続きは論文提出後にでもお話ししよう・・・
Jan. 10, 2000
 昨日、School Festival 2000に行って来た。主催者が同じサークルの人間と言うことで、どちらかといえばお祝いに行った、というべきだろう。その往復で青春18切符が残り一度数となった。さて、何に使おうかのぉ?
 帰りは行きの逆路で、蒲田から京浜東北線で上野まで行き常磐線で(無料の駐輪場がある)荒川沖駅まで帰ってきた。その東口の階段を下りきったところで右横を走り抜けていく、見覚えのある帽子……… 竹居さんだった。しかも、上野駅から同じ電車に乗っていたらしい。そういや、ビッグサイトで何かイベントがあったはずなので、たぶんその帰りだろう。

 神様、オタクな漢以外との縁『も』欲しいんですが、神の立場上は無理なのでしょうか?(笑)

 バイクが土曜日(8日)に帰ってきた。税込みで23415円かかった。だが、摩耗のため、ブレーキパッドの交換が必要であることが分かったので、部品の取り寄せをお願いする。来週入るらしいので、そのときにまたいろいろ診てもらうつもりだ。
 オグマさんの日記でまたいろいろとバラされてしまった。ただ、あの「フルーツバスケット」とか「闇の末裔」のCDドラマは『本当に』妹からの借り物だ、という点だけは信じてくれ〜 (涙)

 8日の未明、某チャットを通じ、約4時間に渡ってICQのインストールと日本語化パッチのあて方を指南した犬山あきらさんより、彼女のオリジナルキャラである狗女帝ペティ様の絵をいただいた。
 特に、私としては何も言うことはないが……… これを見て、私にどうしろというのだ??(爆)
Jan. 6, 2000
 文月 晃(ふみづき こう)さんのコミックに「少女発熱」(注:18禁ではない、念のため)というタイトルのモノがあるが、昨日買った月2回刊のほうの「花とゆめ」のなかにあった、藤崎真緒(ふじさき まお)の「お星様にお願いっ!」の扉絵に瞬間発火してしまった。
 あぁぁぁああああっ、かわいすぎるぞぉ!(笑)
[解説: ただ主人公が振り袖着てるだけなんですけど、でも、ツボにささる何かがあるらしい。]

 あとは、「フルーツバスケット」のなかの楽羅(かぐら)の涙目なアップ(p.71)がGoodでした。頭だけでも抱きしめたくなるほどに。どうも、こういうのに弱い気がする。特に、今は。
(こうして、皆、不必要なほど転がっている花の存在を自然に受け入れてしまう読者になっていくのだろう。これでいいのか、ヲタクな少女どもよ! < 含む、我が妹。)
 昨日、バイクを入院させた。どこにかといいますと、アレを買った中島モータースではなく、その近くにある井上というバイク屋である。なぜかというと、そこのバイク屋は、修理できると言ったからだ。本当にそれだけのことだ。3万ぐらいかかるらしい。
 次回こそは、乗り潰すまで事故には遭いたくないものだ。
 忘れていたことがあった。1月2日のチャイナテーブルの席で、東京工大の糸野さん(親戚に非ず)の話題が出たとき、Teaching Assistantとしてその坂主さん(同大学博士課程の院生)が教えたことがあるらしい。縁ってあるものだと思った。
コミケで貰ってきた即売会のチラシを眺めてみる:
 ルリ祭(電子の妖精ホシノ・ルリ少佐ONLY) 5月3日(都立産業貿易センター 3階)
 コミック・クリエイション10 2月11日(東京流通センター)
 宝島 コレクションマーケット9 1月23日(東京ビッグサイト)
 こみっくパーティー(Leaf系ONLY) 4月23日(有明ビッグサイト東ホール)

 元旦に、現在の母方の実家で叔母(母の弟の妻)に、早く結婚した方が良い、と言われる。その根拠は、ただただ自分の年齢と子供の成長の関係である。叔父夫婦は30を越してから結婚したので、その経験からの忠告なのだが………

 無理して結婚していられるような生活を維持することを強いられるよりは、結婚しない方が良いと思う。それに、人間の子供がかわいいと思ったことはない。別に嫌いだというわけでもないし、見たら殴らずにはいられないと言うことでもない。ただただ、人間の文法で子育てをすることがめんどくさいだけだと思う。

Jan 5, 2000
 昨日の朝、大学にタクシーを呼び、筑波大学附属病院に行く。受付で、昨年末に救急で搬入されてきたときの医療費を支払う。これは後から保険で支払われるので、立て替える金額になるのだが、21420円だった。(内訳=基本診療料335点、投薬料323点、処置・手術料96点、画像診断料1123点の計1877点に10円を乗じた18770円に、保険給付外の「その他の料金」2625円を加えた額。) そして、その日の診察で、右足の足首あたりからふくらはぎにかけての筋肉に挫滅(ざめつ:圧力により筋肉が切れること)による腫れがあると言われる。とりあえず、その挫滅の状態がよりはっきりと出るまで待つことになり、19日に予約を入れる。その日の会計(基本診療料90点、投薬量186点の計276点、2760円)を済ませてから、3回の食堂で大盛りのざるうどんを食べ、ひたすら20分ほど待った11時45分頃、粉薬と錠剤それぞれ14日分(3食の食後に服用)と湿布12枚がでる。(このときすっかり忘れていたのだが、この日、つくば中央警察署まで調書を取られに行かねばならなかった。)
 3時頃、オグマさんより電話。お買い初めにとジョイフル本田に誘われたので、生活物資の調達のため行くことにする。その道のりを大学1年の秋から今に至るまで、この前の事故でフレームが曲がってしまい、廃車にしなくてはならなくなった愛車のヤマハ・メイト(V50)で幾度も幾度も行き帰りしてきた。(走らなくても良いから、筑波を去るまで、アパートの前に置いておくことを心に決めた。寿命まで乗って乗り潰すつもりだったから、こんな別れ方をしなければならなくなったことが非常に悲しい。)
 ちなみに、このメイトは前の主人からの通算で28000キロを走った原付だが、バイク屋で聞いたところではあと2万ほど走れる「はず」だったらしい。とにかく、既に危険な車体となった以上、長距離は走れないので、急遽、新たなバイクを調達しなくてはならなくなった。中型免許は持ってるので、125ccから250ccあたりをねらうつもりだ。(欲を言えば、高速に乗れた方がいいので。)< もしかしたら、このまま限定解除(と今でも言うのかな?)を目指し始めるかも・・・・
 さて、話をジョイ本(当地ではこのように省略されている)に戻すと、結局は洗剤と吸湿剤ばかり買ってきた。これが今年のお買い初めである。

 夜12時頃、院生室のブレーカーが落ちる。前にも書いたと思うが、院生室1-A、1-Bおよび休憩室二つに割り当てられている容量は30A。こちらの院生室(1-B)では、湯沸かしポットが最高で10A程度(湯沸かし時)を食い、更にコンピューター関係で5A程度、これに冷蔵庫やX端末の消費電力が上乗せされる。よって、通常は10A程度の電気が費されているわけである。(こう考えると、実は院生室を使っているだけでも授業料をかなり取り返しているようにすら思えてくる。)
 実は以前よりこの付近では漏電が起こっていたらしいので、この際、しっかり対策を施して欲しいと思う。(1-Aの伊東さんが言うには、年末もブレーカーが落ちたらしい。1-Bを使っているのは私ぐらいなのだが、電気ポットやPCの電源を落としてから帰省した後にブレーカーが落ちたということは、おそらく隣の部屋だけで20A以上も使うことはないだろうから、休憩室でポットの電気が入りっぱなしになっていたか、はたまた漏電のせいなのだろう。)
Jan 4, 2000
 先月のはじめ、「人生の教科書 [ルール]」(藤原和博、宮台信司著。筑摩書房、1999年12月8日発行)という本を買った。法律のことを中心に、「なぜ人を殺してはいけないのか」、そしてなぜそのような問いをする若者が出現するようになってきたのか、などの問題を、生命に関する部分を中心に、中高生程度にもわかるように書かれています。お薦めまでに。

この本より一言だけ引用するとしたら、次の一言が一番だと思う。
 「もちろん、あなた自身が、そのルールを描き直し、進化させていくことに参画する自由があることを申し添えておきます。」
(p.264、藤原和博「同じくあとがきにかえて」より。)
Jan 3, 2000
 あけましておめでとうございます。29日の晩に出発して、今朝7時半に筑波に戻るまで、帰省しておりました。

 さて、お近くのPCや鯖の類はいま、健やかに走っているでしょうか?(二足歩行でなくても可。)
 本学のhttpサーバーは見事にY2Kでボケをカマしてくれました。2000年になって3時間ほど経った時点でIRC用の某bot(ログ取り用 兼 チャンネルの専守防衛用)のログを読もうとしたら、そのディレクトリのリスティングで出てきた日付が30年ほど逆行してました(苦笑) < 今朝になったら正常になってましたので、アナウンスされていた年始のサービス開始日(四日)を待たずに対策を済せたのでしょう。

[12月30日]
 朝、金沢駅に着く。とりあえず、部屋に荷物を置いて、朝食を食べる。この日、大阪のH藤君と遊ぶ約束をしていたので、一度ぐらいは実家に来て貰おうと思い、軽の自動車で11時半頃に駅へ向かう。12時丁度ぐらいに西口駐車場に入る。3、4分探したところで発見。久安のコジマ電機に向かうべく南下するも、西金沢駅のあたりで道に迷う。しかし、なんとかラパーク(長崎屋)にたどり着き、2階でうどんを食べる。その後、コジマ電機で彼がポータブルCDプレイヤー(約8000円)を買った後、早速実家に向かう。1時半頃到着。実家では、秘蔵のコレクションを見せる。実は、他人に紹介したのはこれが初めてだったりする。2時半頃になり、母に駅まで送ってもらう。彼は西口のコインロッカーで荷物を預け、片町に向かう。とにかく、ワッフルを道中ずっと探していたものの見つからず諦める。しかたなく、旧うつのみや書店のゲーセン付設のクレープ屋で野郎二人でワッフルを注文。非常に侘びしい図であることを承知で、である。(この侘びしさを楽しんでいるのだ。)次に、アニメイト金沢片町店でギャルゲー「One」(「永遠は、あるよ」という台詞で有名だが・・・ワッフル探しもこのゲームの某ワッフルに刺激されてのことであった。彼は某友人と共に大阪中、そのワッフルを探し求めて、とうとう発見したらしい。一度、その死ぬほど甘いワッフルを食べてみたいと思っている)のサントラを調達した後、セガ&ジョイサウンドなを探してさまよう。しかし、妥協してそのクレープ屋のあるビルの3階にある、X2000のあるカラオケ屋で唄う。坂本真綾の「プラチナ」は1月7日にならないと配信されないらしい。うぐぅ、と二人で思った。その後、片町LABRO(旧大和)の裏通りを犀川方向に歩いていったところのあるビルの地下に、ゲーセン兼カラオケ屋があり、そこにセガもジョイサウンドも入っているのを発見。最初からここに来なかったことを公開し、次回こそはこの店に直行することを誓い合った。それもこれもすべて、「To Heart」というゲーム&アニメ(このアニメは恋愛シミュレーション系のゲームを題材にしているにもかかわらず、理解できるかどうかはともかくとしても、小学生にも安心してみせられるほどの清純さだった。本当に、キスシーンの一つすらないのに、しっかりと恋愛ものとして響いてくるクオリティの高さは一見に値するだろう。)のそれぞれ、テーマソング"Brandnew Heart"とOP"Feeling Heart"を唄うためだ。しかし、時は既に6時。7時になったら料金が1時間1000円から2500円に跳ね上がるので、とりあえず"Feeling Heart"の入っているセガのカラオケを選択する。その後、その店でイカ焼き(200円。実は先月の大阪行きの時に、なんばとかで探していたのだが、結局見つからなかった)を食べて、片町のマクドナルド(竪町通り入り口)で夕食。日銀金沢支店前のバス停まで彼を見送り、反対側の香林坊大和のバス停から帰った。
[12月31日]
 午前中、国立病院に入院中の母方の祖母を見舞う。その後、足の痛さに、半日を寝て過ごす。掃除どころではなかった。紅白を観たが、どうもキャスティングの古さと演出のわざとらしさが鼻についた。特に、第50回ということで、白組を絶対に負けさせない筋書きがあったかのような感じが鼻についた。結局、24対25で負けていた白組が今年は勝った。
[1月1日]
 紅白を見終えてなおNHK総合の放送にかじりつく。珍しく、テレビを観ながらこたつに足を突っ込んで年を越す。電気が止まるわけでも中継が途絶えるわけでもないので、何もなかったのだと知る。(本当は電話で時報を聞きたかったのだが、やめておいた。) 例年通り、大乗寺、一族の墓、地元の神社、やや遠いものの加賀藩に縁の深い神社を回る。今年は数えの24なので、2000年になりたての午前1時頃、後者の神社で厄払いをしてきました。母方の祖母が11月に右足大腿骨を骨折し、父方の祖母もベッドから転げ落ちて右足を打ち付けた後に、自分が右足を強打したことが判り、「前厄を払わなかったためかもしれない」などとも思ったことも、乗り気ではないにも関わらずお祓いを受けた一因だった。とにかく、本厄のお払いが効かなかったら後厄は払わないことにしよう、と決意した。その後、寝る。朝9時、起床。なぜか両親からお年玉があたる。今年で最後になるのだろう。夕刻、母方の実家(近所といえば近所だが、新築した家であり、もともとそこにいたわけではない)に行き、新年会らしいことをする。
[1月2日]
 妹の寝起きは非常に悪い。そのくせ、この日も郵便局のバイト(区分け。時給640円らしい)があったのだが、出勤時刻10時まで30分を切っても起きてこないので、起こしに行ったものの、喧嘩になる。結局、10時を10分ほど過ぎてから郵便局のほうには電話を入れたようだ。全く、母校の恥さらしなので、先輩としては非常に心苦しい限りである。(合唱部の一年上の先輩にも郵便局の年末年始バイト(外勤)をやっていた人がいた。)
 夕刻、片町のチャイナテーブル(金沢ワシントンホテル2階)で、例年通り、父方の伯父一家との会食。一番上の従姉が欠席したものの、台湾系オーストラリア人で伯父宅にショートステイしている19歳の女の子が同席。どうやら、高校で1年上だった従姉(今は某大学院のM2)が結婚式を前に先月入籍したらしい。おめでたいかぎりだ。そういうわけで、坂主(さかぬし)さんが1人混じった席となりました。おノロケが入った言葉の数々に、白血球が減るような思いがする < つまり、テーブルが離れていても放射線のように飛んでくる、ってこと(核爆) やはり、弟にだけは先を越されたくないとの思いを強くする・・・・・ どうせ奴もオタクだし、大丈夫か(笑)

© or (C) Taisuke ITONO, 2000 _