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This document is a dairy-like essay written in Japanese.  

 このドキュメントは日記のようなもので、憂さ晴らしで書いているようなもの(或いは、夜中に井戸に叫んでいる声をテープから起こしたようなもの)も含まれています。通常のブラウジングで読める範囲は、日記の中でも特に差し支えない部分だけであり、私の本音のうち公表するのには問題がある部分はすべて埋めてあります。

1996年〜1997年の記憶 Memory of the year 1996 & 1997
1998年の記憶 Memory of the year 1998
1999年第一四半期の記憶 Memory of the first quarter of the year 1999
1999年第二四半期の記憶 Memory of the second quarter of the year 1999
1999年第三四半期の記憶 Memory of the third quarter of the year 1999


図書館雑誌viewer Version2


小熊さんの日記 「哀愁日記:底に哀はあるの」
小熊さんの当サイト(ULISサイト)向けリンク 記述の内容については一切コメントいたしません! 
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Dec. 29, 1999
 昨日の夕方6時前頃、原付で大学の正門からアパート(大学近くのファミレス、デニーズのあたり)に向かう途中の三叉路で車にぶつかった。交差点内で行き先を迷っていた車が、優先車線から走ってきたこちらの原付が右折してきたのに気がつかずにやはり右折したのである。(< これが左折ならばぶつからなかった。)はずみで相手のボンネットの上を転がり、そのまま落ちた。(跳ね飛ばされたわけではない。)救急車で運ばれた先は筑波大学付属病院。幸い、右膝下から全部の打撲と擦り傷だけで済んだ。調書は来年1月4日か5日にとることになった。また、怪我の様子を同月4日10時に同病院で診てもらうことになった。
 感想1: 事故受付を24時間やっていない任意保険の会社はうざい。
 感想2: 足引きずってる人間を病院から呼びつけるとはいい度胸だ、筑波中央警察署。(タクシー代は相手の保険会社に払わせるつもりだが。まあ、あちらにしてはこの事故を処理したところで給料が上がるわけでもないので、ただの面倒ごとにすぎない。その点からすれば、ご迷惑をかけているので、大きな口はたたけない。)
 感想3: 交差点のなかで道に迷ってるんじゃない!!!! (迷うなら、無難な場所で駐車か停車してから考えるべきだろうが。)

 昨日は小包の受取・郵便物の発送が多々あった。
 朝10時ごろ、郵便局が韓国のHwang Bi-Hongさんからの怪しいきまオレ系CDV9枚を送ってきてくれたので、それを受け取り、11時頃に自分で有明からいわゆる犬(フットワークのこと。ちなみに、ペリカン便は「鳥」という)で送った小包を受け取る。そのあと、論文のことで指導教官に(学問的に)いじめられた後、土浦市東若松(土浦北インター近く)の西武航空までスペインからの封筒(スペインのアニメ雑誌できまオレ特集のもの、4冊入り)を受け取りに行った。
 そして発送については、まっちぇさんに頼まれていたMANAMIの新刊(以前に書いたように、私の個人本になってしまったのだが)を80円で送り、「御恩無き、御恩と奉公の関係」にある大分の犬山あきらさんに頼まれていたNARUTO本とGヒコロウの新刊をお送りする。(前者はプレゼントではなく代理購入だが、後者とNARUTOな便せんはプレゼントにした。)早く、一度会ってみたい方だ。

Dec. 27, 1999
 お祭りは終わった。夏まで、あと8ヶ月弱。(そのころ何をしているのだろう、私は?)

[竹居さんとの遭遇]
 初日、午後7時前、東京駅八重洲南口のつくば号の行列で竹居さんと会う。5人ぐらい後ろに並んだので、そこまで戻って、帰りの車内で話し込む。2日目、東館で午後1時半頃に会う。3日目、東館で午後2時半頃に会う・・・・しかも、この日、オグマさんとも会っていたらしい。参加者は各日13万人を越えていた状況下では、なかなかすばらしい確率といえるだろう。(前回も会場内で偶然会った3人だったりする(笑))

[葉っぱ袋………]
 「葉っぱ袋」とは何か? それは、Leafというレーベル(会社名ではない。AQUAPLUSという会社のもの)のキャラが描かれた紙袋(紙だけでできているわけではない。駅で売られている手提げ袋を想像すればだいたい正解)のことである。これを巡って、オタクどもは1997年からこの1999年冬コミまでの間、長い行列を作ってきた。遅れて並べば、2時間半待ちなどもざらであった。ところが、あまりにも行列が酷いためか、とうとう今回を以て最後の参加とすることになった。そして、オタクどもは並んだ。今回は3日分の数以上を2日目のみに集中して販売することになった。その数、15000。制限は2。今回はスタッフの描いた同人誌が入っているということで単価が500円だったが、これまでは袋だけでたしか200円だった。あの行列に並んで一つしか買わないことはまずないだろうから、ほぼ7500人分である。だが、今年の行列はすさまじかった。普段はせいぜい西館4階のコスプレ広場から先ぐらいに収容可能なのだが、今年は結局西館のゲートまで行列が達した。2時ぐらいに売り切ったらしい。
 さて、私は買ったのかと言いますと、サークル券(MANAMIから貰ったわけではない)で入場したあと、その代償としてある方のために労働奉仕をし、その後9時になってから西館のエレベータ(会場前は1本のみが下りで、残りは上りになっている。会場後はすべて下り)を使って4階に上がり、コスプレ広場に溜められて、「サークル券は準備のためのものだろう。混乱するのは厭だから今回は並ばせてやるが、次回からは列の反転とかするかもしれんぞ」と、お説教をいただく。実に正論なので、何も言うことはない。その後、行列は9時半ごろ移動した。9時50分頃の時点で行列がどうなっていたかというと、まずリーフ前シャッターから壁沿いにコスプレ広場方向に行列が伸び、最初の角(以下、角A)でそれが折り返して再びシャッターのあたりまで伸び(※ 私はこのあたりで待機していた)、さらに角Aまで行列が伸びたあと、今度は女子更衣室方面(つまりシャッターを挟んで反対側)に蛇行しない、一方向に伸びた行列が4,5列作られ、更に足りないので、延々とシャッター前から外側に沿って列をのばしていったらしい。私は10時20分ごろには買えたのだが、企業ブースを回ったあと、帰り際のエレベーターで外を見ると、それらしい行列が西館のゲート(つまり外側の階段から西館行列方向への導線)から更に先まで伸びているのを確認した。でも、袋はたった7500人分。買えない人間がうじょうじょしていたのもしょうがない。

[落とし物を拾う]
 二日目の帰りは皆であき(またの名を、さる)さんの車で門前仲町まで移動したのだが、そのとき、北駐車場中程の、あきさんの車の駐車スペースに対して通路を挟んで向かい側のスペースに、ぽつりと紙袋が残されているのを発見した。"Far East"なんとかとかいうサークルさんへのコミケ準備会からの封筒や、漫画の原稿、同人誌が入っていた。係員に届けようにも、交通整理はビッグサイトが雇っている人なので渡しても仕方がない。かといって、そこから西館に戻って、落とし物として届けて、更にこの場所に戻ってくるだけの体力は誰にも残っていなかったので、とりあえず持っていくことにする。(漫画の原稿が入っていたのが、なんとかして持ち主に返そうと考えた要因として大きかったのだと思う。< とはいえ、原稿の中身はぜんぜん読んでいないので、どんな内容だったかは知らない。)封筒から千葉市のほうの住所と本名が判明したので、電話番号案内で聞いた番号にかけたところ、袋の持ち主がでてきた。着払いで送りつけるか、翌朝に引き渡したかったのだが、相手は直渡しにこだわったので、そうすることとした。このとき、相手も翌朝並ぶに違いないという思いこみがあったので、つい「明日の6時か7時ぐらいに電話してください」と言ってしまう。その結果、結局午後1時に、ビッグサイトのエントランスホール奥にある時計の下で待ち合わせをすることになり、必要経費として電話番号の紹介料だけを貰った。[拾得物を速やかに警察に届けたとは言い難い状況だったので、物質(ものじち)をとったような形にはしたくなかったので、必要経費だけを貰うこととした。もちろん、警察に届けていれば1割がもらえるのだが、あの袋のなかで可分な財産は同人誌ぐらいしかなかったので、仮に警察に届けたとしても大したバックがあるわけでもない。] = つまり、彼女は昼頃になってから来るつもりだったのだ。もちろん、入場直後に渡すつもりで。だが、期待が外れたなりに、コインロッカーなどに預けることもできたのにしなかった。それはなぜか? つまるところ、東館で欲望ダーッシュしていた私にそんな時間はなかっただけのことである。それを拾ったときに一緒にいたことぶきさんは、受け渡しに立ち会うはずだったのだが、エントランスホールの交通情報掲示板で寝ていたために、お互い疲れていたためか合流できなかった。やはり徹夜後にコミケに行くのはかなり大変なことだ、とどこでも寝られる(寝てしまう)私は思うのだが。

[コミケ恒例 YMMLビッグサイトオフ]
 村山由佳MLのイベントとして、ガレリアの東2付近で「夜明けまで1マイル」を目印にオフを開いているのだが、今回は人が集まらなかった。1日目はLaughcatさん(ビッグサイトから直線距離で、自転車で10分ぐらいのところにお勤め先らしい)、2日目は河原さん(from 大阪)がいらっしゃったのですが、3日目はどなたも来ませんでした。

冬コミでの出没先サークル情報 < 言うまでもなく、必ずしも無条件で買うわけではない。

	※ 今回のコミケは東館だけなので、「東」は省略。
1日目:	A−86b	渡辺製作所(同人ソフト「Queen of Hearts」)
		シ−91a	BD (U-Kさんのところ。)
		A−21ab	AZ-3 (あじす・あべばさんのところ。)
		C−30a	兄貴漢堂 (きりがくれたかやさんのところ。)
		シ−46b	第四帝国 (G=ヒコロウさんのところ。大分の某犬山ジョテー氏が好きらしい。)
2日目:	ツ−24b	MANAMI (寄稿先……… いや、個人誌になってるかも(爆))
		カ−51a	KOR Freaks (見ての通りきまオレ系です。今回はオフセットになりました。)
		ナ−24a	うらぎり者同盟 (いとうえいさんのところ。)
		G−10b	SB企画室 (お〜いしいよさんのところ)
		C−34b	WONDER★LAND (高橋まどかさんのところ。)
3日目:	クー54b	YOUR'S-WOW!! (虎向ひゅうらさんのところ。某いかさまが売り子さんするらしい。)
		ネ−04a	BLUE BLOOD'S (BLUE BLOODさんのところ。)
		ラー06a	MILLION☆DROPS (谷村まりかさんのところ。)
		クー29b	あしの家 (「たりる。」さんのところ。)
		A−81ab	火遊び倶楽部、水遊び倶楽部(それぞれ、文月晃さんと、ぢたま某さん)
		ピ−23a	Million Means (オグマさんのところ。)
		リ−37a	龍の金曜日 (りゅうき夕海さんの委託先として。)
		ヤ−39a	from A to Z (あさかゆうみさんのところ。)
		A−24a	PINKのCHAO! (しかけなぎさんのところ。)
		A−02?	へらぶな (いるまかみりさんのところ。)
		クー06ab	大阪魂・うげ浸(うげっぱさんのところ。)
		Z−47a	例の所 (黒荒馬双海さんのところ。)
		ラ−16b	女の子パヤパヤ(後藤羽矢子さんのところ。日常本がおもしろいので。)

Dec. 23, 1999
 明後日発売の「M&M」は結局、私の個人本になってしまった・・・・
(まあ、そんなことはどうでもよいのだ。一応、原稿は期日通りに入れたんだし。)

 だが、本当の問題はこれにあらず。
 問題は、明後日及びその翌日が雨か雪になりそうだということである!!
 コミケの神は民を見放したのか、それとも天候こそが恐怖の大王だったのか?!
 きっと、カップル(バカップルを含む)は「わぁぁ、ほわいとくりすますだね」と抜かしやがることだろうが、こちらにとっては大迷惑である。本当に、事態は深刻なのである。足回りが特に問題なのだ。此の問題をいかようにかしないことには楽しいコミケなどあり得ないのだ。夏の二日目が最悪であったように、冬の二日目もすさまじいことになるのであろうか? もし降るなら降るで、硬めの雪に降ってもらいたい。あれだけの人数がいれば、踏みかためるというてがあるからだ。ただし、すぐに溶けるタイプだと余計にやっかいなのだ。足下がすぐにぐじゃぐじゃになるからである。前回は参った。

 そこで、今回の対策を発表しよう。
 ビニラバ作戦。方法は簡単である。体の大半(頭以外)をビニールで覆い、ゴム(ラバー)で縛るのである。皮膚呼吸に多少問題はあるものの、2、3時間ならば袋のなかの空気だけでも大丈夫だろう。(だいたい、映画で体中にグリスを塗りたくって、シベリアの監獄を脱出するという作品があるではないか。)そして、入場後に脱ぐ。 なお、頭は傘に任せることとする。
 前回はサバイバルシートに頼ったものの、シート自体の強度と、これを脱ぐタイミングを誤ったために、充分な効果を引き出すことに失敗した。今回も一応は持っていくものの、ビニール袋とゴムも併用するため、シートは1枚だけとする。

Dec. 18, 1999
 15日からの流れを記録しておこう。

 15日の朝、ムーンライトながらで(車両切り離しのために車両を名古屋で乗り換えた後)大垣に到着し、8時頃に米原駅の立ち食いできつねうどんを食べた後、そのまま大阪入り。とりあえず、鶴橋方面からさらに回って、JR難波駅到着がだいたい10時半。その後、夕方の待ち合わせに備えて、「ロケット広場」なる場所を求めて徒歩1時間。実は南海のほうにあったが、これを探すために費やした体力は大きかった。(なんばCATのあたりであった。)その後、近鉄で近鉄小阪駅まで行って、13時半頃にその晩泊まった東大阪ユニオンホテルのフロントに片方のバッグ(ビジネス用)を預けたあと、マクドナルドで昼食を食べて、面接予定の某大学の位置などを下見する。そうしているうちに2時頃になったので、近鉄で日本橋に行って見るも、でんでんタウンという固有名詞をすっかり忘れていたため、電気街に行き着けず、ついお馬鹿にもそれらしいものを梅田、つまりJR大阪駅付近で探してみる。が、当然あるはずはない。しょうがないのでぶらぶら歩いて、少し日本橋方面に歩いて、30分ぐらいたったところで戻った。その後、電気街の在処を尋ねたお巡りさんの顔の下に、少し「こいつ、なんやねん」という字が見えた気がした。(新設に対応していただいたことは付け加えておこう。)その後、JRで鶴橋まで行って、近鉄で日本橋に入ったのがだいたい15時半ぐらいだった。ダッシュで回る。捜し物はComic on Vol.3からVol.5と、同じシリーズの「デジタルキャラクターズ」。スペインからの依頼の品だ。なんとか、Vol.5だけヤマギワで発見したものの、やっぱり残りは全滅。当然だな(爆)その後、高速の手前まで来ていたので、5時少し前になったから動き出そうと思ったものの、足の裏、特にかかとが痛くなってきた(< あとから分かったものの、大きな肉刺が両足の中指の付け根の少しだけかかと側にできていた)ため、できれば電車で楽したいと思った。が、結局歩いて近鉄難波のロケット広場まで行ってしまった。(タクシーを使わなかったのは、内臓の大蔵省回路がそれを許さなかったためである。)そして、17時25分頃には現地に到着したのだが、待ち合わせの二人がなかなか来ない。この二人とは、YMMLの大阪メンバーである冬香 基さんと河原さん(両方とも男。冬香さんは学部生で、河原さんは私と同学年)がなかなか来なかった。冬香さんは遅れる旨の連絡があったものの、河原さんは連絡がなかったので、こりゃ単なる遅刻である。それはいいとして、ここでも「1マイル」は効いた。1マイル伝説はやはり本当だったんだっっ!!(爆) ロケット広場から数十メートルの所にある英國屋で待っていたところ、18時頃になって河原さんの携帯に連絡が入り、その後5分ほどで接触。そのまま、小娘颱風(シャオチェタイフォン)千日前店に直行して、飲み会開始。赤い照明が少し苦しかった。(< 冬香さんが以前にオフで使った店らしい。)結局、6時半頃から8時頃まで居座る。「究極の杏仁豆腐」の究極性論議には華が咲いた。最後に近くのジュンク堂(書店)前で河原さんのデジカメで記念撮影。その後、近鉄でホテルに直行して、チェックイン。両足のマメをつぶすべく、ホテルのすぐ前にあるファミリーマートで安全ピンと絆創膏、アクエリアス500mlペット、おでんなどを購入。マメを処理した後、入浴、面接に向けての最後のアガキに対策本を読んで、直ぐ寝る。だいたい23時半。

 そして、16日朝。5時半に目覚めるも、起動終了まで30分を費やす。ひげを剃ったら血みどろになった。7時10分頃、1階に下りて朝食。出されたみそ汁以外は、いっさい汁がないものを選んで食べる。(< バイキング形式だったので。) ご飯も1杯だけ。荷物をフロントでペリカン便に出した後、前日着てきたほうのカッターシャツを入れるのを忘れていたことに気がついて、出発直前にお願いして入れさせてもらう。8時55分にチェックアウトしたことになってるものの、実際には9時ちょっとすぎにホテルを出る。9時15分頃に受付到着。20分集合なのでちょうど良かった。その後、応接室を空けたら、60歳ほどの男性がいた……… 面接担当者がなぜ応接室に、と驚いていたら、その方は別の受験者だった。現職の図書館関係者の方で、私と同様の待遇の職員のための面接でないことは、お話を聞くまでもなく明らかだった。待っている間、いろいろお話をさせていただいた。やはり聞かされていたように、競争のあるような面接ではなかったのだ。その後、9時半から図書館長のかたともう一人の受験者の方の3人でお話をする。その後、10時頃から40分ほどにわたり「大学図書館の電算化について感想を書け」という問題について、400字詰め原稿用紙で1枚半と少しを書く。いつもエディターで書いているので、なかなか鉛筆で書くのは面倒なうえに、時間がかかって仕方がない。(筆記試験はエディターその他これに近い系統のもので入力させるほうがいい、と前から常々思ってきたが、実現する可能性などあるのだろうか?) その後、事務局長の方と理事長の方との3人で面接をする。主に理事長の方とお話をしたのだが、その某大学へのコンピュータ導入状況などにまつわる話を中心に話が弾んだ。だいたい11時を回って10分強ほどたったころ、その面接は終わり、図書館の見学となった。実は、こちらの図書館には私の1年上の先輩がいらっしゃって、その関係で今回の面接と相成った訳なのだが、その方といっしょに図書館内部を巡った。事務室の中心に鎮座する目録カードケース、6年ほど前のサーバーマシン、PC-9821時代の利用者端末、東側と南側に暗幕のない窓のある保存書庫、ビニールの紐でくくられ、横たえられた和装本……… これらの前を通りながら、いろいろ興味深いお話を伺った、とだけ記しておこう。でも、本当にその先輩が頑張られた痕跡が随所に見られたし、この採用1年目の職員の提言をこの図書館はちゃんと受け入れて、かつ実行したということである。もし面接に通って採用されたら、<ある意味で、>かなりやりがいがありそうな状態だと思った。そうこうしているうちに1時になって、会議の時刻になったため、お礼を述べて、図書館を去った。その後、鶴橋で乗り換えて、京都に着いたのがだいたい15時頃。京都駅ビルシアター2000にあるKYOTO手塚治虫ワールドで1時間ほどを過ごした後、エスカレーターで同じビルの屋上に上り、見渡す。小一時間ほどを、風景を眺めるだけに費やした。ちょうど日没の寸前だった。5時の新快速で米原に向かい、乗り換えて、名古屋にて下車。だいたい19時ほど。急に思いついて、以前より豊橋方面の某BBSで噂を聞いていた、大須のある「飲食夜神 月天」という店に行くことにした。実はこの店、ある伝統的なコスチュームが好きな方を悶絶させて喜ばせるような、でもやっぱり普通の飲み屋さんだったりする。(決してお色気系ではないし、普通の飲み屋さんほどの料金で飲み食いできます。さぁて、どんなコスチュームでしょうか? 聖域にふさわしい服装、とだけ………ね(笑)) 大須観音で下車してひたすら大通りの側を歩くこと10分ぐらいか、ようやく到着。1時間半ほどを過ごす。でも、まだ9時。栄えの方向に向かって歩いていくと、マンガ専門店があったので立ち寄る。文月晃(ふみづきこう)さんの「藍より青し」2巻がもう売られてるかと思ったものの、やはり翌日の発売日までは占いみたいだったのであきらめる。その代わりに、CLAMPの新刊を購入。テレビ塔の4、500メートルほど前まで来る。第一興商のカラオケ屋が目に入ったけど、込んでいたのでやめる。その後、地下鉄の栄の駅から名古屋駅に向かう道の、一品南側の道を歩いているとマンガ喫茶が目に入ったので、入る。10時25分ごろのことだった。そこで30分ほどを過ごす。やはり短かったけど、めぞん一刻などについて復習するいい機会だった。金がないときに泊まるならこういうところだな(笑) その後、東山線?で名古屋まで一駅の所まで歩いてきた者の、精根尽き果て、とうとう地下鉄に乗った。23時20分頃、再びJR名古屋駅の改札を通り、10分ほどの待ち合わせでムーンライトながらに乗り込み、すぐに熟睡。翌朝、東京駅に着いたときには、右足にマメが再発していたので、八重洲南口のサンディーヌ横にある業務用階段のあたりで、人目を忍んでつぶした。左足も痛かったのだが、それはマネが再発したわけではなく、つぶした後が痛いだけと言うことが分かった。結局、マメの後の皮も帰宅後に切除したが、その後かなり改善している。
 そして、午後1時過ぎまで爆睡した。おしまい。(以上を書くのに要した時間:1時間強。書いておきながら言うのも何だけど、読むのがツライ・・・)
Dec. 14, 1999
 あと6時間ぐらいで筑波を出るところだが、今回のオフでは、実は大阪の同志と会うことになっている・・・   「1マイル」は今回も役に立つのだろうか? 
 それはさておき、今月発売のNewType誌の広告によると、来年1月にCD-ROM劇場版機動戦艦ナデシコVol.4、ずばり「Ruri-Mailer」が発売されるらしい。買うもんか、買うもんか、買うもんか!(意地に近い(笑))

Dec. 13, 1999
 不在警報: 1999年12月13日午後8時発表

 約24時間後から今月17日午前7時までの間、大阪に行って来ます。
 その間は、携帯電話でのコンタクトしかとれません。


 オグマさんが12月11日の日記で書いていたように、大阪に就職が決まった場合に、どのように東京の番組を録画するかについて、かなり真剣に検討している。もっとも手っ取り早い方法としては友人に頼むことがあげられようし、これをバイトとして誰かにお願いするのも一手だと思う。
 しかし、だ。これではあまりにもつまらない。そこで、自分の資源としてそれを行いうるような設備をいかに構築するかに考えを巡らせてみた。

(1)Yahoo!TVで確認しうるような程度に急な番組変更には、おそらく電話回線から操作が可能なビデオによってのみ対応しうるだろう。(もちろん、野球中継などの変更には耐えられないが。) よって、理想的には2台以上のビデオをその用途で設置する。電話回線(着信専用回線でも可)は構内ターミナルによって分岐してビデオとつなぐことができれば、安上がりでなお良し。(< 携帯あるいはPHSは電波による機器への影響を考えると避けるべきであろう。)なお、必ず定時に放映されるような番組(テレ東の午後6時台など)については、カセットの交換をやってくれる人間に設定を依頼するか、必見の時間帯の番組を選ぶことなくすべて録画するかどちらかの方法になるであろう。(< いや、TBSには使えない方法だったな(笑))
(2)常置場所をどこにするかは問題である。ビデオデッキを何台もほいほい置かせてくれるような人間などそう簡単には見つかるまい。おそらく、2台以上のビデオ(いや、1台でも場合によっては)の選挙する容積は一般的には、友情に基づく温情の許容範囲外のレベルであろう。こうなれば、やはり他人の部屋を占拠する以上、バイトとしてやってもらうことでこの点を克服するのが一番であろう。(既に3,4台のビデオデッキを部屋に持っていて、かつそのことに何ら違和感を感じないような方にお願いできれば、一番良いのだが・・・) 
(3)予算的には、デッキの置き場に対する家賃とビデオテープの交換・郵送などの人件費を含めて月に1〜1.5万程度で収まるのが理想的である。仮に3万弱ほどかかっても、数人の共同出資に持ち込めれば安くなるはずである。
(4)最近HDにmpeg2でテレビ放送を録画できるマシンが発売されたらしい。(もちろん、回線速度を確保できなければ話にならないが、)そのマシンを常時接続して、回線の空いている昼間に大阪の常時接続サイトへ転送することが可能であれば、大阪にいながらにして東京で放映された、前日の夜の番組を見ることができるはずである。
 これを確実にやろうと思えば、ATM専用サービス(通称:ATMメガリンクサービス)などの、何らかの専用サービスを利用するしかないが、趣味でやるには桁が違う話である。そのほかにもINS-P二組などの方法がないわけではないものの、高つくのはさけられない・・・・ やはり媒体移動のほうが、人件費を含めても安くつきそうだ。
 あれ、東京も大阪もISDN回線にして、片方電話をかけるとどうなるのだろう?? 仮に、128Kbps×0.7=89.6Kbps ぐらいの速度で実際の伝送が行われるとすると、1分間で672KB、1時間に40.32MB、24時間でやっと967.68MB−−− MPEG2の画像でちょうど30分ぐらいになるかならないかだが、30分アニメならばこれでいいのか?! 実験する人募集(笑)

 子供たちの無邪気な攻撃に笑顔を絶やさない若旦那の秀さんに捧げる、なむたんなラブソング

「なむたんはさんたくろーす」(12月13日現在バージョン)

1.
むかし となりのおたくなおねえちゃんが 
くりすますのひ わたしにいった 
「あした みっかめになれば なむたんがここにやってくる」
「ちがうよ それはおねえちゃんのもうそう」
おねえちゃんのは しろくかがやく
「いいえ、そんなはずはない なむたん、わたしをあいしてる!」
がんばれよ なむたん 
えるおう゛いい なむたん     < ※ ”L・O・V・E”のこと
このせいち びっぐさいとまで
かえるとびだ なむたん 
さぎょうふくだ なむたん
おねえちゃんが まってるぞ!

2.
きょうもまたおなじおきゃくさまにみつかり
のっかかれて げたげたにぱんち
だけど きょうはくりすます・にだんかいへんしん・すーぱーなむたん!
それでも おきゃくさまのこうげきは
やむところ おちどころをしらず
へいてんじこくまでには
まだまだながい ごごいちじ
めにうかぶ そうばとう
けつあつが あぶない
ぺるちぇつきになりたいよ
しめられる なむたん
けりはいる なむたん
にんたいのさる それがなむたん


Dec. 10, 1999
 「ブッチホン」………………
 
 小渕総理がいきなり見知らぬ相手に電話をかけることをもって「ブッチホン」と言うらしい。よかった、新型の電話機の名前じゃなくて。覚えやすいネーミングで悪くはないが、流行語大賞に入選する作品としてはいかがなものか。
(ブッチホン〜 ブッチホン〜 ずんたかたったずんたかたった〜 ブッチホン〜♪) < ほら、数回唄うだけで、ドラえもんの顔の部分が誰かに似てみえ〜る、似てみえ〜るぅぅぅぅ[催眠オブチモン作戦 (C)総理府 ]

「加奈の郵便屋さん」というメーラーが発売された。D.O.が発売元である……… たしかこのキャラ、病弱だったはずだよねぇ(笑)

(Dec.12,1999 追加)
この世にはこういう濃ゆいページがある。あぁ、クラクラしそうだ。:大原くんのページ
(ちなみに、ここのサイトのこみパな妹は参考になった。)
Dec. 9, 1999
 昨日は泣きそうなことがあった・・・ 
 スペインからの円建て小切手を日本円にしようと、朝の9時半から土浦駅西口のさくら銀行に行って来た。この東京三菱銀行支払い指定の、9210円の円建て小切手につき口座への振り込みを頼んだところ、手数料が5900円もかかったのだ。(その内訳は手形交換関係手数料が(1500×2+400=)3400円、東京三菱銀行での円建て小切手取扱手数料が2500円。) 結局、11時半までかかった。
 USドルを書留で送ってもらった方がよかった(涙) だいたい、小切手の払い出しに手数料がかかるなんて知らなかったので、額面を尋ねられたときに立て替え額をそのまま言ったのだ。あと、意外だったのが、円建てではなくドル建てにしていれば1500円も手数料が安くなったことだった。(ああ、USドルっていいねぇ〜 くそくそくそくそくそくそくそくそ!)

Dec. 7, 1999
 やっと修論完成率が8割を突破した。来週前半までには完成すると思う・・・・


 短期的不在予報

  今月中旬下旬は地理的移動の著しい週となるでしょう。

 11日		日本図書館協会
 15日〜16日	大阪某所。もしかしたら石川県経由で帰還
 18日夕方	八重洲
 24日〜26日	東京ビッグサイト  ※
 28日〜翌月4日ごろ 帰省

 なお、※のある予定につきましては、回線事情のため、携帯電話での連絡がほぼ不可能です。あらかじめご了承ください。(もしかしたら携帯への文字メッセージによる連絡は可能かもしれません。)
 今日の午後の2時間弱は銀行巡りで終わった。
 スペインの友人より、セルの代金として立て替えていた金に相当する額の小切手が送られて、それを換金するためだったのだが、その小切手は東京三菱銀行を支払銀行とするものだった。これは筑波にはない銀行である。常陽銀行が外為業務もやっているものの、口座を持ってない(というか解約した)のでダメである。(口座ができるのを待つ気にはなれない。) そこで、口座を持ってる、あさひ銀行土浦支店にやってもらうことにした。(< 学園都市出張所ではダメなので、土浦駅西口まで行かねばならない。めんどくさいものだ。)
 これまで外国との物々交換はやってきたものの、小切手というものを扱うのは生まれて初めてだ。さて、なぜ外国から現金を受け取ることがこれまで一度もなかったかというと、物々交換を主としているから必要なかっただけなのである。
Nov. 28, 1999
 九州大学をYahooで検索してみた・・・・・ 一瞬、名古屋かと思いました(笑) < 九州大学以外の*九州大学の関係者各位ごめんなさいです。

 で、なぜ九州大学かと云いますと、私の学部同期で、現在九大附属図書館にご奉公している「はず」の某伊勢脇嬢がホームページを占めたことに気がついて早半年弱、お元気かなと思ったので、もしかしたらなにやら痕跡の一つでもあるのではなかろうかと探しに行く、その道程でした。

ここまで揃うと、何か嬉しいねぇ・・・・ 後は東、東だけか、誰か作らないかな(笑)
 11月27日(土曜日)付の日記で、オグマさんが聖書を引用しつつ、「天まで届けと塔を建てた連中を怨めばいいのか、その程度のことで癇癪を爆発させたヱホバを訴えればいいのか、はたまたこんな逸話ですら恨めしく思う無神論者の自分を哀れめばよいのか。」と悩んでいるのを発見した。(塔というのはもちろんあのバベルの塔のことである。)

「いらぬ」と答えられるのは分かっているが、私なりに答えてみよう。

 仮に、当時の日本には既に東京地裁があり、司法制度が動いていたとしよう。< 言葉が「バロル」(混乱)させられる前のことなので、かなり無理はあるが………(笑)


以上のように始まるくだらないことを書いてみたのだが、やはりちょっとくだらなすぎたので、 やめることにしました。

Nov. 27, 1999
 11月27日の朝にここを見ている方、おはようございます。
 ただいま、SINET上で筑波大とその下流のみご覧いただける状態です。
 
 昨日が筑波大とその上流間のメンテの日だったんですけど、昨晩はブツ切れ状態で、今朝になったら完全に切れていたという次第……… 外界に出たいぞ!儂を出してくれ!!(涙) < 切実
Nov. 23, 1999
 昨日、数十時間ぶりにアパートに帰った・・・ 冗談抜きで二日ぶり。すると、ある知人が(予告の上で)スペインから送ってきた、"DOKAN"というアニコミな商業誌のきまオレ特集号("Especial No.3 : Kimagure Orange Road"。今年発行)が届いていた。中身は一般的な説明のほか、キャラの一言入りWAVファイル、mp3やmovファイルなどなど。
 で……… 二つのことに驚いた。
(1)ウチのサイトのきまオレ系ページが商業出版物の付録CD-ROMに入っていた、ということ。
(2)そのCD-ROMも雑誌本体も、スペイン語バージョンの"Dance in the memories"のmp3などといった、非常にスパニッシュきまオレオタッキー殺しなコンテンツに満ちていること。


 それにしても、(1)については若干迂闊だった。ものがものだけに、商業誌のオマケに載せられるとは全く考えていなかったので、「出版物の場合はご連絡を」とは一言も書いてなかったのだ。
 反撃する材料はある。確かに、ウチのサイトについて「適切な引用を認める」とは断ってあるけど、一言の連絡もなく、勝手に商業誌のオマケにするのは適切とは言いえないだろう。 まあ、そこまでは私だけのことだし、少し嬉しくもあるんだけど……… 
 でも、預かっている同人誌の画像については明確に再頒布禁止の旨を(英語でも)書いてあるので、マズいことをしてくれたものだと言うしかない。作者の意向を聞いた上で、抗議のメールを送ることになるだろう。

 やはり昨日のことになるが、KDDから電話料金の請求書が来た。(< 市外通話にはKDDを使ってるので、毎月のことだけど、実はうちの実家ではKDDのサービスは使えない。父親がNTTの下請け工事会社に務めている関係上、使ったら覿面にばれて、「使うな」という要請が来るらしい。)

 一つ、学習した−− 平日の昼間に携帯で台湾に10分かけると2000円弱もかかるんだねぇ・・・ アパートに帰ってからかければ、差額でマクドのバリューセットぐらい食べれたのに、と悔やむしかない。
(代わりに、国内の通話が少なかったので、市外と国際の合計額は前の月と大差なかったけど。)

 で、なぜ台湾にかけたかというと、ある翻訳小説(もとは日本語で、台湾語に翻訳されたもの。繁体字で書かれている)を手に入れるべく、出版社に掛け合うためだった。私が台湾語をしゃべれるかというと実は全くしゃべれないけど(爆)、それがダメでも英語、もしかしたら日本語もOKかも?という期待を持ちながら電話した。すると、日本語が(意志疎通率50%ぐらいながら)通じたので、電子メールアドレスを聞き出すことに成功した。そして、あれこれあって向こうから(住所だけ書かれた状態で)送られてきたブツはいま、図書館から借りている本たちとともに院生室の片隅で鎮座している。

Nov. 20, 1999
 「超漢字」をバンドルしたPC「超漢字パソコンFBX500C」が売り出されているらしい。 買わないけど。

 昨朝、http://www.networksolutions.com/にitono.comのDNS上方修正リクエストを送信したところ、またも撥ねられた。頭に来たので、同社に「お前のとこの鯖は腐ってるんぢゃねえか? 私に使わせた無駄な時間に対して補償でもしてくれんのか!」というふうな怒りまくりのメールを送りつけたところ、昼頃には修正されていた。当然である。この件に関しては、絶対に私に非がないことを確信しているので、どれだけでも脅迫ではない限りいくらか罵ることぐらい許されるはずだ。
 そのようなことがあって、やっとのことで、さくらインターネットでのhttp://www.itono.com/が本格的に起動した。それにともなう変更点について、とりあえず手短にご説明すると、次の通り:
・メールアドレスが itono@ulis.ac.jp から taisuke@itono.com へと変更される。
 (適当なメールアドレス(現在のところはitono@ulis.ac.jp)に転送されるようになっている。)
・CGIの利用が可能。
・IRCのログ提供。(これはhttp://www.ulis.ac.jp/~itono/で行っていたものを移すだけ。)
・認証や、ホスト名やIPによるアクセス制限が可能


なお、ここの日記も来月ぐらいまでに移動する予定です。 > 特にオグマさん。
Nov. 17, 1999
 JARLの「アマチュア無線こぼれ話」で知ったのだが、第4級アマチュア無線技士国家試験の臨時試験(於 晴海)では試験の受験申請から合格者の免許申請の受付までを一日でできるらしい。この免許の場合は発給者が関東電気通信管理局長(第1〜2級は郵政大臣)になるのだが、他の地方でもやってもらいたいものだ。< いづれにしても、とうの昔に取った私には関係がない。
 http://www.itono.com/のDNS変更がまだできない。あきらかにhttp://www.networksolutions.com/のバカ鯖のせいであるので、クレームをつけたところ、二日ほどで人間から返事が来ました。

 ちなみに、http://www.itono.com/の新鯖の別URLはhttp://www14.dns.ne.jp/~itono/です。新鯖では分野別のディレクトリ分けをしっかりやろうと心に決めております。でも、トップページはすっきりさせたいな。
 オグマさんの日記を読んで、ミイラになってすら生きている、で有名になったライフスペースのホームページ(http://biz.nifty.ne.jp/gfnet/)を見る。日本語にしては汚すぎるし、英語かフランス語を自動翻訳にかけたわけでもないのに、自動翻訳っぽい日本語文にしてあったりする。また、変な漢字の使い方をしている。(あれを書いた人間の意図したようにあれを発音できる人間がこの世に何十人いるのだろうか? 漢字が普通に使えないなら、頼むから、全部かたかなに直してくれ!!!) 英文もまた、変だ。最初のバナーに恥ずかしげもなく(pressの意味で)plessと書いてあったり、EnglandをEngurulandと書いてあったり、JapanをJhapanと書いてあったり、意味もなく英文の末尾にifをつけてあったりする。
 ちなみに上のページを読んだ後に、幸いにも………というよりやっとのこと休止しているhttp://aum-internet.org/index_e.shtml(オウム真理教の英語ページ)のキレイに見えること^2(苦笑) そういや、アメリカにあるhttp://www.aum-shinrikyo.com/english/ のほうはまだ動いているけど、なんとかならないものだろうか。

# リンクを張るのが厭だったので、あえて張りません。お読みになりたければ、ご自身でcopy&pasteしてください。

Nov. 14, 1999
 @niftyで『マドモアゼル・愛』という占い師が提供したデータによる占いってやつを試してみる。しかし、名前と顔・性別のギャップが大きすぎるのはいかがなものか。(写真の上にマウスカーソルを移動して、POPが出た瞬間に『(自己検閲)げぇ』と思った。)

 昨日、さくらインターネットのDNSWebサービスが利用できるようになった。パスワードチェックの段階で撥ねられまくったので、朝一番で電話をかけたところ、郵送されてきたIPアドレスが実はデタラメであったことが判明した。(郵送されてきたのが、実際に割り当てられた14台目の鯖のIPではなく、13台目のやつのものだった………ということで、完璧にデタラメなIPというわけでもないが、私にとっては同じことだ。)ごねて1日分の利用権の補償を認めさせるためにかかる電話代と労力より、1秒でも早く電話を切る方が安く上がることは分かっていたので、ごねるのはやめておいた。せいぜい50円のことである。
 つなげるようになったので、一気に80MBほどのホームページ用データを放り込み、かつIRCのbotをば起動させる。快感だ。結構、転送速度が出るので、30分もかかってなかったかもしれない。
 ………しかし、困ったことに肝心のDNS情報がなかなかアップデートされてくれない。Network Solutionsのサイトで変更の手続きを行ったはずなのに、なぜか古いデータが残っているのだ。当然、あのドメインのAdministrative Contact(Worldnic-JPの用語からすると、「連絡担当者」)だから、私だけが手続きをすれば、後は全て変更されるはずなのに、どうしたことだろう。
Nov. 12, 1999
 昨日朝6時頃、PCを触っている際に異臭を感じた。しかし、見た目は何も変わりない。更に10分ぐらい使用したところでフリーズした。そのとき初めてケースの、CPUの真上付近が異様に暑いことに気がついた。主電源を落として中をよく見てみるが、とくに変わった形跡はない。厭な予感がしたので、CPU用のファンを調べたところ、電源を入れても回らなかった。安物だったしなぁ……… 朝一番でC-YOUに行くつもりが寝てしまう。そのため、C-YOUでELECOMのファンを買ったのは夜の8時前のことだった。今度から、CPUのファンは普通のメーカー製のものにしておこう。
 そういえば、今日は今上天皇即位10周年パレードのはずだが、雨である。
 今上天皇のことの呼び方は人によりいろいろであろうけど、音の少なさと響きと特定性より、いつもの私的内部表現は「陛下」である。なんとなく「天皇陛下」よりも堅苦しくないし、日本で「陛下」といえば最初に「天皇陛下」が来るものと考えて良いはずだからだ。皇后・太皇太后・皇太后の敬称もやはり「陛下」なのだが、やはり響きと独断的好みにより、これらの方々(太皇太后はいないが)は「様」付けにしておこう。
(ふと気がついたのだが、テレビ番組で「皇后様」と言うことはあるのに、「天皇様」ということが無いということは、皇后陛下に対して相応の敬称を用いないという性差別なのだろうか? それとも、「天皇」の地位に鑑みて妥当なのだろうか?)

 掛け軸には「愛姉妹」と書くことが、この世界の新たなルールになりそうだ。バリエーションを持たせて、「愛メイド姉妹」と書くことも赦されよう。「アイメイト姉妹」(< アニメイト姉妹、ではない。ちなみに、盲導犬は雌が殆どなので、正しい。)ならば、まだ分からぬでもない。

 参考1:http://www.swan.ne.jp/~mychan/weekly/ <11月8日分を参照のこと>
 参考2:「中部盲導犬協会/Q&A」
 参考3:別の「愛姉妹」について、http://www.cc.rim.or.jp/~t-kun/txt/a-link.html 
 いわゆるY2K対策の備蓄が三日分程度の非常食しかなかったことに気がつき、焦ったものの、それが杞憂であることに気がつく。それは年末年始は帰省する予定なので、つくばに準備してもしょうがないからである。(< もちろん、飲料水などの食料は非常用に持ってはいるが、それ以外の用意はごく簡単なものだけである。特に、炊事用燃料とガソリンの用意は無きに等しい。お湯無しでカップ麺を食べるのはかなり無理があることからも、要対策事項だとは思うのだが……… やはり、キャンプ用品店で買ってこないとダメか。)
 でも、この件に対して実家が対策してなさそうな気がするので、余計にタチが悪い問題とも言える(苦笑)
Nov. 10, 1999
 オグマさんに嘘動物占いの結果を見せられる。「その他」、あるいはカタクチイワシだったのだが、驚くには値しないことだ。つられて自分もやってみたところ、「調理される寸前のイカ」と出た。豊橋方面から呪いのウェーブが飛んできていることを確信する(犬と出ると思ったのに、ちっ!)。診断系サイトのリンク集ヤヲーを発見する。裁きの冬の風は冷たそうだ。
 昨日の朝、某バスチャーター計画について筑波大の2団体にメールで連絡し、協力を求めた。でも、時期が迫ってるため無理かもしれない。2ヶ月ぐらいの時間があれば事前調査からできたのだが、そのための期間を殆どとることができないため、半ば無謀であることは承知している。(この企画、本当は関東鉄道あたりがやってくれたらいいんだけど………) 
 オグマさんを見ないと思ったら、ここ数日、家でスクリプトを組んでいたらしい。
 オグマさんより後払いで買ったと思っていた録画しかできないビデオは、実は貰い物であったことが判明し、大感謝する。既にソニーに修理に出していたのだが、ビデオ修理の最高代金(16,000円)を払って直してもらうかどうかを決めかねて、ここ三日ほど回答を保留していたのだが、やはり直してもらうことにした。
Nov. 9, 1999
 「オハイオ州立大学邦動画協会」なるホームページを見つけた。つくづく、行く先々に濃ゆいもの、放射能を発してる人が転がっている、そんな運命に生まれたのだと感じる。

Nov. 7, 1999
もう一つ書いては見たものの、つまらないので埋めました
書いては見たものの、つまらないので埋めました。

Nov. 5, 1999
 朝10時半頃、小熊さんより電話がかかる。新しいビデオデッキが順調なので、古い方を払い下げることができるそうな。ただし、録画はできるが再生できないそうなので、阿見町のソニーのサービスセンターに持ち込むこととする。(経緯につき、Nov. 2, 1999を参照のこと。)
 朝10時40分、某銀河さんのページ(Nov. 1, 1999を参照のこと)で100番を踏む。なんというエライ縁だ………

Nov. 4, 1999
 昨日は池袋サンシャインのCレヴォに行って来ました。コミケは何度か行っているものの、こちらは今回が初めてでした。寝過ごして、つくばを出たのが12時半で、到着が14時ちょうどごろ…… 2時間半ぐらい覚悟していた割にはすんなりと着きました。さて、到着直後にまず左の間のLoveLessできんちゃんさん兄妹にご挨拶。次に上の間の、某高橋さんがお手伝いで来ていた某美夕系サークルへご挨拶に参上。ホームページのデータ入りCD-Rをお渡しして、お買い物して早々に退散。その後、右の間、下の間と見て歩き、15時頃に再び左の間のLoveLessへと戻る。すると、MANAMIの某○しかたさんが来ていた。今は○ィンクルと○らのあな通信で書いていらっしゃるらしい。(そういえば、同じくMANAMIの某ユエさんは、ペンネームが却下されたために本名でWinPCで書いているとか仰っていた。)青封筒を某代表から頂いたとか、私には別次元のお話を繰り広げてられてしまう。LoveLessの前に某○井静香氏(※ 政治家)の馬鹿でかい(等身大よりやや小さい)イラストボードがあったので、彼のことをどう思うかと尋ねたところ見事にはぐらかされてしまう。直後に判ったのだが、○しかたさんのお仲間のサークルだったらしい。気づかぬ私が馬鹿だったとしか……… そして、場は冬の新刊の作戦会議へと変わった。下手をすると私の文章だけ、よくても○しかたさんの1〜2ページが追加されるだけらしい。今回はコピー本になるそうなので、締め切りはかなりおそくてもOKとのこと。合計20ページほどになれば構わないらしいので、それだったらなんとでもなりそうな気がしなくもない。但し、≪大前提:論文が完成していること≫があるので、是が非でも書き上げねばなるまい。今冬のKOR FREAKSはギャルゲー系らしいので(当選したとしても)私は不参加の公算が大のため、2冊ぐらいならなんとでもなりましょう。最後に即売会の人足(スタッフ)となるお約束をしてしまう・・・ ん? 次の正月はいつ戻らなくちゃいけないのかな?
 レヴォのかえりに秋葉に寄ってきた。最初にLaoxのTHE DIGITAL館に立ち寄った。ここの略称は、ザコンの例に従い、ザデジになるのだろうか?(デジカンぐらいが丁度いいと思うのだが。) その後はセカンダリな用途のための安いHDDを探して廻ったが、ちょうどいいのが見あたらずに断念。コミックを数冊調達し、東京駅八重洲南口のバス乗り場へと向かった。
 今日未明、小熊さんの日記を見ると、一時帰省していたらしい。数日ながら、やけに見ないと思った。
 こやま基夫先生の「エンジェルノート」のファンサイトを立ち上げる話があったので、首謀者として仮のものを組み立てて、昨晩tripodの某所に放り込んだ。だが、休日のためだろう、昨日中は何も反応はなかった。私のやっているファンサイトのうち、ここだけはペンネームで通すつもりだけど……… このプロジェクトもどうなることやら。(ちなみに、現在使っているペンネームは某zennneko-ML用一つ、きまオレその他のまつもと泉作品系・エンジェルノート(エンノー)系一つ、その他の文章用一つ(全然使ってないけど、ゲームとかやるときに使うことがある)の計四つあります。)
 政府が、効力を失ってもなお廃止されていない法律がないかと約1700本ほどの法律をあたって、該当するものを57本見つけたらしい。
 だが、1700本というのは何の数字だろう、とふと思った? というのは、実はこの世には効力を失っても廃止されていない細かな法律がごまんとある。(法文社発行「現行法令索引」の「旧法令の改廃経過」の巻のうち、明治や大正、昭和初期の古い法律がちゃんと廃止されているかどうか眺め見てみればわかる。廃止し忘れられた法律としてよくあるものの一例には、「○○法○改正」の類があったと思う。< 最近、旧法令を調べることがなかったので勘違いしてるかもしれない。) 法律に関しては常に 廃止されていない=効力を持っている ではない。たとえば、その法律の後の別の法律によって実質的に無効となった場合や、敗戦の関係で当然に効力を失ったけれどもちゃんと廃止されていない場合などがある。詳しいことは分からないものの、この数字は内閣法制局や衆参の法制局が現行の法律として認知しているものの数のことだろう。政府が廃止の手続きに移る法律にどのようなものがあるのか、そのリストを見るのが楽しみだ。
Nov. 2, 1999
 風邪のため、昨日は結局寝倒してしまった。とにかく、今日はがんばるしかない。咳が出ること以外は特に困らない……… まだ風邪であることには変わりないけど、今は動くしかない、核、もとい書くしかない。 < 昨晩、小熊さんからダビングさせて貰ったDAICONなものを見たのがいけなかったのだろうか?(笑) 朝風呂(午前1時頃)をした。
 今朝方(午前2時半〜4時半頃)、http://www.itono.com/ の更新も兼ねて、いろいろと巡ってみる。ついでにアサヒネットのメールも久々に見た。(※ 現在、bi9t-itn@asahi-net.or.jp は使っていないし、実際にダイレクトメールとアサヒネット事務局からのメール以外は全然来ない。だが、万が一ということもあるのでたまには読んでいる。なお、ちょっとだけ愚痴っちゃうと、アサヒネットがようやくコース変更料金を廃止した。以前は1500円、今年に入って1000円に値下げしたばかりだった。いいことである。だが、不満なのは、私がコースを変更した直後だったことだ。こればかりは仕方がない。ああ、ついでに書きたくなってきた。高校時代に生徒会の副会長をやったことがあるのだが、そんなお役目を頂くきっかけとなったのが高校2年のころの生徒議会だった。そこで、上級生共相手に、学年別業種?制限撤廃を求めて論戦を繰り広げたのだが、その上級生「様」方のご意見は単に「我々を犠牲にするのか」の一点であった。結局、生徒課の采配によりこちらの負けとなったけど、それがきっかけで生徒課に気に入られ、2、3度ほど超近距離での自転車通勤を見逃して貰うことができた。しょうもない制度の変わり目にはこのようなことも起こるものである。) 昨日の日記にある某銀河さんのページに行ってみるも、一部の小熊さんの日記も見る。買ったダブルビデオデッキが故障していたらしい。このことは、実は私にも関係がある。というのは、新しいデッキを買い次第、小熊さん宅で現在はあまり使ってないデッキを譲り受ける話が9月頃からあったからである。どうせ私も今月はあまりビデオを観れないので、全く困らない。日記の中で「うちという家は家電製品の故障が多いかな。電波を飛ばすものは何も使っていないというのに。」と不思議がっているので、この問いに答えて進ぜよう。あなたがその電波源だ(笑) < もちろん、普通の電界強度計では測定できないものの、つくば電気街の方向はオタク書庫にシールドされているので、原因があるとすれば本人しかあるまい。
 午前5時、登校。高橋さんへの質問メール(作品タイトルの照会)へのお返事を読む。判明した、その作品のタイトルは「我、問イタモふ」。いくらかの疑問を感じるタイトルである。第1点はなぜ「問タモふ」ではないのか。第2点はなぜ「タマふ」でも「タモう」ではなく(発音どおりの)「タモふ」なのか(言文一致?)。第3点は「我」に「タモふ」を用いるのか。ここで、第3点だけ調べてみた。下二段活用の助動詞の場合の「たまふ」は平安時代には自己の動作についてのみ「〜させていただく」の意味で使われていた。また、四段活用の助動詞の場合は、動作主に対する尊敬を表す。どちらの活用も終止形は「たまふ」である。すると、≪誰に≫尋ねているのかが問題となるのだが、作品の内容からすると自問自答なので、尋ねる相手も尋ねる身も自分である。………まあ、この問題、忘れるのが一番だろう。

 とりあえずもう8時だ。矢島ボイスの「あんたたちの服の趣味って最低ね。」(by Dorothy @ ビッグ・オー)を頭の中で反芻しながら、今朝を始めよう。
Nov. 1, 1999
 ここ数日分の日記をここにしたためる前に、今日発見したポカを早速修正したのでご報告する。lat1999b.htmlに「www2s.biglobe.ne.jp/~nassie/hp3/haruna/」というリンクがあったが、これにhttp://を被せておいた。ここ1と1/3日の間のログを見ていて気が付いたのだ。そのログとは、今週日曜日の午前0時半ごろからのログであり、利用者のアクセス時刻・IPなどが分かる。http://www.ulis.ac.jp/~itono/orange-m/index.html は、自分のアクセス回数を引くと59回のアクセスがあったようだ。だが、これを掲載したことによってディスク割り当て(50MB)をまたもやオーバーしてしまったことを白状しよう。やはり、私には50MBでは足りないのだ。そろそろ100MBのサーバーに移行するので、どういうことになるか、ご覧あれ。

 ついでに今日の日記も書いてしまうと、小熊さんや私と「ゆうりすオタク1番」の称号をかけて争った………と学内のulis.chatから思われたセンターの竹居さんがホームページを復活なさったようだ。が! 今日は@nifty関連らしきNiftyのメンテのために、午前11時現在 http://member.nifty.ne.jp/Uranus/は利用できない。 ああ、冬コミでは何回、会場内でお会いする事やら(笑) < ちなみに、オタクの祭典コミケでの「偶然の遭遇」を小熊さんとは1回、竹居さんとは3回(ただし、うち1回は気づかれず)やらかしたことがある。

<10月29日>
 中間発表会。朝10時から、発表15分+質疑5分の計20分「の予定で」発表を行い、結果的に22〜3分ほどを要した。そして、前の3人の轍を踏んだ − ベル係を忘れたのだ。もう一つミスがあったのは、レジュメを朝一番に用意しておかなければならなかったことを知らなかったのだ。というのは、前年度の中間発表会では途中にレジュメを持ってくる人が少なくなかったので、今回は違うことを知らなかったのだ。

<10月30日>
 朝までhttp://www.ulis.ac.jp/~itono/orange-m/のデータを作成し、アップする。結局、本1冊バラしてしまう。やはり、きまオレ系同人誌の複本は4冊買わなければならぬことを痛感する。寝坊して13時起床。10時に指導教官の所を手伝う予定をすっぽかしてしまった。まあ、16時にも行くことになっているからと、とりあえず筑波技術短大視覚部の春日祭に行って、ここ数年お世話になっている「極楽堂」でマッサージを受ける。担当者曰く、私は腰痛持ちらしい。筋肉が衰えたためだろうが、これといった痛みを感じたことがなかったので、気が付かなかった。なにはともあれ、指導教官はこの翌日からアメリカに調査へ行くので、大学へ戻り、研究室に行った。
 私のいる某Hゼミには先週か先々週あたりから新しいゼミ生が入った。某N村さん(学部3年)である。思い返せば、某S山さんが卒業して以来、ここ半年ほど後輩が一人もいなかった……… ハーちゃんが来る前のエクセルを考えれば、その侘びしさの程はご想像頂けるであろう(笑)
 その後、5時15分ごろに伊奈町の家庭教師先に向かう。いま、数学の図形関係の証明を教えているところだが、どうも証明の組立方が分かってもらえない。証明特有の文(丸数字を使って、「○番と○番より、〜であるから−」)のほうはなんとなく分かってもらえたのだが、肝心の証明そのものの組立がどうもできていない。角度とか、数字の関係するものについては(私に言わせれば30点ぐらいの理解ではあるものの)遠回りでも少しは解けている。相手は中3の男の子で、本当に小学校と中学でバスケしかしていなかったような奴だ。困ったことに、かなりいいかげんなところがあるので、数学の証明が一つ一つ事実を積み立てて行かなくてはならないことを幾ら説明しても、ところどころ(自分が分かっているからなのかも定かではないのだが)証明をすっ飛ばし、かつ証明に用いている理屈(たとえば、二辺とその間の角度がそれぞれ等しいから合同、とか)をあてずっぽでしか書かない。はぁ………

<10月31日>
 朝、某犬山さんこと狗女帝さんの日記を見る。実名入りの「うぐぅ」ものであった……… とりあえず、メールを書いて、言い訳説明する。いま高校2年らしいが、間違いなくオタクの道を歩みつづけることだろう。
 大学から戻り、家事をやってから、前日も行った春日祭に行く。昨日の方は1年生だと言っていたが、今度の人は圧もあって上手かった。帰りがけに昨日施術した担当の方にお会いして、今日の感想を述べる。施術の間、ひとつ隣の会話を聴いていた。按摩をやる学生は(声と会話の内容からして)20代中頃の男性で、してもらう側は孫連れの老人だった。その学生と彼の母親と弟、そしてその孫がポケモンにはまっているらしい。
 夕方、2回に分けてダイエーに行く。米10Kgその他諸々を調達して、合計で5000円ほどの出費。

Oct. 28, 1999
 とあるBBSで知り合った方で、某共同プロジェクトのお仲間:犬山さんが日記をつけているのを発見する。[ネタにできるものは何でも]という点において、この日記に通じるものがあると思った。
 そういや、「最新情報」が日記のことだということを知る人はあまりいないだろう。先週1週間のアクセス回数は85回であった。(学内からのアクセスがそのうち6回あったものの、小熊さんしかおるまい。) まあ、ここに来る人の大多数が小熊さん絡みであるらしいことを考えるとやや複雑な気持ちだ(笑) [親衛隊同志も数人来て下さっているようだ。]
 アクセス回数といえば、火曜日の晩、ULISサイトで最もアクセスの多いきまオレ系コンテンツの作者であるTさんよりメールが来た。どうやら、インターネットに脚を突っ込まれたらしい。大歓迎である。これまでは郵便での連絡しかしていなかったが、某まつもと先生が少し活気づかれてきたので、これを機会にもうちょっと連絡を密にして、きまオレ系同人界の活気をいくらか上向かせたいと考えている。
 なお、某親衛隊隊長YことAさん(これもまた本名ではない)のリンクページで、私のことを世界のきまオレ界の元締めと解説されていたが、これは正しくない。No.1は、少なくとも日本語以外の世界では、私の友人であるRobert Kwongであることを明言しておこう。いくらなんでも、あそこまで凄いファンサイトを作る気にはなれないし、彼のお陰もあって私のきまオレ系情報ページは繁盛しているようなものだと確信している。 日本ではどうかというと、日本では最も早く(おそらくは最初に)きまオレ系コンテンツをWWW上に掲載したらしいものの、当初は特に何も考えずに感想らしいものをちょこっと載せている程度だった。そこに、GENESIS D.P.C.……… 描き始めたら切りがないので、これについては改めて!
[カフェインにてオーバークロックして、中間発表準備中。この期に来て結論書き換えとは!!!!!]
Oct. 27, 1999
どうでもいいことに気が付いた。木之本さくらと桃矢の年齢差は自分とウチの妹のそれと同じである。
(1分間逃避モードでの読書中に発見。)
Oct. 26, 1999
友人のS君が今日で二十歳になったそうだ……… 
(ちなみに、法的には今日が終わる瞬間までは二十歳じゃない。)

 ネット上で彼のことを知ったのは97年9月の本当の最初か8月31日のことだから、当時の彼は17歳の高校生だったことになる。ソフマップの無料インターネットコーナーから書いていたそうだ。 実際に彼と会ったのはほぼ1年後のことだが、更にその1年ほど後に共に若干怪しげな活動をしていようとは、2年前の彼には想像もできなかっただろう。
 自分の場合も、思い返せば、大学に入ってからの自分がそれ以前の自分が夢想だにしなかったことをやっててることに気づかされる。でも、連続性は全然ないものの、現在の自分にも高校の頃の自分と似たようなことをやってるところがある。このことについて、金曜日の中間発表が終わったら、ゆっくり書いてみたい。

 昨日のことをば少し。
 書籍代金として、朝一番で台湾に国際郵便為替でUS$63.70(昨日の相場は1US$=106.75円)を送った。6799円+国際郵便為替の手数料1000円だった。本当は1688台湾元なのだが、手数料を考えるとどうしても郵便局でやりたかったので、勝手ながらアメリカドルで送金した。
 そのついでに、郵便振替口座の開設申込みをした。これで次回からは文書扱いの振替か、払い出しによる支払いができるようになる。 < 次に注文することがあるかどうかは分からないけど。

 その後、10時の開店と同時に筑波西武2階の時計店で、竜頭の修理を依頼していた愛用の時計を受け取る。4500円(+5%)。大学への入学祝い金で、金沢の堅町通りにあるウオッチマンという店で買ったものだ。(その店の斜め向かいに、3年ほど前だったかにアニメイト金沢堅町店(直営)ができた。) この竜頭、服を着替えるなどの通常の私の動作の中で、不思議とひっかかるようになってる。未だに、原因が分からない。
Oct. 19, 1999のことについて。

 小熊さんに、あれを掲載した直後に突っ込みを受けたのだが、JPEGは文字原稿に最も不向きな類の画像圧縮方式らしい。
 でもって、Presto!というソフトがJPEGでしか保存できないと書いてるけど、PCXでの保存もできることが判明。ほぼ問題は解決した。でもあのソフト、画像の保存などの面で使いづらいところがあるほか、解放されるはずのメモリがちゃんと解放されてないように思えるのだが気のせいだろうか? (PCXは可逆圧縮の画像形式。[参考]http://www.jeton.ne.jp/users/ymizu/img.html
Oct. 25, 1999
http://www.fastwave.gr.jp/scouter/での測定結果
http://www.ulis.ac.jp/~itono/kor.html 攻撃力:7668 防御力:6596
http://www.ulis.ac.jp/~itono/kor2.html 攻撃力:9509 防御力:1480
http://www.ulis.ac.jp/~itono/what-iam.html 攻撃力:5552 防御力:7029
http://www.ulis.ac.jp/~itono/std-id4.jpg 攻撃力:5959 防御力:1000
http://www.ulis.ac.jp/~itono/ym-ml/fc-index.html 攻撃力:1751 防御力:863
http://www.ulis.ac.jp/~itono/ym-ml/index.html 攻撃力:1267 防御力:8401

それにしても、同じ内容のはずの以下の両者がなぜ防御力においてこうも違ってるのだろう??
http://www.ulis.ac.jp/~itono/index.html 攻撃力:9653 防御力:1695
http://www.itono.com/index.html 攻撃力:9791 防御力:5168

本学のトップページも調べてみたが、強いねぇ・・・
http://www.ulis.ac.jp/ 攻撃力:6177 防御力:8996
http://www.ulis.ac.jp/jindex.html 攻撃力:7988 防御力:6149

Oct. 20, 1999
 RiUPのボトルの裏にある効能書きを読んでいて、あることに気が付いた。「壮年期脱毛症における発毛、育毛及び脱毛(抜け毛)の進行予防」がその文である。普通は、そのままの意味にとるだろうし、それで正解。でも、法文の文法に則って解釈するという、ひねくれた読み方をするとえらい意味になる。「及び」というのは一番下のレベルの”and”であるため、発毛や育毛も「脱毛(抜け毛)」と並列の存在として「進行予防」されてしまうことになるのだ。だから、「壮年期脱毛症における発毛及び育毛、並びに同症における脱毛(抜け毛)の進行予防」あたりが法文としては無難なものと思われる・・・ だけど、これが何の法律の文章になりうるのだろうか? (「国民皆発毛促進法」の目的規定あたりだろうか(笑))
[詳しいことは以下の本を参照のこと:林 修三「法令用語の常識」(セミナー叢書)3版、1975年、日本評論社]

Oct. 19, 1999
 昨晩、C-YOU(某小熊さん宅より目と鼻の先にあるのだが)で18,000円にてGT-7600S対応ADFを購入。いい・・・・ とても、いい。元々、ADFなんぞを買おうと考えたきっかけは、学部の卒論を書いているときに多数の資料が行方不明になったことが原因であった。流石に、どんだけ部屋が紙に埋もれても、PCまでが埋まるほどにはなったことがない。よって、全部PCに入れてしまえばいいんだ < と考えたのがそもそもの発端。よって、かれこれ2年ごしの野望であった。
 A4の文章を150dpiでとりこんで、jpegで出して、1枚当たり700KBちょっと。(クオリティの設定がどうなっているのかが分からない。どういう訳か、Presto!Page Managerは設定できない場所が多いのだ。金八っつあんよ、「ばかちんが〜〜〜〜〜」と一発しかっとっくんなさい!)
 とにかくこの計算で行くと、A5が1ページで350KBだから、昨日、全ページをコピーした(発行されたのが50年以上前の1931年だから、著作者人格権以外の著作権は消滅している。著者よ、転生しても襲ってくる事なかれ。南無!)「幕末開港綿羊娘情史」が大雑把には460ページ程度なので、単純に掛け算すると160MBほどに納まるのである。ただし問題もある。小熊さんの言うところのデジタルデータのタイムプルーフ(時間に対する耐性 ※"water proof"で「防水」)云々以前の問題として、CD-Rのデータなどいつまで維持されるのか分かったものではないのだ。   だが、やはり私にとっては面白そうなのだ(笑)
Oct. 14, 1999 数日分の日記をここにしたためる。
<今日> ある資料の入手を依頼していた王智立さんに、その代金及び諸経費を航空便の書留で送る。国際郵便の書留を送ったのは今日は初めてだったこともあるが、書留は「a registered letter(mail)」であることを初めて知った。考えてみれば、確かに<登録を受けた封書>である。

<10月13日>
C-YOUに新しく買ったスキャナー用のADF(Auto Document Feeder)を注文する。来週の初めに入るらしい。

この1週間弱ほどの間に発見したのだが、ADFが透過原稿ユニットのことであると勘違いしたコンピュータ店店員が4人いた……… この4人が、私が該当品の在庫の有無を尋ねた店員全てである。(もちろん、解説したらすぐに分かってくれたが。)

そこで、「透過原稿ユニット」に相当する英語のフレーズを探してみたところ、Transparency Unit がそれであることがわかった。(一例:http://www.epson.com/cam_scan/scanners/expression836/

<10月12日>
台北の王智立(WANG Jyh_Lih)氏に小包(Oh Super Jump 4冊)を送る。
台湾相手のSALサービスは行われていないことを知り、仕方なく400円ほど高い航空便を選択。
(なぜ隣国台湾に船便で1ヶ月もかかるのだろう?? 非常に不思議だ。)

その日の3時半、思い立って秋葉原に向かい、ザコン(Laox THE COMPUTER館)にてスキャナーを購入する。EPSON GT-7600Sである。
金曜日に秋葉原で33,800円であったのだが、それは現金特価で、持ち合わせがなかったため諦めた。カードならば秋葉の他店およびつくばでの価格と同じ36,800円だったので買わなかった。だが、それがそもそもの後悔の始まりだった。つくば・土浦地域にはブツが無かったのだ。USBインタフェースの7600U(土浦のT-ZONEでは29,800円にまで値段を落とされていた!)ならばどこにでもあるものの、S(SCSIタイプ)がないのだ。そのような経緯の上で、後悔が後悔を呼び、雪崩となって、半分ほど自動的に体が動いて常磐高速バスつくば号に乗ったのだった。行ってみると、その店は火曜・水曜と休みだったが、もう引き下がるわけには行かない。何が何でもつくばに買って帰らなければ気が済まない、たとえ36,800円であろうとも………というわけで買って参った次第です。
本体の性能については今のところ、特に不満はないものの、附属のソフトが使いにくいのが難点。
一発でJPEGにして吐き出したいのに、いろいろやらされるのだ。馬鹿馬鹿しいことに。

※ スペシャルカラーバージョンもあるそうだけど、結局はGT-7600Uだしねぇ・・・


Oct. 10, 1999
数日分の日記をここにしたためる。

<今日>
このような記事を学内向けに流した。

Subject: 7日の大阪地裁の判決 と Windows と 映画の著作物 Date: Sun, 10 Oct 1999 11:48:48 +0900 From: Taisuke ITONO Organization: ULIS Newsgroups: ulis.chat 中古ゲーム販売に関する7日の大阪地裁の判決に興味を持った小熊さん に頼まれて、判決文を探してきた。この前の東京地裁の判決とは異なり、 ゲームソフトを「映画の著作物」であると認定しているのだ。 「H11.10. 7 大阪地裁 H10(ワ)6979等 ゲームソフト著作権」 >  http://courtdomino.courts.go.jp/chiteki.nsf/caa027de696a3bd349256795007fb825/7278c8ffee0100fa492568030016ebd0?OpenDocument そこで、小熊さんにこう問うてみた。 「さて、この判断に依るならば、ワープロソフトのウィンドウのなかは
映画の著作物でしょうか、それともユーザーとの共同著作物でしょうか?」
(「共同著作物」とあるのは、「共同著作物にあたる、映画の著作物」の意味。)


小熊さんの回答は以下の通りであった。

「それは不明分だが、とりあえずWindows9x全体はユーザを不快にする意図を以って製作された映画の著作物だろう(笑)。名付けて「ブルースクリーン」とか。」

実に見事な回答だった(笑)
      ・
      ・
      ・
      ・
      ・
『そういや(これをご覧の)お客様、お代がまだでしたね?  え? 
 2,3回再起動しなけりゃ全部読めなかったからタダにしろだって? 
 それは、し・よ・う、そーゆー映画なの!』


---------------------------------------
Taisuke ITONO (糸野 泰輔) @M2
itono@ulis.ac.jp CZN04303@nifty.ne.jp
ICQ : 44447229
http://www.itono.com/

おまけ
これは改正前の訴えに係る裁判なので、直接は10月1日の改正法施行
とは関係してこないですけど、ご参考までに。
「著作権法の一部を改正する法律新旧対照条文」
> http://www.cric.or.jp/db/taisyo.html


とうとうRiUPを使う。なぜ今日まで使わなかったかと言えば、大学の机の上で埋まっていたから。

<10月9日>
大阪地裁の中古ソフト関連の判決について調べた結果をメールで小熊さんに報告。夕刻、小熊さんとRanRanへ食べに行く。

<10月8日>
前日の風邪がようよう治まったので、小熊さんと幕張メッセまでエレクトロニクスショーを見に行く。
帰りに秋葉でスキャナーを探す。EPSONのGT-7600Sを探していると、ソフマのトレジャー館の並びにある店で、他店の一割弱安で発見するも、現金特価であった。生憎、充分な持ち合わせがなかったので、諦める。だが、そのときの判断が大誤りであったことを翌日悔やむことになった。地元(つくば)では品薄を通り越して、品が全くなかったのだ。
・・・現ナマ握って、もう一度行ってやる! (それでも、秋葉のその店に行った方が安いので。)

帰宅したところ、郵便受けに黄色い紙が挟まっていた。不在だったから、郵便局まで取りに来いとの通知だった。 差出人の名はBi-Hong, Hwangで、EMS扱いらしい。(< 受け取ってみて判明したのだが、実はEMSではなく航空便だった。なぜかEMSのテープが使われていたため勘違いしたらしい。) 韓国からの荷で、中身はきまオレ系のハングル字幕入りVideoCD 3枚。この件について9日に、親衛隊の団長(部長刑事)である涼さんに話をしたところ、興味津々であった。

※ 団長を名乗るからには、絶対に一人称は「自分」でなくてはならない。そして、登場するときは、常に「ワンダフルガイズ」をBGMとして流さなくてはならない。そうだな! 涼さんよ。
  (参考:http://ww5.tiki.ne.jp/~je4urn/seibulnk.htm


Oct. 6, 1999
お昼過ぎ、ドラッグ寺島で「RiUP」を5,775円にて購入……… とうとう買ってしまった。
小熊さんに見せたが最後、糸野部屋までの間に出会った隣のSさんと一緒に虐めてくれた。
とくにSさんには発毛時代、「ダメでもアデランスがある」うんぬんと言われてしまう。鬼どもめ(笑)

さて、箱を開けると、黒いボトル1本と説明書と葉書が入っている。ボトルを開けてみると、根本の方に「計量」と書かれている。計量しにゃならんのか。まあいい、買った以上やってやろうじゃないの。(簡単だし。)
説明書を読むとやばそうなことが書かれているではないか・・・
「本剤は血圧に影響を及ぼす可能性が考えられる。」
「本剤は心臓や腎臓に影響を及ぼす可能性が考えられる。」(ともにp.5より)
高齢者に、医師または薬剤師への相談を勧めるだけのことはあるようだ。

効いたら効いたと書くけど・・・・ 効果が出るまでいつまでかかるのやら。

Oct. 4, 1999
今朝8時にhttp://cgi.tky.3web.ne.jp/~hiya/legend/をして語らしめた、わが偽りの伝説 (他人のばかりというのもなんかなー、と思ったので。):
      糸野 泰輔の伝説はこのように語り継がれる・・・

            糸野 泰輔それは作業用に開発されたロボットの総称である。
            6歳、ジャンボの機体にペイントされ、糸野 泰輔ジャンボが登場。こんなデータがある、
             ちびっ子アンケート「乗ってみたい飛行機は?」1位:ピカチュウ、2位:糸野 泰輔、3位:GLAY、・・・
            だが、それも長くは続かなかった。
            糸野 泰輔は「咬兎死して良狗煮らる」をモデルにしたような男だった。
            もちろん「虎穴に入らずんば虎児を得ず」という意味で。
            22歳の時に勤めていた会社が全焼。被害総額は10桁を上回るという。
            24歳のとき、しりとりで「下ネタは3回まで」のルールを破って生き埋めにされる。
            朝食は必ずケロッグコーンフレーク。
            40歳の時、ためしにネコ耳にしてみる。
            刃がひっこむおもちゃのナイフでよく人を刺すようになり癖になる。
            この頃の糸野 泰輔の口癖は「クックックック、心が洗われるようだ。」である。
            61歳の頃、等身大糸野 泰輔人形、発売中止になる。
            68歳のとき戦闘中にマロールを唱えてしまい、石の中に突っ込む。それなりには楽しかったらしいが、それは死を意味していた。

Oct. 3, 1999
ここにhttp://cgi.tky.3web.ne.jp/~hiya/legend/をして、吾が息子・てるたん(本名:輝、あるいは てるてるわんわん)
の、偽りの生涯を語らしめる。

思い立ったのは、U-Kという人が自身の伝説を語っているのを目にしたからだった。




てるたんの伝説はこのように語り継がれる・・・ てるたんは、乳歯の代わりに生えてきた。 12歳で、自分が神の子である事を知る。 てるたんは「俺ってドラゴンボールのクリリンとキャラかぶってるよな。」と、よく言っていた。 てるたんは目を閉じて3秒で眠りに就く事ができ、一度眠ると20時間は目を覚まさなかった。 30歳、宇宙人と遭遇。大切なメッセージを託されるが、居酒屋でのバイトに追われるうち、失念。「だって忙しい んだよ!」 34歳頃には、交通標語に採用されるまでになる。「飛び出すな、てるたんは急には止まれない」この頃からて るたんは『爆走てるたん』と呼ばれるようになった。 38歳の頃だったか、クリスタルキングの無茶な英語にゾッコンになる。特に「YouはShock!」あたり。とはいって も、それは爆走てるたん的には、納豆のパックにカラシが入ってないことより、どうでもいいことだった。これがロ リコンに目覚めるきっかけとなった。(注:もっともである) 64歳・・・このころ身長が6cmであった。 コースアウトしたミニ四駆に轢かれ、生死の境をさまよう。 68歳、一念発起。爆走てるたんは世界を手に入れるため修行の旅に。1泊2日の温泉旅行だった。 爆走てるたん(本名:てるたん)の魂魄は天使と共に華麗に封神台に飛び、長かった戦いはついに幕を下ろし た。 やばいバージョンがあるけど、ちょっとイメージが狂うので、この真下に埋めておくことにした。(ざくざく) (どさっどさっ……… お終い) また、このような伝説もある。 ゆうりす1番オタクは家内制手工業で1日に300個づつ生産されていた。(不適品生産率4%) そして壊滅した。 ゆうりす1番オタク、実は柏木家の一族で鬼の力を宿していた。 23歳の年に西暦2000年になった。でも本人は2000年未対応だった。2004年。ようやく2000年対応に。でも遅かった。 ゆうりす1番オタクは簡単に餌付けされるので有名だった。 ゆうりす1番オタクは、IQが1,300もあったので、畏怖と敬意を込めてルチ将軍と呼ばれるようになった。 ルチ将軍は「俺より強いヤツに会いに行く」と言い残し旅に出る。 44歳のとき、北海道へ旅行し釧路湿原を見て感動する。すごいよ釧路湿原。この年、鳥取県に「ルチ将軍通り」ができる。 「わいはルチ将軍や!プロゴルファールチ将軍や!!」 そして速く強く高く飛んだ。 ブラウザの「戻る」を押した瞬間、ルチ将軍は人生を再び0歳からやり直すことになったが、前回と全く同じ人生だった。 おお、ルチ将軍(本名:ゆうりす1番オタク)、しんでしまうとはなにごとじゃ。 また、こんな伝説もある。 他人の伝説を「調べる」(ねつ造する)のも簡単なことだ・・・・ ふっふっふっ ゆうりすオタク軍総裁 小熊善之の伝説はこのように語り継がれる・・・ 期待の新作としてゆうりすオタク軍総裁 小熊善之は、コンビニ限定で発売された。予約特典でゆうりすオタク軍総裁 小熊 善之キーホルダーが付いてきたのは言うまでもない。しかし、あまりにひどい出来の為クソゲーの烙印を押され、その日の内に中 古屋行き。このときすでに、ゆうりすオタク軍総裁 小熊善之は『クソゲーゆうりすオタク軍総裁 小熊善之』と呼ばれてい た。 クソゲーゆうりすオタク軍総裁 小熊善之はもう忘れたかしら〜 赤い〜スイートピー〜♪この頃、負の走光性が顕在化して、 夜勤にジョブチェンジ。 ビル・○イツにパイをぶつけたのは実はクソゲーゆうりすオタク軍総裁 小熊善之である。(もはや笑うしかなかった・・・。) ゆうりすオタク軍総裁 小熊善之は25歳のころ、戦場に出て『黒き疾風ゆうりすオタク軍総裁 小熊善之』と呼ばれるように なる。 黒き疾風ゆうりすオタク軍総裁 小熊善之は仲間にしたときからレベル27だったので、即戦力として馬車の外で戦った。 31歳。三代目いじわるばあさん襲名。青島幸男が東京都知事から芸能界に戻ってくるまで続いた。黒き疾風ゆうりすオタク軍 総裁 小熊善之はこの頃、もぐらたたきにはまっていた。 45歳の時、愛車のホンダ・カブ50を1500ccにボアアップする。 黒き疾風ゆうりすオタク軍総裁 小熊善之49歳、このころの口癖は「ボーイズ・ビー・シド=ヴィシャス」であった。 59歳の時免許がゴールドになったが、まだペーパードライバーだった。 70歳の時、ニセ黒き疾風ゆうりすオタク軍総裁 小熊善之の正体を知り、ショックを隠せなくなる。 「こんにちは黒き疾風ゆうりすオタク軍総裁 小熊善之です。こんにちは黒き疾風ゆうりすオタク軍総裁 小熊善之です。」・ ・・何で2回言ったんですか? 鼻血が止まらず失血死。やすらかな死に顔であった… 某由佳輪研究所の親組織・某親衛隊のあ○の隊長の伝説もリクエストしてみた。
(Oct. 19, 1999 追加) だが、永遠の謎としておこう・・・・ 人間には希望が必要なのだ(謎爆)

 昨日は学園祭初日。今日は最終日。
 「ゆうりすオタク1番」のラジオネーム?で学園祭の有線放送局にCDを持ち込んだ。同期の来客これ多々あり。(泉先生、もすもす中尾くん、UBCの創始者で・・・・・誰だっけ??)

 先週のログを見た。全体として、6910回(HTMLファイルには2779回、txtファイルには8回)のファイル要求があった。ただし、このサイトにはオートリロード機能付きBBSがあるので、そのBBSの分(/ym-ml/chat/ 以下分)208回を差し引いた6702回が通常のものとなる。
 なお、「133.51」以下のIPアドレスからのアクセスが278回であったことから、更にこれを差し引くと、外部からのアクセスは6424回である。

 以下の数字は全て外部からであるか、内部からであるかを問わずにカウントしたものであることをお断りしておく。

他人のコンテンツを預かっているもの(画像中心):
 /k-angel			1773
	/k-angel/ka-index.html	 	 155
 /m-aykw			 986
	/m-aykw/index.html		  60

共同作業に係るもの(文字中心)
 /koc-j			1090
	/koc-j/index.html		  37
	/koc-j/koc〜.html		 513

弟の分
 /tetuya			 269
 /ym-ml			 936
	 /ym-ml/akane			 586
 kor.html			 	 393
 index.html			  78
	(http://www.ulis.ac.jp/~itono/ として)68回
	(http://www.ulis.ac.jp/~itono/index.html として)10回

Oct. 1, 1999 今日は本学の開学20周年の日だ。 しかし・・・・ 朝はブレーカーが落ちることから始まったようなものだった。
運転手控え室が院生室1−A〜Bにならぶ二部屋に設けられ、庶務課の方がそれぞれの部屋で985Wのポットをつけたのだ。
   (100VX20A)−985WX2=30W

30Wで何をしろと?

© or (C) Taisuke ITONO, 1999 _