第2話 New names, new faces
古ぼけたアパートの二階の僕の部屋は、目覚し時計のアラームにくわえ、電話機までが僕を必死に起こそうと鳴り響いていた。
僕はぼんやりした目で電話機を見ると、そのままゴロゴロと転がっていき、受話器を取った。
「もしもし・・・?」
応答がない・・・
ふと見ると受話器を逆さまに持っていることに気づき、持ち直してから目をこすりながら言った。
「もしもし」
「春日君!そこで何してるの!だいたい今何時だと思ってるのよ!」
僕は電話の鮎川の声に促され、眠そうな目で時計を見た。
「わーっ!」
僕は慌てて飛び起き、布団から転げ落ちた。
そして口におにぎりを詰め込みながら、ズボンとシャツを着た。
「このままじゃ遅刻だ!」
僕は電話を切るのもわずらわしく、部屋から飛び出した。
「自転車なんかを使ってる時間はない!」
僕は集中すると、一気にテレポートした。
鮎川の部屋、彼女は準備万端といった様子で、時計を見ながらイライラしていた。
そこへ僕がテレポートしてきた。
「遅れてごめん、鮎川!できるだけ急いできたんだけど・・・」
「そうみたいね・・・」
彼女は笑うのを堪えきれない様子でに言った。
「ズボンが前後ろ反対よ・・・」
「・・・・・」
今日は大学の初日で、青空の下、キャンパスは講堂や広場に集まった新入生やその親たちでいっぱいだった。
今日は僕らにとってもっとも大切な日であり、僕らはこれからの生活を楽しみにしていた。
入学式の会場であるメイン広場は、折り畳み椅子に座った新入生や親たちでいっぱいで、広場に入りきれずに立っている人たちまでいた。
中央の演台では、式典の挨拶が行われている。
「・・・・は我が国にとって大変重要なことです。諸君も自分の教養に自信を持って・・・・」
僕は周りを見回して、鮎川にささやいた。
「鮎川のご両親はどこにいるの?」
「うちの親はきてないの。私の引越しが終わってすぐ、海外公演にいかなければならなかったから」
(う〜む、自分の娘の入学式にも来れないなんて・・・)
約二時間後、入学式が終わり、学生たちは最初の授業の準備のために散っていった。
「もしよかったら私たちと一緒に来ないかね。午後からの授業までにはまだ2時間ほどあるんでしょう」
オヤジが気をきかせて鮎川に言った。
「ありがとうございます、でも、授業が始まるまでに買っておきたいものがありますから」
そう言って鮎川は軽く会釈した。
「僕も一緒にいこうか?」
「ううん、本当にいいの。授業が終わったら学生会館で会いましょう」
「ああ、わかったよ」
そう言うと彼女は僕らとは反対のほうへ歩いていった。
そんな彼女を見送りながら、僕はつぶやいた。
「どうしたんだろう?」
するとオヤジが僕の肩に手を置いて言った。
「彼女なら大丈夫さ。もし何か話したいことがあるなら、おまえには知らせるだろう」
「うん・・・」
学内の書店、鮎川はカウンターにバッグを預けると美術書のコーナーに向かった。
彼女は探している本を見つけると、それを棚から取り出し、再びカウンターのほうへ向きを変えた。
その時、ほかの学生とぶつかって、その本を落としてしまった。
「あっ、すみません!」
ぶつかった青年は本を拾い、それを鮎川に手渡した。
「どーぞ」
「・・・ありがとう」
その青年は茶髪で、背は鮎川よりも30センチくらい高く、彫りの深いその顔からは自信と魅力とがあふれていた。
「こちらこそすみません、私は林原あきら」
そう言うと彼はお辞儀をした。
(あの野球で有名な?)
「あなたのお名前は?」
「私は鮎川まどか」
「はじめまして、もしよかったら春の開幕戦を見に来られませんか?」
そう言うと彼はポケットから球場のチケットを取り出した。
鮎川はそれにどう答えればいいのかわからずに言った。
「ほかのある人との予定がありますから・・・」
すると彼はもう一枚チケットを取り出して言った。
「じゃあ、その人も連れてくるといい。試合の後また会えることを楽しみにしているよ」
そう言って微笑んだ彼の歯がキラリと輝いた。
「ええ・・・」
数学棟の中央の廊下は、大講義室へと向かう学生であふれていた。
「春日さん!春日さん!」
木村さんが手を振りながら駆け寄ってきて、僕の左腕に手をかけて、腕を組んだ。
僕はこの人込みの中で大声で名前を呼ばれ、みんなの注目の的になりたじろいだ。
「や、やあ・・・木村さん、また会ったね・・・」
大講義室は、座席が階段状に並んでおり、部屋の正面にはスライド式の三枚の黒板がある。
僕らが部屋に入ると、突然木村さんが誰かを見つけ、手を振りながら飛び跳ねた。
「あーっ!斎藤さん!斎藤さん!」
自分の名前を呼ばれて振りかえった青年は、背が高く、やせており、赤茶色の髪に薄ぶちのめがねをかけていた。
「あっ、木村さん!君も笈沼先生のクラスだったなんて知らなかったよ」
「ん?知り合いなの?」
僕が木村さんにたずねると、彼女はうなずいた。
「うん!私たち塾でいっしょだったの!」
そう言うと、やせた青年のほうに向かって言った。
「こちら春日さん、私の勉強のパートナーになる人よ!」
「え?ふっ、ふっ、君は運がいいね!」
そう言って彼は笑った。
それを見て、僕は誤解されないように慌てて付け加えた。
「僕らはただ勉強を一緒にしようっていうだけだからね!」
「もちろん、君はそうだろうね・・・」
そう言って彼は微笑み続けた。
「そう言えば、君に紹介しとくよ、これは僕の友人の笠松」
斎藤さんの隣に座っているのは、かなりぶあついめがねをかけている太った青年だった。
彼は僕をちょっと苛立たせるような不敵な笑みを浮かべていた。
「はじめまして、春日さん」
「こちらこそよろしく」
そんな時、一人の青年が教室に入ってきて、僕らのいる二列後ろに座った。
「なあ、見ろよ。彼もうちのクラスだったんだ!」
斎藤さんの声に笠松さんが答える。
「あれは林原あきらか?」
「えーっ!かっこいい・・・!」
そんな事を言う木村さんの目は、ハート型になっていた。
林原が座ると、彼の周りを女の子が取り囲み、中には気絶する娘までいた。
僕はその様子を見ながらふとつぶやいた。
「ふ〜ん、彼の何がそんなにいいんだろう?」
すると斎藤さんが驚いたように言った。
「君は彼を知らないのかい?彼は甲子園の決勝で活躍したショートだよ。それにくわえ、父親は大金持ち!」
「大金持ち?」
「ああ、彼の父親は東京で一番でかい船会社の社長なんだ!」
笠松さんが言った。
「それに巨人軍にもコネがあるんだ!だから将来はプロ野球選手さ・・・」
斎藤さんがうらやましそうに言った。
その後も斎藤さんと笠松さんは、林原の長所や彼の父親の財産を説明しつづけた。
僕は林原と彼に群がる女の子達を、再び見ながら思った。
(あんなのと競い合う必要がなくて良かった・・・)
一時間後授業が終わり、僕は席を立った。
すると、笠松さんがいやになれなれしく、僕の背中をなでながら言った。
「なあ、春日さん、君って女の子との経験のほうは豊富なほうかい?」
「えっ・・・!」
「女の子って時々子供みたいに、気を引こうとする。僕の言ってる意味、わかるよね?」
彼はそう言って、僕の背中をこすりながら、ニヤニヤした笑みを浮かべて、木村さんのほうをちらっと見た。
「う・・・ああ、僕ちょっと人と会う約束してるから、じゃあ、、また!」
僕はどう答えたらいいのかわからずに、逃げるようにその場を立ち去った。
「あ・・・!」
立ち去る僕の背中を見た木村さんが、笠松さんに向かって言った。
「あれはどういうこと?」
「まあ、心配すんなって、ちょっとしたジョークさ・・・」
そう言って彼はニヤニヤ笑った。
美術棟、数人の学生たちが自分の楽器をロッカーへと運んでいる。
そんななか、鮎川も中くらいのケースを持って、リハーサル室へ入った。
高い天井の室内は、有名な音楽家たちの音色で満たされていた。
建物はかなり古めかしいが、その伝統を強く感じさせる。
生徒たちが席につくと、赤毛の中年男性がホールの真ん中にへと歩いてきて、指揮棒で指揮台をたたいて生徒たちに注目を促した。
「今日は初めてのリハーサルですね。私は小野隆介、交響楽団の指揮者をしています。そしてこちらの女性は白鳥絹子教授、指揮者で、授業のリハーサルも彼女が担当します。次の時間には、カリキュラムの一環として独奏をしてもらいます。試験の後、資格をもらったものは私のところへ来てください」
最初のミーティングが終わると、学生たちは各自の楽器のグループへと別れた。
鮎川は管楽器のグループに歩いて行き、椅子に座るとケースからサックスを取り出した。
そしてウォームアップに、軽く吹き鳴らした。
するとそれを聞いていた初老の男性が彼女の肩に手を置いた。
「なかなかの腕だね、新入生としてはすばらしい」
「ありがとうございます・・・」
鮎川が顔を上げると、そこには背の高い、整えられたあごひげを持つ男性がたっていた。
小野先生のようないかにも教授といった厳格さとは異なり、まるでジャズミュージシャンのような雰囲気の持ち主だった。
「私は飯田駿、ここでバンドの指揮をしている。今、ジャズクラブで演奏してくれる人材を探してるんだ」
「ジャズクラブ?」
「その辺の学生のバイトよりずっと金にもなるし、君のミュージシャンとしての才能を磨くことにもなる。まさに一石二鳥さ」
鮎川は興味を持って彼の話を聞いていた。
彼は数枚のナイトクラブのカードを取り出すと、それを鮎川に手渡した。
「もし興味があったら、しばらくはそこで指揮をしてるから、一度来てみるといい。君が来てくれることを期待してるよ!」
そう言って彼は去って行った。
鮎川は数枚のカードをめくり、その中の一枚に目をとめた。
そのカードのクラブは、彼女の家からも結構近かった。
「クラブNoir?いってみようかしら・・・」
学内の歩道に沿って、書店や喫茶店が並んでいる。
僕は建物の壁にもたれて、鮎川が来るのを待っていた。
すると数人の学生が僕の方を見ては、ささやき合ったり、笑ったり、僕を指差したりしている。
そんな彼らの態度が気になっていたとき、鮎川がやって来た。
「鮎川!」
僕が手を振ると、鮎川が応えた。
「春日君!これ何?」
そう言って彼女は僕の背中から一枚の紙切れをはがした。
その紙には[誰かチューして!]と書かれており、それを見た鮎川は笑いを堪えきれなかった。
「面白いジョーダンね!」
「誰がこんなことを・・・笠松だ!」
学生会館内の喫茶店、午後の授業を終えた僕と鮎川は、ホットティーをたのんだ。
「ねえ、鮎川は下宿先の人とうまくいってないの?」
「住んでるところはとてもいいとこなのよ、でも・・・だめなの。まあ、彼女がほとんど家にいないことが唯一の救いね。もしそうでなかったら、今ごろはほかのところへ引っ越してるわ。今のままでも、後期には引っ越そうと思ってるけど。」
(池本さんは今ごろくしゃみをしてるでしょう・・・)
「ふ〜ん、で、その人はどこへ出かけてるの?」
「朝早くから仕事に行ったきり、夜遅くまで帰って来ないの。信販会社か何かだと思うの。尋ねたことなんてないから・・・」
そこまで言うと、鮎川はちょっと明るい感じで話題を変えた。
「ねえ、野球の春の開幕戦のチケットが手に入ったの、一緒に行かない?」
そう言って二枚のチケットを取り出した。
「ああ、もちろん!でもそれ、どこで手に入れたの?」
そのチケットが特別な入場許可証であることに気づいて、僕は尋ねた。
「ある人からもらったの」
「誰?」
「林原あきら。書店で彼にぶつかっちゃったの」
僕はその名を聞いて、目を見開いた。
「野球で有名な?」
「ええ、彼から」
僕は青ざめた。
「金持ちで・・・かっこいい・・・野球選手の?」
「春日君、やいてるの?」
「ち、違うよ!」
僕は思わず立ち上がった。
そんな僕を見た鮎川は真剣な感じで言った。
「春日君、私たちはただ話をしただけよ。何も心配しないで!」
「わかってるよ、ただちょっと・・・」
「ねえ、今晩ひま?」
「えーと、友達と勉強しようと思ってるけど、でも・・・」
「いい心がけね!いつもと違って、自分から勉強するなんていいことじゃない。高校のときは、何でも最後まで引き延ばしてたからね、春日君は」
僕はまださっきの不安を断ち切れないまま、うなずいた。
「・・・うん」
(結局、あの林原とか言う色男と競い合うことになりそうだ・・・)
まだ夕方というには早いころ、僕は勝さんと共にアパートへと続く坂を登っていた。
するとアパートの前にはダンボール箱が積まれており、入り口では長い髪の女の子が、そのダンボール箱を運び込もうとしていた。
すると、彼女から声をかけてきた。
「あら、あなたたちここに住んでる方ですか?」
「ああ。引っ越して来たの?」
勝さんが聞いた。
「ええ、よかったら手伝ってくれませんか?」
「もちろん」
そう言って僕はダンボール箱を持ち上げた。
「ありがとう!私、宮里ゆうこって言います。2号室に引っ越して来たんです」
僕はダンボール箱を抱えてアパートに入ると、2号室の扉を開けた。
するとそこには、宮里さんがいた!
「宮里さん!どうやって僕より先に入ったの?」
「ちょっと、勝手に入って来ないでよ!あなた、私の荷物をどうするつもり?」
「何を言ってるんだ?たった今、君が僕に頼ん・・・!」
その時僕は固まった。
宮里さんがビンタをしようと、手を振り上げて叫んだ。
「あなたに何か頼んだ覚えはないわ!」
僕が目をつぶった瞬間、僕の背後から宮里さんの声がした。
「あ、ようこ!その人は私が頼んだの!」
・・・・・遅かった。
僕はおもいっきしひっぱたかれ、クラクラしながら目を開けた。
「あーっ!宮里さんが二人いる・・・?」
僕は思わず叫んだ。
「ん?」
その声を聞いて勝さんも入ってきて、そこにいる二人の女の子を見比べて言った。
「ひょっとして双子?」
「ええ。ごめんなさい!」
そう言って恥ずかしそうに笑いながら、宮里さんは僕に頭を下げた。
そんなところへ、運悪く嵐がやってきた。
「いったいなんの騒ぎだ!騒々しい!」
「あ、管理人さん」
管理人さんは次に、二人の少女に目をやった。
「君らは先週末に引っ越して来るんじゃなかったのかね!私はボランティアでここを運営しとるわけじゃないんだぞ!」
「すみません。その・・・」
「言い訳は聞きたくない!家賃は毎月一日に払うこと、君の引越しみたいに遅れるような事があれば、例外なく放り出すからな!」
「はい」
宮里さんの荷物を運びいれた後、僕と勝さんは二階の僕の部屋へ入った。
僕らは座って教科書を取り出すと、宿題をやる準備をした。
「ふぁ〜あ、別に今晩しなくちゃならないってわけじゃないのにね」
僕がそう言うと、勝さんが試験管をいじくりながら言った。
「受験も終わったんだし、これくらいはやらなくちゃ!」
「でも、まず木村さんが来るのを待たなくちゃ。これが一段落したらナイトクラブにでも行ってみない?」
「う〜ん、でも木村さんは数学が苦手なんじゃない?だから君に、一緒に勉強しようって言ったんじゃないかい」
その時、扉をノックする音がした。
「どーぞ!」
すると木村さんがいつもの笑顔で入ってきた。
「ごめんなさい、遅れちゃって!」
「気にしなくてもいいよ。僕も春日も今、始めたところだから」
「一問目は僕らで解いてみたよ」
「ラッキー!二人で私を助けてくれるなんて!」
僕は笑顔でノートを彼女のほうへ差し出した。
「こうやって解いてみたんだけど、どう思う?」
「わぁー!こんなアプローチの仕方なんてはじめて見たわ!」
「え?なんか変・・・?」
彼女は何も書かれていない紙を取り出すと、シャープペンを手にとった。
「えーと・・・」
すると突然、そのシャープペンをめまぐるしく動かし始めた。
「・・・ここはこーなって・・・」
その紙にははじめて見るような公式が次々と出てくる。
その光景に僕と勝さんは呆然とした。
「・・・公式の条件を満たしてるから、A式はこうなって・・・」
彼女はもう一枚、紙を取り出すと、さらにシャープペンを動かす速度を上げた。
「・・・これをB式に代入して、ゆえに・・・」
彼女は三枚目の紙に達すると、ますますそのスピードを上げた。
「・・・これが成立するので、この仮定は証明される・・・」
ついに三枚目が埋まろうとしたその時、彼女は得意げな笑みを浮かべた。
「答えはNsin(u)−N{cos(u)du+sin−(u/A)+C}!やったー!」
僕はあごがはずれた・・・
「うっ・・・すごすぎる・・・」
勝さんはシャープペンをポロリと落として、僕に言った。
「・・・ナイトクラブにでも行こうか?」
「そ、そうだね・・・木村さん、僕らは一段落したらクラブNoirに行ってみようって言ってたんだ。焼き鳥やお酒も置いてて、ちゃんとしたダンスフロアまであるんだって。よかったら行ってみない?」
「えー!ほんとう!」
彼女は目を輝かせた。
「じゃあ、残りはまた今度にしよう」
そう言った勝さんは、なんだかホッとした様子だった。
「そうしましょう!」
そう言うと彼女はノートを僕のほうへ差し出した。
「私はもう終わったから、これでいいかどうか目を通してね!」
「うん・・・」
僕は受け取ったノートをめくってみたが、ほとんどが理解不能・・・たまに理解できるところはみんな合っていた。
(高校のときは鮎川に家庭教師をやってもらい、今度は木村さんに・・・オレって情けない・・・)
「ん〜、まあこれでいいんじゃない。じゃあナイトクラブに行こうか?」
「ええ、行きましょう!」
そう言って木村さんは飛び跳ねながら外へ出て行った。
彼女が出た後、僕は勝さんに言った。
「彼女は数学が苦手だって?」
「ううっ・・・」
勝さんは戸惑いを隠せなかった。
クラブNoir、その扉からはダンスミュージックのビート音が絶え間なくあふれ出していた。
僕らは安いカヴァーチャージを払い、バーに近いテーブルについた。
ガスの炎にあぶられた焼き鳥の煙が、香ばしい香りを運んでくる。
僕らは焼き鳥を一皿とお酒をたのんだ。
「お酒飲んだことあるの?」
僕は勝さんのコップに注ぎながら、木村さんに聞いた。
すると彼女は首を横に振った。
「ううん。どんな感じがするの?」
「飲んでみればわかるって!」
そう言って勝さんは彼女のコップに注いだ。
木村さんは疑うような目でコップを見つめ、少しだけ口をつけた。
「わぁー!なんだか喉のあたりがあったかくて、ゾクゾクしてくる!」
そう言うと、残りをゴクリと飲み干した。
僕と勝さんは顔を見合わせ、ちょっと心配になってきた。
勝さんは焼き鳥をつまみながら、僕にささやいた。
「ゾクゾクするって、ちょっと早すぎないか?」
「きっと初めてだかだよ」
僕は何気なくクラブ内を見回した。
そして学生や若者でいっぱいのダンスフロアに目をやったとき、僕は持っていた焼き鳥をポロリと落とした。
「そんな・・・」
僕は立ち上がると、勝さんと木村さんをテーブルに残したまま、ダンスフロアに向かって歩き出した。
「あれ、春日!どこに行くんだ?」
僕に気づいた勝さんが言った。
「俺、何か悪いこと言ったかな?」
ダンスフロア、そこはドライアイスの煙ときらめくライトによって、幻想的な雰囲気がかもしだされており、天井のミラーボールの光は蛍を思わせた。
僕は光と音の海の中を、カップルが踊っているフロアの隅へ向かってゆっくりと歩いていた。
そして踊っているあるカップルに僕は目をみはった。
「鮎川・・・それに林原!」
激しい音楽が穏やかな曲に変わり、照明がおとされ、穏やかな霧がフロアをより幻想的なものに変える。
音楽がサビにかかると、林原はやさしく鮎川を抱き寄せる。
初めは嫌がっていた鮎川も、音楽がフェードアウトしていくのとともに、二人の距離が縮み、そして目を閉じる・・・
「だめだー!」
僕は自分の妄想を引き裂いた。
そのころテーブルでは、鼻の頭を赤くしてウトウトしはじめた木村さんに、心配になってきた勝さんが肩をゆすりながら声をかけた。
「おい、大丈夫かい?」
「う〜ん?恭ちゃんは<ヒック>どこ?」
「きょうちゃん?」
「恭ちゃ〜ん<ヒック>あれ?恭ちゃんがいっぱいいる〜」
「ふ〜。君は酔ってるんだ。まだ4杯しか飲んでないのに!」
「わたし〜<ヒック>よってなんか<ヒック>ないわよ〜」
「わかった、わかった」
勝さんはお手上げと言った感じで、右手の人差し指と、左手の人差し指と中指を立てて、彼女に言った。
「これ何本に見える?」
彼女はそれをぼんやり見ながら答えた。
「一本、二本、三本<ヒック>五本、八本、十三本<ヒック>二十一、三十四、五十五、ふわ〜!」
勝さんはあきらめて手を下ろした。
「まいったなー!彼女を送って行かなきゃならないから、春日を探しに行きたいんだが、これじゃほおって行けないし。春日が戻ってくるのを待つしかないな・・・」
勝さんはテーブルにひじをつくと、じっくり待つことにした。
しかしその時、木村さんが騒ぎ出した。
「こら〜!さけもってこい、さけ!」
勝さんは慌てて酒ビンを引き離した。
「だめ!もう十分だろ!春日のやつが戻ってきたら送って行くから」
僕はダンスフロアの一角で立ち尽くしていた。
踊っている鮎川と林原を見つめる僕は、神経が張り詰め、全身がこわばっていた。
そしてできる限り平静を装い、ゆっくりと近づいた。
「鮎川!」
「あっ、春日さん!君のことは鮎川さんから詳しく聞いてるよ。ぼくら数学は同じ先生なんだってね。よろしく!」
そう言って林原は、なれなれしい笑顔で手を差し出した。
「え?は、はい・・・」
思わぬ反応に、僕は拍子抜けして思わず彼の手を取った。
「春日君!勉強してるんじゃなかったの?」
鮎川の問いに、僕はテーブルのほうをちらりと見たて言った。
「うん、でも早く終わったから」
「そう、じゃあ席で話そ・・・」
林原の言葉を無視して、僕は言った。
「鮎川、よかったら僕といっしょに踊ってくれない?」
「ええ・・・」
彼女はちょっと強引な僕に驚いたようだが、笑顔で答えた。
僕が鮎川に近づくと、それまでの激しい音楽が止み、照明も落ち着いたものに変わった。
するとDJの声がひびいた。
「OK!ここからは恋人たちの時間だぜ!」
優しい感じの曲が流れ、ダンスフロアの恋人たちが寄りそい合う・・・
僕は鮎川とチークを踊っていた。
(なんて幸せな時間だろう)
僕の動きはなんだかぎこちなかった。
彼女の髪の香りが僕を誘惑するように漂ってくる。
そしてそれが、僕が次に何をすべきかを教えてくれた・・・
その夜、僕は布団に横になりながら思った。
(今日は重要な日になりそうだ。僕にあんな強気な行動ができるなんて。それにいろんな友達とも出会ったし、おまけに林原みたいなヤツにも・・・中学や高校のときみたいに、優柔不断なままじゃいけないな)
僕はため息を吐いて目を閉じた、固い決意とともに。第2話 完Go to 第3話
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