第1話 Brave New World

大学へとつづく道には、朝だというのに新学期の準備をする生徒やその親、教授たちでごったがえしていた。
そして、その人ごみの中に、歩道に沿って書店や学生の店を見ながら歩く僕らがいた。

今日は僕と鮎川が、新入生としてキャンパスで過ごす最初の日だった。
三日後には授業も始まるため、キャンパスへと連なる書店や大学の施設には活気があふれている。
僕がこの町に住み始めたのはつい数日前のことで、それでおもわず数年前に新しい町へ引っ越してきたときのことを思い出した。
そして、その時と同じような気持ちにならないではいられなかった。
期待と不安。でも今回は楽観的だった。だって、今回は一人じゃないから。

大学の書店、僕と鮎川はその前でかばんをおろした。
「じゃあ本が見つかったら、雑誌の棚の前で会いましょう」
「うん」
そう言って僕は鮎川と別れた。

僕は教科書や参考書のならぶ棚の間を、授業のリストを見ながら歩いていった。
そして、探している本の一つを見つけ、その本に手を伸ばした。
そのとき、もう一つの手がその本へ伸びてきて、僕がつかむのと同時に、その手も同じ本をつかんだ。
「おっと!」
「あっ!」
その手の持ち主は、赤いショートカットのかわいらしい娘だった。
彼女は輝くような笑顔で僕のほうを向くと、クスクス笑いながら言った。
「どうやらその一冊しか残っていないみたいね。あなたも数学をとるつもりなの?」
「う、うん」
僕は微笑んで、その本を彼女のほうへつきだした。
「これは君にゆずるよ。明日になれば追加されてるだろうから」
「ダメよ!それではフェアーじゃないはわ」
彼女はしばらく考えてから言った。
「あなたの教授は誰?」
「えっ」
僕は登録シートを引っ張り出し、そして答えた。
「笈沼ひさとって人だけど」
すると彼女はひとみをいっそう輝かせた。
「私もよ!じゃあ私たちクラスメートになるのね。私は木村けいこ」
「僕は春日恭介。よろしく」
「春日さん、私たちは同じ先生で一つの教科書をとったのだから、いっしょに勉強しましょう。そうすれば、いつでも数学は助けてもらえるわ」
「う、うん。もちろんいいよ」
僕は少し考えて、やっぱりその本を彼女のほうへ押し出した。
「これは君が持ってるといいよ。追加が入るまでは、授業のときに君に見せてもらえばいいから」
「ほんとにいいの?」
彼女はその本を胸の前に両手で、宝物のように持って言った。
「ありがとう!とても親切なのね、なんだかダーリンって感じ!」
「うっ・・・」
僕は思わず凍りついた。

一時間後、僕と鮎川は喫茶店にいた。
僕は真新しい本や文具類を隣のテーブルに積み重ねていた。
「・・・だから放課後は音楽のリハーサルでで忙しくなるの。春日君は何を専攻するか、もう決めた?」
「うん、え〜と・・・文学にしようと思ってる」
「文学?作家にでもなるつもりなの?」
鮎川はかなり驚いたように言った。
そして、僕はちょっと自信ありげに答えた。
「もちろん!書いてみたいものがあるんだ」
「なんなの?」
「サイエンス・フィクション!僕ならかなり納得のいく超能力者の物語が書けると思うよ!」
「なるほど」

丘の頂上へつづく上り坂を、僕と鮎川は歩いていた。
僕はたくさんの本を持っていたため、坂を登るにつれて息を切らしていた。
「どのくらい遠いの?」
ちょっと苛立ったように鮎川が言った。
「この丘を越えたとこだよ」
「何でこんなに遠いとこを選んだわけ?」
「別に僕が選んだわけじゃないよ。僕が借りられそうなのはここしか残ってなかったんだ」
彼女はあきれたような顔で言う。
「それって春日君が悪いのよ。のんびりしててなかなか部屋探しを始めなかったから。私は入試が終わってすぐに探し始めたんだから」
鮎川の非難がましい口調に、僕は閉口した。
そしてしばらく歩いてから、僕は口を開いた。
「鮎川はなんで実家から通わないの?」
「お姉ちゃんが家族といっしょに帰ってきててね、お姉ちゃんの家族も増えてきたことだし、私の居場所を探そうって決めたの」
(家族か・・・ふ〜ん)
「もう、こんなに遠いって分かってたら、自転車を使ったのに・・・」
「さあ、着いたよ」
僕のアパートは日当たりが悪く、修理が必要な所もあるようだった。
僕らは靴を脱いで右側にある階段を上った。
そこは廊下でさえ、部屋の中でダンボール箱や家具を動かす音が聞こえてくる。
僕は5号室の前で立ち止まり、鍵を開けた。
そして扉を開けたとたん、ジンゴロが僕の顔に向かって飛んでくるのを見て僕は固まった。
「な、なんだ〜!!」
「あっ!おにーちゃん危ない!」
くるみの注意は遅すぎた・・・僕の頭にはダンボール箱が雪崩となって落ちてきた。
幸運にも、鮎川は僕の後ろにいて被害に遭うことはなかった。
部屋には僕の引越しを手伝いに、家族が来ていたのだが、ダンボール箱はほとんど未開封で、布団と台所の炊事道具だけがすでに用意されていた。
ここはついさっきまでダンボール箱の飛び交う「ポルターガイスト現象」が起こっていたわけで・・・
鮎川は僕を心配して、僕の上にかぶさるように身をかがめた。
「春日君、大丈夫?」
ダンボール箱の山から顔を出した僕は、くるみに向かって怒鳴った。
「何をしようとしてたんだおまえは!まだ住み始める前のおれを追い出すつもりか!!」
するとくるみは怒鳴り返してきた。
「おにーちゃんがどっかほっつき歩いてる間、私たちがどうやって荷物を運んだと思ってるの!」
「俺はほっつき歩いてたわけじゃな・・・」
「もう、二人とも少しは落ち着いたらどうなの?」
まなみが制するように言う。
「そうだぞ恭介、終わったことをいろいろ言ってもしょうがないじゃないか」
(オヤジまで・・・)
僕は立ち上がってほこりをはらうと、ぶつぶつ言いながら扉を閉めた。
「何も変わってないじゃないか・・・」

一時間後、鮎川たちの帰った部屋で、僕は布団にもたれかかってため息を吐いた。
(止むことのない災難から開放されて、僕はここにいる)
僕はすこし微笑み、そして目を閉じて再びため息を吐いた。
しかし、すぐに目を開け、鼻にしわをよせた。
(みょーな匂いがする・・・)
僕は立ち上がり、扉を開けて部屋の前に出た。
すると驚いたことに、ほかの入居者達が僕の部屋の前を、左のほうへ向かって走りすぎていった。
(な、何なんだ?)
不信に思った僕が、右を向いたその時、
Booom!!
爆発が床を揺らし、煙が廊下を覆った。
(な、何が起こったんだ?)
煙が晴れてくると、ほかの入居者たちがコーナーの影からチラッと覗いていた。
「おっと、すまない!」
6号室から出てきたのは、茶髪で僕と同じ年くらいの若い男だった。
彼はいつも僕がやっているように、恥ずかしそうに頭の後ろを手で押さえながら苦笑いをした。
そして、僕に手を差し出した。
「君は新しく5号室に来た人だね、僕は隣の勝りつお」
「僕は春日恭介、よろしく。ところで何をしてたの?」
僕は彼の部屋を覗くようにして言った。
「まあ、入りなよ」
彼の部屋の真ん中には長方形のテーブルがあり、その下にはプロパンガスのボンベがあった。
そしてそれは2つのバーナーにつながっていた。
テーブルの上には何かで見たことがあるような、化学物質の入った巨大なガラスビンがあり、隅のほうには割れたガラスと不快なにおいを発する塊があった。
勝さんは部屋の隅からほうきとちりとりをとってきて、それらでガラスの破片をごみ箱へと入れた。
「僕はコーヒーを入れようとしてたんだ」
「えっ、どこにあるの?」
僕は部屋を見回したが、コーヒーポットらしきものはなかった。
彼は大きなビーカーを指差して言った。
「これだよ」
その右側には水を沸かすためのフラスコがあり、その上に取り付けられているのは、すりつぶしたコーヒー豆の入った円筒形のもので、蒸気がチューブをつたってビーカーへ滴り落ちるようになっていた。
「僕は別の試験管が乾燥していくのを見てたんだけど、液体が無くなったら硫黄が・・・」
彼の技術的な説明は僕の耳を素通りしていたわけで・・・
「あの〜、よくわかんないけどすごいね」
とりやえず僕はその装置に感心したように言った。
「僕が子供のころ、誕生日におもちゃの化学実験セットもらってね、それ以来一つずつ道具をそろえてきたんだ。中学を卒業するころには、自分のやりたい勉強も決めてたんだ」
彼は棚から小さめのビーカーを二つとってくると、みょーな装置についてたビーカーに溜まっているコーヒーらしきものを、その二つのビーカーへ注いだ。
「さあどうぞ」
「どーも」
僕はビーカーを受け取ると、試しに一口飲んでみた。
「あっ、悪くない!おいしいよこれ!」
「そうかな?ちょっと酸が強いな」
「酸・・・?」
僕はおもわず飲むのを止めた。
「アルカリで中和してくれ」
「何を?」
僕は笑顔の勝さんを尻目に、ビーカーをおろした。
彼はちょっと困惑したような顔で行った。
「何って、もちろんコーヒーをだよ」
僕は思わず口の中のコーヒーを吹き出し、咳き込んでしまった。
「心配しなくてもいいよ、pHはそんなに偏ってないから」
「・・・・・・・」

家々の立ち並ぶ中、荷物を降ろし終わった一台の車が走り出した。
鮎川はその車が見えなくなるまで見送っていた。
彼女は一つ目のダンボールを抱えると、数段の階段を上り、扉を開けた。
中に入ると、そこは異様なほどきれいに掃除されており、レイアウトも完璧だった。
「池本さーん!」
彼女は管理人の名を呼んだが、返事はなかった。
両手がふさがっていたため、扉を開けっ放しにして部屋に入り、一つ目の箱を机に置いた。
その部屋にはすでに机やベッドを置いていたのだが、それを見た彼女は眉をひそめた。
(前に来た時に置いた位置と変わってるわ・・・)
その時、扉を閉める音が聞こえてきた。
扉のところには背の高い老女が立っていた。
彼女はその黒髪を手ぐしで後ろへかきながら言った。
「あなたは今日引っ越してきたばかりだから、今回は許してあげるわ」
彼女はちょっと強調するように言った。
「でもこれからは、扉を開けたらちゃんと閉めてちょうだいな」
鮎川は突然の挨拶に驚き、そして勝手に自分の部屋のものを動かしたことや、おせっかいな態度について何か言おうとしたが、結局言うのを止めた。
(ささいなことで言い合う必要はないわ)
そう思い、微笑んで言った。
「よかったら手伝ってくれませんか?」
黒髪の老女はコードレス電話を手にして言った。
「ごめんなさいね、これから人と会うことになってるの。私のバッグをとりに寄っただけだから」
電話をかけている彼女の手には、すでにバッグが握られていた。そして自分の部屋に行くと、テーブルの上にそのバッグを置き、別の少し色の違うバッグをとった。やがて受話器を置いた彼女は、部屋を出ていった。
「二三時間で戻るわ、鮎川ちゃん」
扉が閉まると、鮎川は髪をかきあげた。
(面接に来た時はあんな感じじゃなかったのに・・・)
彼女は受話器をとると、僕が伝えておいた番号をダイヤルしたが、しばらく待ってもでないので受話器を置いた。
「もう、どこに行ってるのかしら」
そのころ僕は勝さんに、コーヒーらしきものをごちそうになっていたわけで・・・
彼女は電話機を見つめてつぶやいた。
「私も春日君みたいなところを選べばよかったのかしら・・・」

僕の部屋、ダンボール箱の開封がまだ途中だったが、僕は電話機を見てふと思った。
(鮎川に電話してみようかな・・・でもきっと引越しで忙しいだろうし・・・)
もう少し待とうとも思ったが、でもやっぱり電話してみた。

鮎川は最後の一箱を運びいれると、髪を後ろへかいた。
彼女の額や髪はかなり汗ばんでおり、池本さんが掃除したと思われるフワフワのソファーに崩れ落ちた。
そしてしばらくのあいだ目を閉じて、息をととのえた。
彼女は目を開くと、留守番電話のメッセージランプが点滅しているのに気づいた。
そしてプレイボタンを押して、再び目を閉じた。
「ピー・・・池本さん、南場です。連絡ください・・・
ピー・・・池本さんのお宅ですか?お母さんです、また電話してください。でわ・・・
ピー・・・鮎川?オレ春日、また電話・・・」
鮎川はまだメッセージが終わらないうちに受話器をとってダイヤルし始めた。

その数分前、僕は鮎川の留守番電話にメッセージをを告げると電話を切った。
「外に出てるのかな?」
僕は布団にもたれかかった。
すると突然、扉を激しくたたく音がした。
僕が起き上がり、扉を開けると、そこには短髪でずんぐりした飾り気のない男が、ガラス玉のような目でにらむように立っていた。
「あっ、管理人さん!なんでしょう・・・」
「すぐに管理人室に来なさい!」
そう言うと彼は1階へよろめくように降りていった。
「何だろう?何か悪いことしたかな?」

管理人室、その入り口には「江上いさむ」という表札がかかっている。
「君が入居者のオリエンテーションに出なかったせいで、貴重な時間をさかなきゃならないじゃないか!家賃は毎月1日に払うこと!絶対に遅れるなよ!もし払わんようなら、払うまで家具を外に放り出すからな!遅延の罰金は1日2千円だ!」
そう言い終わると、彼は振り返り何かを台帳に書き始めた。
(な、何なんだ?これを言うためにわざわざおれを引き摺り下ろしてきたのか?)
彼は書くのを止めて顔を上げると、まだ突っ立っている僕に気づいて言った。
「ん?何を見てるんだ!さっさと出て行け!」
僕は彼の怒鳴り声を背中に受けながら、慌てて管理人室を出た。
「ふーっ、まったく何なんだ・・・!」

鮎川は再び電話をかけてみたが、誰もでなかったので、苛立ちながら受話器を置いた。
「もう、どこまで行ってるのかしら?」
彼女は立ち上がるとキッチンへ行き、食器棚からグラスを取り出し、それに氷と水を入れると一口飲み、そしてグラスをテーブルに置いた。
次に冷蔵庫を開けると、何か食べ物がないか探しだした。
するとその時、背後から人の入ってくる音がした。
「池本さん、私あなたからまだ何も聞いて・・・」
黒髪の老女は鮎川のグラスを持ち上げると、その下にコースターを置いた。
そしてもう一つのコースターを片手に、緩やかな口調で言った。
「鮎川ちゃん、あなたはこれが何のためにあるかを知るべきね」
「ええ・・・」
老女はリビングルームへ行き、さらにしゃべり続けた。
「それからこのソファー、きれいにするのにどれだけかかったと思ってるの?汗をかいてるときは座らないでちょうだい!」
鮎川は冷蔵庫のとってを握ると、静かにその扉を閉めた。
「はい・・・」
「それから鮎川ちゃん」
「何ですか?」
鮎川はにんじんを片手に強い口調で言った。
「飲み物はボトルから直接飲まないでね!」
鮎川は指の間のにんじんをポキンと折った・・・

鮎川は自分の部屋へ戻ると、苛立ちを隠せなかった。
「なによあの態度!もう少し聞かされてたら、ひっぱたいてたかもしれないわ」
そして受話器を取った。
「春日君、今度こそは出てよね!」

僕は管理人さんの怒鳴り声から開放されて自分の部屋に戻ると、再びダンボール箱を開封し始めた。
するとその時、扉をノックする音がした。
「今度は誰ですか?」
僕は眉をひそめながら扉を開けた。
そして凍り付いた。
「春日さん!」
そこには木村さんが馴染みのある笑顔を浮かべて立っていた。
「こんにちわ春日さん!私別の本屋で私たちの教科書と同じのを見つけたの!それであなたのために買ってきてあげたの!」
僕は戸惑って、片手で頭の後ろを押さえるいつものポーズをしながら微笑んだ。
「ど、どうもありがとう。でも、わざわざここまで来なくても、授業が始まってからでもよかったんじゃない?ところで、どうしてここがわかったの?」
彼女は別の本を取り出し、より一層の笑顔を見せた。
「簡単よ!」
そして「学生住所録」と書かれた本のコピーを僕に手渡した。
「その最新版が本屋に売られていたのよ」
「ふ〜ん」
僕はそこに書かれている自分の住所が正しいことを確認すると、それを彼女に返そうとした。
「そのコピーはあげるわ!私ね、あなたのようないい人に会えたってことを友達に話したの、そうしたら私たちと一緒に夕食を食べるよう誘ってみたらって言われたの!」
「え、えー!」
僕は頬をガラス玉のような汗がタラーと流れ落ちるのを感じた。
その時、突然電話が鳴り出した。
「あっ、ちょっと待ってて・・・」
(ふー、助かった)
「もしもし?」
「春日君!やっとつながったわね」
「あ、鮎川!・・・やあ、引越しの調子はどう?」
僕は頬をガラス玉のような汗がタラーと流れ落ちるのを再び感じた。
「誰からなんですか?春日さん」
木村さんがクスクス笑いを消しきれない様子でささやいた。
すると鮎川もやけに熱心な感じで聞いてきた。
「そこにほかに誰かいるの?」
「え・・・う、うん。クラスメートだよ。教科書を見てただけだからね」
「春日君、私引越しでちょっと疲れたみたい。だから息抜きにちょっと外に出ようと思うんだけど、今晩の夕食いっしょにどう?私のおごりで!」
「え!もちろんOKだよ!じゃあ、どこで会おうか?」
「キャンパスの東側にお好み焼き屋さんがあるんだけど、一時間後にそこで会いましょう」
「OK」
僕は電話を切ると木村さんに向かって言った。
「ごめん、今のは僕の友達でね、かのじ・・・彼が今晩一緒に食事に行こうって言ってるから、今晩は無理だけど、明日の昼食を一緒に食べない?僕のおごりで」
「それはいいわ!それじゃ、また明日!」
(ふー、危なかった・・・)

お好み焼き屋の店内は学生でいっぱいで、学生たちの会話と香ばしいソースの匂いがあふれていた。
僕は店内に入るとあたりを見回し、手を振っている鮎川を見つけ、彼女の隣に座った。
「ふ〜ん、時間どおりね!」
「下宿先のほうはどうだい?」
そう言うと鮎川は目をそらした。
「何か嫌な事でもあったの?」
「な、何もないわよ。それより、春日君のほうはどうなの?」
「え〜っと、隣の人は実験用ビーカーでコーヒーを飲むような人でね、ほかの住人は彼の起こす爆発を怖がってたよ。それから、管理人さんは家賃を払わないと家具を放り出すって言う恐そうな人だったよ」
僕はそう言って、片手で頭の後ろを押さえるいつものポーズをしながら笑った。
「ねえ、部屋空いてない・・・?」
「えっ!」
僕は笑うのをやめ、彼女の顔を見つめた。
「5号室が最後の一部屋だったから、もう空いてないけど・・・でもなんでそんなこと聞くの?」
彼女は顔を上げると笑って言った。
「な、なんとなくよ・・・」
僕が立ち上がると鮎川が聞いてきた。
「どこに行くの?」
「ちょっとトイレ、すぐに戻るよ」
僕はトイレに行くと、水道の蛇口をひねり顔を洗うと、ペーパータオルでたたくように拭いた。そして大きく息を吐くと、今晩は鮎川ともうまくいってることに思わず微笑み、湿ったペーパータオルをごみ箱に捨てた。
その時、僕は驚いた。
「勝さん!、ここで何をしてるんです?」
「やあ、春日!おれたちはもうすぐ学校が始まっちゃうんで、ちょっとしたコンパをしてるんだ」
「おれたち・・・?」
「ああ、木村けいこもいっしょだよ!」
「え!!」

鮎川は僕の帰りを一人で待っている。
一方僕は、木村さんの姿を確認しようと、壁からチラッと覗いていた。
そこには数人の人と話している彼女の姿が見えた。彼女は新入生と思われる人との会話が終わると、鮎川のほうへ向かってまっすぐに歩き出した。
「・・・や、やばい!」
鮎川は顔を上げて彼女を見ると、なんとなくひかるのことを思い出した。
木村さんは鮎川を見つめて微笑みながら言った。
「あなたは誰かといっしょなの?」
「ええ・・・・・・素敵な人と」
鮎川は遠くを見るような目をして、思いやりのある声音で言った。
「私も今日、素敵な人と出会ったわ・・・彼と今すぐ会いたいなあ」
彼女は僕の席に座って言った。
僕は恐れていた光景に、思わず目を閉じた。
「じゃあ、ここでその素敵な人と再会できるといいわね」
「ええ、ところで、私は木村けいこ」
そう言うと彼女は手を差し出した。
「私は鮎川まどか、よろしく」
握手を交わすと、木村さんは別のテーブルへと去っていった。
「ふー・・・!」

鮎川は僕が5号室の鍵を開けるのを待っていた。
僕は今日起こったいろいろなことのせいでかなり疲れていた。
僕は部屋に入って座ると、鮎川の疲れた表情に気づいた。
「大変な一日だったね」
彼女はうなずき、そして微笑んだ。
「でも、まだ夜は宵のうちよ。ねえ、これ知ってる?」
そう言うと小さな黒いボトルを取り出した。
そしてそのラベルには「Napoleon」と書かれていた。
「そ、それ、どこで手に入れたの?」
「私が家を出るときにね、お父さんのキャビネットからこっそり拝借したの」
僕は微笑みながら言った。
「今晩は素敵な夜だね」
「ねえ、グラスないの?」
僕は100mlビーカーを手渡した。
鮎川は少し驚いたようだったが、それにナポレオンを注いだ。
僕と鮎川はそのブランデーを少しずつ飲み、そしてグラスを置いた。
薄暗い明かりの中で、僕と鮎川の距離が縮まる・・・
(そう言えば数年前、僕が新しい町に引っ越してきたとき、僕の心は不安でいっぱいだった。周りのすべてが変わり、僕は孤独感を感じていた。でも今は違う。そばにいてくれる人が、僕にはいる。この新しい町で、僕と鮎川は変わることのない何かをつかむんだ)
僕と鮎川の唇が重なろうしたその時、みょーなにおいが・・・・
Boooooom!!
「すまーん!」
という隣の勝さんの声が・・・
(・・・何も変わってないじゃないか!)
第1話 完

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